次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

観測1

いっそ寒々しいくらい乾いた空気の日のその夜です。


お手紙。交換日記。文通。

 

8歳から13歳くらいまでの5年間くらい、わたしの生活はこういったもので埋め尽くされていた。クラスメイト、塾の同級生、保育園の時の友達、当時好きだった男の子の彼女に宛てて、など。大嫌いな算数の授業中なんかは、もうほとんど全力で手紙を書いていたに等しい(後々成績で苦労することになる)。

つまりだから、おおよそ15年前の自らの行動の遺伝子が、わたしのツイッターで「いいなあ」と言った。

 

(あ、こんにちは。平ちゃんです。

わたしは大学時代の同級生たちの公開書簡を読んで「いいなあ」と言って仲間に入れてもらった人です。大学当時はふたりと別の演劇サークルで、死ぬほどイキっていました。当時から住んでいたあたり、引き続き東京に住んでます。)

 

読んで気づいたのだけれど、私は二人のことを全然知らない。読んでいる本も、仕事のことも、公演のことも。卒業してからもう45年経つのか…怖ろしいな。なんか知らないうちにジュン・チャンはイルカに乗っていたらしいし…八景島で触れるイルカやベルーガたちも最高だけど、泳げるならもっと最高だよね。

とりあえず、タカシナが読み上げたという本は図書館で予約したけれど、なんか全然私の番が回ってこないので買おうかどうか迷ってる。いつも行かない、定期の範囲じゃないほうの館にあったんだよ。回送は大体遅くて、通知が来る前に見に行ってしまうのが常。

 

ふたり、特徴としては、本をためらいなく読むよね?あとわりとしっかりと社会のほうを向いて勉強しているなと思う。それは、白米っていうアウトプットの場を持ち続けているからなのか。

 

二人のことを思い出すとなぜか、白米と一緒にやった公演とかよりもタカシナのいた劇団の本公演をいつも思い出す。なんか、タカシナは立ち姿がくねくねしてるんだよな。なんで立てているのかわからない、そんな風な立ち方のまま殺陣とかやるんだ。敵なのか味方なのかわからないまま、関係性を切り結び続けているんだ。

 

あと付け加えると、私は酒が飲めない。

正確に言うと、タカシナやジュン・チャンと会っていたころには飲んでいなかった薬を服用しているので酒を控えている。だから、「会って飲む」が達成されて、そこを観測することができても、わたしはきっと素面だ。

 

たぶん子供のころも、きっと私は誰の文通相手にもなれていなかった。私の手紙はいつも過剰で、自分の話ばかりだし何なら空想だったりするし、相手からのより23枚便箋が多かった。そんなだから、ちゃんとやりとりを成り立たせているふたりの往復書簡はめちゃくちゃうらやましい。行間に流れる、やわらかい風と湿り気に嫉妬する。追いかけて、同じ風のにおいくらいは嗅げたらいいな、と思う。真似してみたいなとも思うけれど、たぶん私の書くものは別のものになるだろうな。だから、

 

二人の手紙の、観測はじめます。

自分の定期の範囲から少し出られたらいいな。



追伸

タカシナの第三便を読んでいろいろ気になることがあったけれど、まぁおいおい書いていこうと思う。まずはジュン・チャンの返事が気になります。


追伸2

今日は割と私健康だから、不健康な日にまた書くね。


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第三便

タカシナです。第三便ですね。
耳鼻科でたいそう痛い処置を受けた悲しみをいまここにぶつけています。と言うのは半分嘘で、帰り道を歩いているうちにだんだん書くことを思いついたので書いています。

 

体調不良の話なのだけど、私は特に思春期というか、中学高校に通っていた頃が一番、体調が安定せず常にしんどかったような記憶があるなあ。今も根本として体調の揺らぎやすさは変わってはいないけど、つきあい方が分かってきたので幾分マシになったかな、と。

中高生の頃は、どうしてこんなになにもかもしんどいのか自分でも分からず、複合的な要素をひとつひとつ解いて言葉にする自分の身体への解像度も持てず、周囲からも怠惰とみなされがちだったし、原因も対処法もわからなかった。そんななか、毎朝同じ時間に起きて学校へ行き、授業を受け、体育では走り……と、軽微な体調不良では逃れることのできない隙のないタイムスケジュールで毎日過ごさなければならないつらさというのはなかなかだった。適宜サボりつつ卒業したけれど。

その頃の、中高生の頃の生きづらさというのは強烈な印象として私の中に残っており、このツイートでも触れた通り

 

コーヒーをこぼしたままのリノリウム 泣いてばかりの十代だった

佐藤りえ 『フラジャイル』

この歌のような感覚だった。しなければならないことは目の前にあってやらなきゃと思っているのに泣き疲れた身体には力が入らない。床にへたりこんで、もう戻らないコーヒーを、眺めていても片付かない床をただ見ている。そんな気分。
当時の私がなにに泣いていたのか、なんでコーヒーをこぼしただけで世界が終わるくらい辛かったのか、今となっては遠い過去だから思い出せないことも多い。
ただ、最近になってふと、当時の私がもっと自分の身体のことを知ることができていればな、と思うこともある。どれだけ周りの言うことを聞いて昼間運動したり夜にお風呂に入ってみたりしても、頑固な不眠はそれだけじゃ治らない。起きてすぐの動けなさもそう。そもそも朝起きられないときは、すでに精神を反映して身体が限界になっているからもう諦める。生理や気圧やストレスは要注意の要素。あと、ご飯食べた後眠くなって5時間目に大好きな授業なのに寝てしまうのは、必ずしも怠惰だけが原因ではない。
それら全て、私が持って生まれた体質で、もしかしたら夢のように治る方法もこの世にあるかもしれないけどまあ2021年2月時点の26歳の私はそれを知らない。今のところ、だましだまし付き合う以外の方法を知らない。
なんて不便な身体なんでしょう。
もっと強く生まれていたら、怖いと思うものも今よりずっと減っただろう。もっといろんな方法で人を助けたりもできたのかな。これは笑って聞いて欲しいのですが、私は本当の本当はタフに人助けできる感じの人になりたかったのかもしれない。心も身体もタフに、目の前の人を助けられるような人に。アンパンマンを心から尊敬している。彼は「タフ」とは少し違うかもしれないけど。でも、アンパンマンのように他者へ優しくあるためには、ある種のタフさは必要な気がする。


遠方に暮らす祖父の部屋の壁には、祖父の琴線に触れた記事の切り抜きなんかが色々貼ってあるのだけど、そのなかに「自分を救え」というものがあった。花に埋もれたなかに寝そべる女優さんが強い眼差しでこちらを見据える、それは美白化粧品の新聞広告だったのだけど、祖父は宣伝された商品とは関係なくキャッチコピーに惹かれたらしい。「自分を救え」という言葉のその下に、力強く赤ペンで線が引いてあった。
その頃祖父は腰を悪くして入院し、退院しても体力が落ちて以前のようには本を読めず、酷く落ち込んでいた。一番の趣味を満足に楽しめないなか、どんな気持ちでその記事を切り抜いて、赤線を引いたのだろう。自分を救え。


私は自分ひとりを救うのにもまだまだ難航していて、他のことまで手が回らないままここまできてしまったけど、それでも、自分の身体の好調/不調、快/不快の理屈は中高生の頃よりはわかるようになった。
その意味ではここまで生きてきてみてよかったかなと思わなくもない(BGM:私は今日まで生きてみました*1)。少なくとも、中高生の頃の、この先もどうせこのまましんどいままなんだと思っていた頃の自分には、10年くらいするともうすこし楽になってる部分もあるかもよ、とは言ってあげられるかもしれない。まあ別のしんどさは随時発生するので人生もぐら叩きですが。


そうそう、ジュン・チャンとは互いの卒論を読みあった仲だった。卒論ってそこそこ長いし読むのに骨が折れると思うので、きちんと読んでアドバイスをくれる友人がいるという事実そのものが、当時の私には救いでした。その節はどうもありがとう。
改まってそういう話をしたことはないけど、世界史をさっぱりやってこなかった私にも、ジュン・チャンの言うことのうち少しはわかるような気がする。私が自分の日本近現代史専攻としての卒論のテーマに優生思想を関係させたのも、


このエピソードがひとつのきっかけだった。この、きっぱりとした言い切りの強さからは、歴史学の学問としての矜持や使命感までもが感じられた。見るのが嫌になるようなものだとしても、ちゃんと見なきゃいけないと思った。

そんなわけで、卒論のテーマが優生思想に関するものだったのでその辺の論文のコピーが家にまだあって、先日ふとそのなかのいくつかを読み直していたら、こんな一節があった。

「われわれは、個人が自分に都合よく生きようとする場面で動員されている優生思想、つまり『内なる優生思想』が確かに存在しており、それは『国家の意向の内面化』という説明で決着がつくような代物ではないことに気づいている」

 

松原洋子「<文化国家>の優生法ー優生保護法と国民優生法の断層ー」

現代思想』第25巻第4号,青土社,1997年,p.8-21 


ちょっとした思い出話。私は自分の卒論を、出生前診断について述べることから始めた。自分が優生思想に関心を持つきっかけは複数あったけれど、出生前診断もそのひとつで、だから言葉選びにはかなり神経を使ったけれどその話題を書くこと自体には疑問はなかった。
口頭試問(めちゃ緊張した)が一通り済んだあと、それまでの試問よりは少し軽い感じで教授に聞かれた。
「これは卒論の中身からは少し外れた、個人的な関心からの質問なんだけど。○○さん個人は、ここに書いてる出生前診断にはどういう意見なの?」
予想していなかった質問で、頭が止まってしまった。あれだけ「はじめに」で書いておきながら自分の意見がまとまりきっていなかったことを痛感して顔が真っ赤になったのを今でも覚えている。
「どういう選択をするにせよ、それは実際育てる夫婦の意志であればこそ許容されるもので、周囲や社会が口を出すべきではないと思う」みたいなことを、百倍しどろもどろに答えて、帰った。帰り道、たぶん試問は大丈夫だったということより、最後の質問のことばかり頭を巡った。


今考えても、出生前診断について、自分の意見自体はあのとき答えたものとあまり変わりない。しどろもどろだったけど答えの中身自体は自分のなかから出たものだったらしい。だけどその分、先に引用したような「内なる優生思想」との対峙の仕方を考えてしまう。「国家の意向の内面化」で説明できたならいっそ楽だろうけどそうではなく、私自身が、自分のなかにある差別や、偏見と向き合っていかないといけない。
結局、ひとつを許すことはだんだんとその延長にあるものまでも許すことに繋がる、と思うから、つらかろうが、やるしかないのでしょう。


ジュン・チャンが前回の返信で書いていたこと。

大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。僕だってそうだ。

私もそうです。
例えば今までしてきた話だってそう。正直、自分がもし仮に子を産み育てる立場となってみたら、私はその子になにも求めずにいられるだろうか。幸せであって欲しいという思いに隠して、たとえば健康や、力や、美や、知を求めたりはしないだろうか。求めたら、それが叶わなかったときに失望せずにいられるのか。センシティブな話なのであえて抽象的な話にして逃げを打っています、ごめん。


話題を変えます。なんとこの話題も重たいです、びっくりだね。

自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。

という、これも前回の返信から、読書日記の抜粋について。

以前、発達障害当事者の方がTwitterで「もし自分の発達障害を消せるとしたら、消す?消さない?」というアンケートをされているのを見たことがある。結果ははっきりとは覚えてないけど割と拮抗していたように思う。リプライも盛り上がっていた。
そのときの私は、それを見ながら結構悩んだのを覚えている。当事者ではないにせよ自分の生きづらさ、の原因が例えばやたら繊細で過敏な傷付きやすい精神性だとか、そういうもののせいだとして、じゃあそれを取ったら私は私なのだろうか?と。


以前、飲みの席で管を巻いている時に、ふと口からついて出た言葉、確かこんな調子だったような。
「もうなんかこれくらいの年齢になるとさ、自分がこじらせてるとかめんどくさいとかそういうのはもう自分で分かりきってることだし自覚もあるけど、じゃあそれを治したら治したでその自分を私が愛せるかって言うと、多分違うと思うんだよねぇ。多分さあ、散々自虐で自分のことこじらせとかめんどくさいとか言ってても、そういう自分をほんとのとこでは嫌いじゃないってのが最大の問題なんだよ。変わる気ないもん。そこ込みで自分だと思ってるもん。なんなら自分のセールスポイントもそこに置いちゃってるもん」


なんと清しい開き直り!しかし、これを超える本音が今のところ見つからないのも確かだ。
私は、私でいることでずいぶん苦労もしているように思うが、だからといって結局そういう自分を嫌いにもなれない。


「生きること」そのもの、これを「生活」と言い換えてもほぼ同じ感覚なのだけど、それらには結構明確に、得意/不得意、向き/不向きがある、と思う。

「……できる人が できない人に できるハズって言うのは マズイんじゃないですか」

ひぐちアサ『ヤサシイワタシ』#1 p.31*2

私はこの台詞がとても好きなんですが、ほんとこのマインドでね、生きるのに向いてない人でもなんとか生きられるような世であってくれ~、と思う今日この頃です。弱い私も、弱さも私だし、変えられるとこは変えつつも、根本私として生きていたいし。


なんとか冒頭の話と繋がったあたりでこの便を終えたいと思います。ちょっと話が長いよね。いつも電話も長くなるもんね、仕方ないね。


ところで、ひとつ提案なのですが、ずっと書き出しが私だとなんとなく形式が固定されちゃう感じがあるので、第四便はジュン・チャンから書き出すのはどうでしょう。これは提案として投げておくので返信ください。


追伸:最近の酒事情

祖母がマンションの自治会のクリスマス祝いで貰ったワインをうちじゃ飲まないから、とこちらへ送ってくれたので、最近はそれを鍋で温めて飲んだりしています。この間はオラオラ言いながらみかんいれて煮て潰して飲んだらおいしかったし身体に良い気がしました。幻想。

*1:私にとって「真理」を歌っている曲ベスト10入り確定、吉田拓郎『今日までそして明日から』

*2:この作品、未読ならぜひ読んでほしいです。でも嵌ると引きずられるから明るい気分の時に読んでね

 2/4追伸:自分で読み直してみて人によってはかなりエグい思いをしかねない漫画だと再認識したので、安易にお勧めすべきじゃないと反省、私はとても好き、というところに留めておくね。

第二便 返信

ジュン・チャンです。

タカシナの[まあこれを書いた次の日には気圧やPMSで寝込んでいるかもしれないんだけどね。]を読んだ時、思わず笑ってしまった。僕も全く同じ状況だから。気圧と寒暖の差で、ただでさえダメージを受けているのに、キツイよね。仕事サボりたい。

身体のバイオリズムを考えて生活するならば、月の2週間は勤務時間制限して働けたらなあって、切実に思う。もっと欲を言うならば、日照時間も加味したい。制度に人体を合わせる限界。お布団だけが味方。

 

1月27日、今日はアウシュヴィッツ強制収容所が解放された日で、ホロコーストの日なんて呼ばれている。ポーランドアウシュヴィッツメモリアルでは、例年式典が行われている日であります。動画を見るたびに、鈍臭い自分がよくもまあ一人でポーランドに行って、無事に帰ってきたなあと、しみじみ思う。

曲がりなりにも学生時代、この辺りのことを齧った身としては、色々考えてしまう。世界で一番民主的であったはずの憲法を持った国民が選んだのが、特定の民族や、性的指向性自認が枠組から外れている人、精神疾患を抱えた人を、人として扱わず、虫ケラのように殺していった事実。日本にしても、アジア諸国への侵略・加害、江戸時代からの差別を根底にした沖縄の扱いなど。

「どうして人はこんな残酷なことができてしまうのか」と、子供心に思った日から、知れば知るほどこの想いは拭えない。大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。

僕だってそうだ。

[たぶんその頃もリアルで会ってると思うから、]で、自分の中にあった弱さが引き起こした後悔を思い出した。

タカシナがちょうどしんどかった時期、朗読会の試みをした時だったか、僕はタカシナに対してとても傷つける発言をした。何も考えず発言していて、言った後にハッとしたけど遅かった。自分の中にあった賤視を自覚した瞬間でもあった。あの時も謝ったけど、今でも本当に後悔している。改めて、ごめんなさい。

 

タカシナは『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』を自分の体験とリンクさせて読んだんだね。実はこの本を読んだ時、映像か演劇にできないだろうか、と本気で考えた。逆に言うと、それくらい生々しく生がそこにあると思った。医療人類学の研究論文だから、そりゃそうなんだけれども。

ちなみに、僕は仕事と引きつけて読んでいた。以下は読んだ当初の感想より。

[自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。]

この想いは今でも感じているし、早く僕の仕事が必要なくなる社会になったらいいなあって思っている。幸か不幸か、今はまだ必要な部分があるのも確かだ。皮肉なことに、このコロナ禍になって、「当面は自分にできることをやりきるしかない」と覚悟が決まったところがある。

 

タカシナが自分のマイナスの思考から逃れるために食べていた、というのを読んだ時、最近読んだ上橋菜穂子先生の『明日は、いずこの空の下』というエッセイの一節を思い出した。

[自分の痛みを、他者に伝えるのはほんとうに難しい。そして、他者の痛みを察することもまた、とても難しい。それは心の痛みも同じことで、分かりたいと願っても、探り出そうと問いかける言葉は、いつも、どこか微妙に的からずれていて、応える言葉もまた、どこか微妙に伝えられぬものを残したままで終わる……。(P38)]

上橋先生が高校生の時、悩んでる友人に上手いことが言えなかった、って言うエピソードからきている。当時を振り返ると、僕もタカシナにどんな言葉をかけていいのかわからなかった。何を言っても傷つけるんじゃないかと思っていた。

他者の痛みを、完璧に理解することはできない。でも、だからこそ、想像することから、向き合うことから、逃げたくない。

 

自分がいろんなものから逃れる方法ってなんだろう、と考えると、まず一人旅が思いつく。特に、ポーランドに行った時に強く感じた。もちろん心細さはあったけど、日本語の聞こえない、まったく知らないポーランド語しか聞こえないのが、逆に居心地が良かった。

大分に来てからは、海辺に行くこと、喫茶店で本を読むこと、になっているかもしれない。耐えきれない時は、夜の海に行って波の音を聴きながら泣く。今のところ、平均して年2回の心のデトックスです。あまりに溢れると、言葉になんかならないし、人に縋れないんだよな。

 

序盤から堅苦しい話題が続いたので、我々らしい酒の話をすると、磯丸水産、いいね。行きたいね!どっかおしゃれな街に行ったのに、なぜか磯丸水産で、昼から呑んだよね。イカとかホタテとか焼いて美味しかった〜。一昨年の赤羽といい、我々の昼飲み率って割と高いのかな。というか、常に酒飲んでるのか。

 

酒の話とコロナ禍、地方の一人暮らしということで、つい先週末にやらかした話をするね。

久々に一人で呑み歩いたのと、いろんな事情で暫く呑み納めだったのと、大好きな友人何人かに偶然会えたので、ご機嫌に呑みまくった。

短時間でチャンポン(焼酎、ハイボール、ビール、ウィスキー、日本酒)×10杯呑んだ結果、帰途・帰宅後の記憶はあるのに、帰宅前の1時間の記憶が抜け落ちていた。

なぜ記憶がないことに気づいたかというと、朝起きてふとLINE見て「え?なんで僕、23時にこの人に電話してるん?そういえば昨日、隣に座っていた?え?座っていた?」となったから。酔っ払って近所の友人を呼びつけていたようだが、そこだけ綺麗に抜け落ちていた。ここまで人に迷惑をかけたのは初めてで自分でもびっくりしたのと、「呼ばれたお前もなんでいんねん!」のダブルパンチのびっくりだった。謝罪した。一人で飲み歩くとずっと呑み続けてしまうのと、3軒目なんて行くタイミングには、そもそも脳味噌寝てるんだよな、と本気でヤバいと自戒した。

歩いて帰ったし、家計簿書いて財布の中身も整理して、寝巻きに着替え歯磨いて寝てるのに。オートメーション化こわい。記憶がない、ここ数年増えてはきていたが、今回はかなりの恐怖だったぜ。電話して人を呼びつけた記憶がないってさ、ハハ…。

 

ここまで書いといてなんだけど、呑みに行けないタカシナにこんなこと話すか悩んだんだ、これでも。酒の肴にしてくれ。

こっちに来てからは焼酎ばっかり呑んでいる。冬は黒霧島、夏は木挽ブルー。最近は西の星がさっぱり感じて美味しかった。

よかったら、記憶がなくならない程度に呑むアイディアをくださいませ。

お互いPMSを乗り切ろう。

第二便

タカシナです。この度は、なにかを始めたいっていうふんわりしたやつに乗っかってくれてありがとう。返信、ふつうに楽しんで読みました。


昨日ジュン・チャンにTwitterでお勧めされた磯野真穂さんの書籍、『ダイエット幻想 やせること、愛されること』、そういえばと思ってKindleの底の方をあさってみたら、ありました。筑摩の電子書籍Amazonでセールになっていたときに購入していたのだった。まさにデジタル積ん読


で、読みました。面白かった~!

とりあえずわーっと一気読みして、今その興奮のままにこの第二便を書いています。示された論点の多さに伴って読み終わっての感想もいくつかの側面があり、まさに昨日受けてきた講座で示されたルッキズム・エイジズム・セクシズムのこと、それから身体の自己管理という名で行われる社会的な要請の内面化、とか、数値で管理した食事が奪う「ふつうに食べる」こと、及び食べること以外でも実は簡単に身体から失われる「ふつう」のふるまいのこと、とか、いろんな事を思ったのですが。


せっかく第一便で「孤独」の話をしたので、少しそれに関連づけて私の「食べること」の話をしてみようかな、と思います。


私は第一便で「書くことで孤独になれる」と言った。それは間違いではないけれど、綺麗な言い方を選んでいる感覚もある。

確かに書くことや、本や漫画、演劇などを楽しんでいるときも、私はひとりだ。

ジュン・チャンの返信にあったように、違国日記では(おそらく意図的に)よくそういうシーンが差し込まれているよね。えみりちゃんがひとりで自分を救いうる映画をじっと見ているあの顔。シャーペンを一人カチカチと打つときの顔。槙生ちゃんがパソコンに向かっているときの横顔。朝が暗い部屋でスマホの灯りだけ頼りに槙生ちゃんの本を読んでいるときの顔。友人や家族に向けるものとは違う、ひとりのときの顔。

そしてまさにジュン・チャンが言うように、「人は人の中にいてもひとりで、でも、ゆるーく周りの人と繋がってんだよなあ」なんだよね。


創作行為それ自体や創作物につかのま溺れるようにすることでひとりの時間を得る、というのはなんというか、割と健全な部類の「ひとりになる方法」だと思う。依存性も比較的少ないのではないかな。それが故に、例えば「なにかが不安でしょうがない」といったような状態の人には、気持ちをそらすことができるような趣味は如何ですか、の文脈で、「気楽な映画でも見たら」というようなアドバイスをされることがある。

これが例えばお酒やギャンブル、性行為みたいに、快楽も強いけど依存性も強くリスクが多く伴うものだと、そうはいかないはず。


『ダイエット幻想』で紹介される、「ふつうに食べること」が身体的な感覚として失われた状態の方々のエピソードを読みながら、私は過食に陥っていた頃、ひとりになりたくて食べていたのだな、とふと思った。

食べたいものを選んで、並べて、食べる。例えば駅前の混雑したファミレス。店員さんが料理を置いて去ったあと、私はガヤガヤとした店内で目の前の食事にだけ集中すればよく、それはかなり上等に「ひとり」であったように思う。

その頃の私は、他人からもそうだし何より自分から逃げたかった。だからもう定義としては孤独、とかひとり、でもないかもしれない。なにかをしていなければ自分から発せられるネガティブな思考ですぐにいっぱいになってしまうから、そのたび食べているうちに、それこそ「ふつうに食べる」習慣は自分からあっという間に失われてしまい、そこに当時飲んでいた薬の副作用も加わってぱんっぱんに太った。たぶんその頃もリアルで会ってると思うから、なにかしらやべえなこいつ、というのはジュン・チャンにも伝わっていたとは思うんだけど。


まあそういう経緯で太ったので、鏡で自分を見る度におそろしいほど自己嫌悪におそわれたんだけど、過食癖がある程度収まってきたあるとき「でもあの頃の私から過食取ったらもっと悪いことになってたな、生きるために太ったんだな」と、開き直りが訪れ、それ以降は適切なダイエットとともに自分を襲っていたものの正体が知りたくて本を読んだりしていた。同じ磯野さんの著書で、『ダイエット幻想』に繋がる位置づけでもある『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』を読んだのもその頃。


過食や拒食を行う当事者の語りが多い『なぜふつうに食べられないのか』は、もう単純にわかる、共感する、という次元で読んでいた。学術書であるということを一旦置いて、私自身が取り込まれている過食について、当事者の言葉のもたらす気付きがすごく多かった。

だからといってすぐに私の逸脱した食行動が即直る、みたいないい感じの話は無かったのだけど。

   

と思いつつ本棚から当該書を持ってきて久々に開いてみたら、「結城も田辺も、過食中に自分の世界への没入を過食の利点として挙げている」(p.225)と、まさに当事者が過食をそういうものとして捉えているという語りの場面があって、ああやっぱり、と思った。

他人からも自分からも逃げて一つのものに集中しているようで、それでいて頭が空っぽでもあるような、私は過食のそうした側面に依存していたのだなあ、と。


鬱状態というのは脳がが使いすぎでオーバーヒートを起こしている状態だから、脳を休める唯一の方法であるところの「寝る」、これしか対処はないよ、とかつて主治医が言っておりました。診察室での一コマなのでどれくらい正しいか分からないけど、実感にはそぐう。

食べ続けるよりは寝るほうがマシだろうか。


実家でステイホーム勢としては、物理的にひとりになれないなかでどうやって「ひとりになる」か、というのは結構切実な問題であったりもします。

間違えると、容易に、なにかしらへの依存で達成されてしまうような気がする。そういう恐怖感がある。

そういう意味でも、書くことや、本や漫画を読むこと、何かを調べたり解釈したりすること、そうした営みを繰り返すことでの没入で自分を保っていられている現在は、結構上手いこと自分をドライブできてるのでは?と思ったりもしています。

まあこれを書いた次の日には気圧やPMSで寝込んでいるかもしれないんだけどね。


幸いにして、鬱だし寝たら起きらんないし起きたら過食だし、というような精神的にめちゃくちゃだった時期というのは既に過去のことなので、今はそういうことはないし、このようにある程度突き放して話すことが可能です。

とはいえ、楽しい話ではないからわざわざ話さないんだけど。初めてくらいに他人に話すんじゃないかな。

二通目にして話題選択がヘビーになってしまってごめんね……。ジュン・チャンと以前から磯野さんの著作については話したりしていたので、というのを口実に、思い切りそっちの話になりました。

時々猛烈にひとりになりたくなるときがあるけど、ひとりといいつつ結局色んな人と関わって、助けられながら生きていくのが実情なんだろうなあ。


ちなみに、ミッドナイト・スワンは見ていません。配信あるのかな。

重たそうな映画を見るのをどうしても避けておかゆみたいな作品ばかり見てしまうので、積み映画も減らないままです。


蒸し風呂行きたいよ〜!いましたいことの上から3番目くらいに、「スーパー銭湯に行って思い切り汗を流した後併設の食堂でジョッキビールを飲み干す」っていうのがあります。

他には「駅ビルのPLAZAとかで特にいま必要ではない化粧品や雑貨を真剣に見て、必要じゃないのに眉マスカラとか買っちゃったりして、帰ってきて開けて使ってみて色味見てなるほど……と思う」とか「磯丸水産イカを焼く」とかがあります。


このあたり、大分/東京、また一人暮らし/高齢者と同居、というようなお互いの暮らす環境の違いによってかなり違うんだろうな。

コロナは、ひとりひとりに正解のない選択を強いるうえに互いのそれを比べてリスクがどうこう、みたいにこれまた答えのない問答や批判をしあう土壌を生んだりもして、嫌な感じですね。うちらも会って飲めないし。


最後になりますが、ジュン・チャンの挙げてくれた好きなおつまみたち、「ホタルイカの沖漬け、ポテサラ、卵焼き、クリームチーズ酒盗の組み合わせ」これ全部私も好きです。この感じだと合わせるのは日本酒と踏んだけどどうでしょう。

今度は、大分のおすすめの地酒を教えてください。


ちなみに私の最近のおすすめは「壱岐」という長崎の焼酎です。妹が買ってきてご相伴に預かったんだけど、すごくて、ウイスキーみたいな熟成したいい香りがします。ぬるーい水割りにすると天国。永遠に舐められる。

https://www.mugishochu-iki.com/selection/iki-supergold22.html


ではでは。

第一便 返信

ジュン・チャンです。

 

昨日、仕事終わりにタカシナに電話したらすぐに出た。

最後に会ったのが2019年の11月だったから、久しぶりに互いの声を聞いた。

たいがい、僕からタカシナに突発的に電話する時は、何かが始まるきっかけになることが多い。いや、多くなってきた。

働き出して初めて公演を決めた時も(喫茶フィガロ冬の文化祭2018への参加)、真っ先にタカシナへ電話した。京大の吉田寮を通り過ぎ、京大病院の前を歩きながら、興奮おさまらず喋ったのを覚えている。

そして昨日の電話は、この往復書簡が始まる契機になったのだった。

 

いつまで続けるかというと、ひとまず会って呑む日までだが、次に会えるのはいつだろう。最後に会った時は、ぱっちと3人で赤羽で昼から飲み歩き、18時に解散したね。健康。

ちなみに、好きなつまみでぱっと思いついたのはホタルイカの沖漬け、ポテサラ、卵焼き、クリームチーズ酒盗の組み合わせかなあ。別府でもよく呑むけど、呑むというよりご飯を食べに行く感覚が強い。おにぎりが美味い店は、何食べても美味い。

あー!タカシナ案内したいなあ!砂湯に埋もれようぜ。

 

タカシナからの書簡を読んでいてふと気づいたのだけど、「違国日記」はそれぞれの「孤独」について扱っているんだなあ。だから違う国(各自)の日記なんだ。文章を書くことだったり、映画を観ることだったり。6巻のエミリの、日常の中でフッと自分の中に埋没する描写がとても好きだった。人は人の中にいてもひとりで、でも、ゆるーく周りの人と繋がってんだよなあ。

 

違国日記6巻といえば、新年会の場面にとても救われた。可視化されにくいAセクシャル圏の人を、その言葉を使わず見事に掬いあげてくれた。「こんなに優しい作品ある泣!?」って感じだった。

 

孤独というと、草薙くん主演の映画『ミッドナイト・スワン』を思い出す。

トランスジェンダーの主人公を草薙くんが演じることにいろんな焦点(ヘテロ男性がトランス女性を演じること、性的マイノリティの悲劇的シナリオなど)を当てられがちだった。

批判はあって然るべきと思う一方で、僕は作品のテーマは「孤独」であるように感じた。タカシナも観た?

 

僕にとっての個人的な「書く」という行為は、荒ぶる自分、呑み込んでしまった自分を整理する行為で、思いついた時や週末に、まとめて日記をつけている。体調のことが主だけど、心に引っかかていることや、感情の揺れなどなど、ほぼ日に書いている。

人と話して吐き出すことも沢山あるけれど、なかなか本心が出てこないこともある。何かに向けるわけでない「書く」という行為は、ひたすら自分と向き合い、一枚一枚剥ぎ取っていく行為だなあと思います。

 

なんかいつも通りツラツラ書いちゃった。まあいっか。「孤独」と「書く」についてでした!

第一便

タカシナです。

ジュン・チャンに、「なんか二人で返事し合うみたいなのを交互に書いてさあ、それをさ、なにかしらの媒体に載せたら白米やってるみたいにならない?」という、すごく曖昧な思いつきを話してみたとき、脳裏には「それって往復書簡って呼ばれるやつなんだろうな」と思ったけど、私は実際には往復書簡というものをきちんと読んだことがないのであえてその言葉は使わずにいました。そうしたらジュン・チャンのほうから、「往復書簡ってやつ?」と言ってくれたので、無事そういうことになりました。
ちなみに一旦書き終わってから、LINEで「書けたけど一回共有する?それともこのままもうあげちゃう?」と聞いたら、あげちゃお、とのことだったので、ジュン・チャンも今このブログで初めてこれを読んでいるはずです。
いいですね、これ。直前まで内容を知らないというのは、手紙らしい風情がある。


「往復書簡 書き方」でGoogle検索したら、公開されることを前提に交わされる文通、というようなイメージでいいらしいです。
なので、私もこの文章を、大分に住むジュン・チャンに宛てた手紙として、なおかつ色んな人に読まれることを念頭において書いています。
文体がいつもに増してふやふやしているのは、そのせいです。


ジュン・チャンもきっと読んでいると思う、ヤマシタトモコの「違国日記」5巻、作家を生業にする槙生というキャラクターが、こんなことを言います。
「書くのはとても孤独な作業だからさ」
これは、事故で突然亡くなった彼女の姉が、生前娘へ向けた日記を書き溜めていたことを知ってのセリフです。槙生の知る姉は文章を書いたりはしない人だったから、どうしてかな、と。作中何度も描かれるように、作家である槙生にとって「書くの」は仕事で、もはや日常的な動作でもあり、しかし彼女はそれをあくまで「孤独な作業」というのです。


文章って、手書きにせよスマホやパソコンで打つにせよ、書こうと思わなければ書かないものですよね。
書くべきことや書きたいことがあって、紙やキーボードに向かい合って、書く。
私自身、なにかしらの文章を書くという行為は好きだし気持ちがそれで救われることも知っています。とはいえ、「書く」というのは、例えば鼻歌を歌うような、あるいは知ってる曲で踊るような気軽さでは行えない。それは、「書く」のであればなにか中身を生み出す必要がある、と気構えているからなのかな、と思います。
でも、もっと気軽に書きたいな、とも思うのです。
書くことで孤独になれるから。


なにかを書いているときに初めて気がつく自分の気持ちがあります。自分の頭の引き出しの、隅々までをさらうようにして、適切なたった一言を探したりしているうちに不思議とあらわれているもの。
それはもともと自分の中にあって、まだ言葉になったり名前を得たりしていなかったから気付かれずにいたもの。
私は、「自分のために書く」というセルフセラピーにあなたを巻き込もうとしているのかもしれません。怪しいですね。逃げた方が良い。


といっても、往復する書簡なので、必ずジュン・チャンとの間にやりとりが生まれるはずです。
この試みは、そっちが目当てだったりもします。
ジュン・チャンと私のやりとりは、はたから見たら果たして成り立っているように見えるのかわからないかもしれないけど、違うもの同士が丁々発止するスリリングさはあるんじゃないかと思います。


初めだからなにか枠組みのようなものを示そうと思えばそうできるのでしょうが、色々決めちゃうと多分続かないので、とりあえずこんな感じで筆を(うそです)置きます。


当面の目標というか、ゴールはタイトルにもあるように、私とジュン・チャンが会って呑むこと。
東京と大分、という距離以上に隔てる事情の多い今ですが、落ち込むのにも疲れたので、始めようと思います。


それっぽく、最後にジュン・チャンへの質問というか投げかけというか、書いて終わろうかな。
好きなお酒のつまみはなんですか?
私は、あえて一つに決めるなら、塩辛かな。
それでは。