次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第七便 返信

ジュン・チャンです。こちらは雨が続いています。止んだかと思うとスコールみたいに降る瞬間もある。湿った土の匂いが立ち込める。今年も梅雨が巡ってきた。蒸し暑い日もあり、おでこに前髪がかかる時の不快度数が高まってきた。髪切りたい、刈り上げたい、デコ出したい。

本当にきた犬スペシャル。大切なもの、愛おしいものを語る時の人間は、本当に生き生きしている。最後の部分はゲラゲラ笑いながら読んだ。破壊神やん。犬、めちゃくちゃ元気なのが伝わってきたよ。文章なのに笑いが止まらなかった。数年前、京都へ遊びに来たタカシナに「純恋歌の歌詞がヤバい」と熱弁された時も、僕は混み合うバスの中で耐え切れず爆笑したのを思い出した。腹筋が割れるかと思った。

 

大切なもの、愛おしいもの、繋がりで、僕は姪っ子の話をしようと思う。

タカシナも知っての通り、僕らが大学生の時に姪っ子は生まれた。身内がいない東京で、姉は一人出産した。立ち会うことはできなかったけれど、生まれてすぐ病院に駆け付けた。今思えば、自分は身内代表だった。少しドキドキしながら部屋に行くと、ふにゃふにゃちっちゃい生き物が眠っていた。姉から抱き取った時、柔らかいなんてもんでない、ふにゃふにゃして軽い、形もはっきりしないような、とても頼りない感覚がした。ここまで当時を思い出しながら打っているが、泣けてきた。寄る歳の波を感じるね。東京にいる間は定期的に姉宅へ行き、成長過程を見守っていた。今思えば、就活や卒論、バイトがある中で、よく行っていたなあと思う。それも姪っ子が大切な存在だったからだと思う。

でも、なんで姪っ子をこんなに大切に思うのか、正直わからない。僕は自分の家族を大して大事には思っていない。むしろ、物理的に距離を取ることで、関係を保っている。ましてや姉のことは、好きでも嫌いでもない。一時期は、自分が子どもを産む気がない分、姉が孫を産んでくれたから、との理由も考えた。時間が経ち、今ではそんな打算的なものとも違うような気がしている。幸いにも、姪っ子について疎ましいと感じる程近くにいないから、ただ大切に思えるのかなあとも考え得る。まあともかく、家族、血縁に執着のない自分が、理由もわからず姪っ子を大事に思うのが、不思議で仕方がない。

姪っ子が生まれてから、彼女が生きる10年先、20年先、自分がこの世を去った後の世の中が、今よりマシになっているように、と思うようになった。姪っ子が生まれたから働こうと思ったし、今の仕事を選ぶに至った。依存的な考えだけど、彼女と出会わなければ、今の僕はなかっただろう。

姪っ子の未来を考えるようになり、昔に比べると生きることに前向きさが湧いてきたわけだが、磯野先生と宮野先生の往復書簡をもとにした著書『急に具合が悪くなる』にも触れよう。本書の「9便 世界を抜けてラインを描け!」で、宮野先生は三木清という哲学者の論を引用し、次のように述べている。

[「受取感情をどれほど遠い未来に延ばし得るか」と三木は言います。死に運命付けられ、消滅するだけの点であっても、世界に産み落とされた以上、その受取勘定を、自分を超えた先の未来に託すことができる。一人の打算ではなく、多くの点たちが降り立つ世界を想像し、遠い未来を思いやること、そのとき、私たちは初めてこの世界に参加し、ラインを引き、生きていくことができるのではないでしょうか。(P200)]

自分が死んだその先に、自分の言葉や行動を届けられるか。この論を読んだ時、そして磯野先生の講義で触れられた時、自分のなかで何かが定まった気がした。

実は僕が連休前に送った山脇益美詩集『朝見に行くよ』でも、未来に向けた決意、覚悟が書かれている。あとがきにあたる「泡の生まれた」の一節。

[この詩集は個人的なひとつの時代をパッケージしたのと同時に、100年先に届きたい気持ちを込めてつくりました。海みたいに、風みたいに、雨みたいに。夕暮れみたいに、朝焼けみたいに、音楽みたいに、コップ一杯の水みたいに、わたしの詩があなたの人生の透き間に沁みていくことを想像します。(P72)]

100年先へ届ける覚悟に打たれると同時に、[人生の透き間に沁みていく]と言い表わすしなやかさに、心震えた。だいたい読み物はまえがき、あとがきから読んでしまうタイプなんだけど、例に漏れず『朝見に行くよ』もあとがきから読んだ。あとがきだけでガツンッと流れに引き摺り込まれた。あの感覚はなかなか味わえない。綺麗な言葉を並べただけじゃ生まれない。未来へ届ける覚悟をして、研ぎ澄まさないと編み出せないものだ。

 

そうそう、電話で話したかもしれないけれど、昨年から今現在まで色々あったので、なんとなく名前の鑑定を受けてきた。「若いうちは苦労する、波がある」と言われ、「納得しかないけどまだ苦労すんのかよ」と内心思った。でも、「姪っ子との繋がりが深い。晩年も彼女が面倒を見る」と言われた。前半の散々な予測に比べて、たったそれだけのことなのに、心がじんわりした。最期姪っ子に看取ってもらえるなんて、僕にとっては贅沢な話。結果オーライ、終わりよければ全て良し。姪っ子の生きる社会が今よりマシであるように、地道にできることをしていきたい。仕事も、白米炊けた。も、今を生きる僕が未来に向けてできることであり、やるべきことだ。

 

ところで、次の話。今月、対話企画『揺らぐin別府』というのを始動する。初回のテーマは同性婚訴訟、レインボーパレードから、セクシャリティ、家族を取り上げる。もしよかったら、このテーマについて、タカシナの考察や所感など聞いてみたい。気が向いたらよろしく頼む。

 

【蛇足】どの作品か忘れたけど、ヤマシタトモコの短編で、ゲイの叔父が姉の産んだ主人公を可愛がっていた、という話を読んだことがある。高校生か大学生か、そんくらいの時期だけど、理由も分からず泣いたのを覚えている。

 

【参考】磯野真穂、宮野真生子『急に具合が悪くなる』

https://www.shobunsha.co.jp/?p=5493

山脇益美詩集『朝見に行くよ』

https://booth.pm/ja/items/2145838

第七便

タカシナです。早く寒暖差が落ち着いてほしい今日この頃。
ジュン・チャンと電話している最中に我が家の犬が部屋に突入してきて、目を離した隙に布団の綿を引っ張り出すという事件があり、電話越しにうちの犬のパワーを感じたジュン・チャンが「次の書簡はもう犬スペシャルでいいんじゃない?」と言ってくれたので、第六便の話は次に譲って、お言葉に甘えて犬の話をします。うちの犬の話。あと私の情緒の話。

愛おしさと疎ましさは私の中で少し近い位置にある感情だと思う。という考えが、もう随分前に、家族について友人と話していてふっと出てきたことがある。自分では感覚的に結構しっくりきた考えだったのだけど、うまく説明ができなくてそのままLINEは流れていった記憶がある。

例えば父親がうちの犬を見て心から可愛い可愛いと言っているのを見たときに、羨ましいなあと思うことがある。可愛い、愛おしいという気持ちを純度100%で抱いててらい無く表出するまっすぐな単純さが私にはないような気がする。
それでも犬が家に来て、私の情緒はかなり発達したように思える(語弊のある言い回しだが、実感としてそうなのだ)。犬は可愛い。たぶん可愛いから怖くて怖いから疎ましい。犬を見ていて、「は~可愛い可愛すぎる~~~」と思う、その気持ちが臨界に達すると切なくなる。こんなに可愛い存在が恒久でないなんて信じられない。千年一緒にいたい。でもいられないので既にほんの少しだけ悲しい。でも永遠の命が幸福をもたらさないことはヴァンパイアや鬼をテーマにした作品を通して嫌というほど知っているので、結局のところこの幸福な日々を享受して大切に過ごす以外にない。
幸福な日々、といっても日々の中に多くの出来事があり平坦ではないのだが、いつか振り返ったときに犬がいるということだけで絶対幸せな日々だったと思い返すときがきっと来ることを知っている。犬はまだまだ元気な盛りでこんなこと考えるのは気が早いにもほどがあるが、それにしたって犬が来てもう二年も経ってしまったのだ!そのことを思うと泣けてくる(現に今これを打ちながら私は泣いている)。
時の過ぎるのはあまりに早く、なんでもないような日々が続いていってもう二年経ってしまった。私だってその分歳をとっている。犬の時間は人間より早く過ぎる。そのことを考えると泣いてしまうので考えないようにしている。でもきっと人間の言う「ちょっと待ってて」の「ちょっと」は犬にとってはこちらが思うよりずっと長い時間なんだろう。10分くらい別の部屋にいただけでも、顔を見せると尻尾をぶんぶん振ってくれるのだから。
いつか必ず取り返したくなるようなかけがえのない日々を今送っていて、そのことはよくわかっているはずなのだけど、日常に忙殺されているとそのことを忘れてしまう。時々自己嫌悪に陥ったりもする。もっと犬を大切にしてあげたいのに余裕がなくてできない、というのは言い訳に過ぎない。そんなダメな飼い主でも犬はよく懐いてくれて、例えば犬が寝ている側に私が座ると薄目だけあけて、大儀そうにもそもそ動いてこちらへ寄ってきて、身体のどこかしらを私にくっつけて、ふん!と鼻息をひとつ突いてまた眠り出す。寝ている犬の身体は暖かくて重い。可愛いなあ、と思う。私にくっついて安心するならいくらでもくっついておいで、という気持ちになる。
こういう、ものすごく大切で、守りたくて、失いたくない、幸せでいて欲しい存在ができたということは、人生のエポック(違国日記より)でもある反面、責任の重たさも相当感じる。こと犬に関しては、幸せでいてもらうためにはなにより私達飼い主が健康でいて、十全な飼育をし続けないといけないわけだから。

冒頭に書いた愛おしさと疎ましさについて今一度考えて見ると、それは相手が人間にせよ犬にせよ、次のような要素からなのではないかなと思う。愛おしいとか大切だとか思えば思うほど、その対象や関係が永遠ではないと思い知ること。それに加え、そうした関係には自分が相手に対してしなければならない義務やしてはいけないタブーというのが必ずあるわけで、そうした責任や縛りが自分に対して発生すること。でもその責任や縛りが必ずしも不愉快な訳ではなくて、重たいけれども信頼を感じるものでもあり、だからなんとなく、それをもにょもにょと言葉にしようとすると、「疎ましさ」という言葉になるのだけれど、だからといって手放したいわけではないということ。ただ、ときどきまとわりつくような生暖かい湿っぽさを感じてしまう、それは私の性分だろう。そして犬が家に来て、少なくとも犬の与えてくれる生暖かい湿っぽさを私は愛することができる、と知った。犬にはきっと伝わらないと思うのだけど、犬はいるだけで私を救ってくれる、それは例えばそういう面においてだ。私は犬を心から、掛け値無く愛し慈しむことができる自分を発見して、結構救われた。

犬ののろけをたくさんしようとしたのになぜか大真面目な犬賛歌となってしまった。でも、何となくずっと心の中にあって触れると泣いてしまうから書けなかったことを文章にできて少しほっとしています。ジュン・チャンにあててだから書けたのだと思う。ありがとう。

これだけだとうちの犬が爆裂元気であることは伝わらないと思うので最後に少し書き添えると、最近雨漏りを直しに来てくれた大工さんが我が家のあちこちをついでに検分してくれたのですが、犬由来の破壊が少なくとも二カ所ありました。壁を食わないでくれ。ドアに体当たりもしないでくれ。犬、ドアに体当たりして寝室に入り、寝室のベッドの下をくぐり抜けて隣室への柵を鼻でこじ開けて妹のリモート仕事部屋へ突入する経路を最近発見したのですがその間10秒ほどなのでだれも捕まえられない。神速。バーン!!!テケテケテケ!!!ガシャガシャガシャ!妹の元へ犬光臨!といったスピード感(伝わって欲しい)。元気。

第六便 返信

お久しぶり、雨上がりの大分からジュン・チャンです。

4月は前半に朗読、後半に云年振りの裏方で、我ながら詰め込み過ぎた。

本番が4月でも、準備は2〜3月から進めていくから、特に後者は小屋入りを彷彿とさせた。仕事帰りの鍵閉めに、学館の退館を思い出した。振り返るとみんなよくやってたよなあ。体力が保たないよ。

とはいえ僕は楽しかったし、関わった人達の次へと繋がっていったらいいなあと、毎度のことながらささやかに願っている。この想いは学生時代から変わらない。むしろ時を経て、強くなった気もする。

タカシナはどんな気持ちで舞台に関わっていたのかなあ。役者と制作だと、ちょっと違ったりするのかな。

 

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取り止めのない話、ということで。

返信だから、まずはタカシナの書簡につらつら返信をする。

ポイントを切り出してる自覚はあるから、不愉快に思わせたらごめん。僕がビビッと印象に残ったところというので勘弁してくれ。

 

[私は、私の周りの人達がそれぞれに交わし合ったり、私に向けてくれていたりするものを別に疑ってはいないし、幸運なことに、世の中に愛のようなものが確かに存在することも知っている。でもどうも、自分をそこに代入すると考えがバグってその先へゆけない。似たような特徴のセクシュアリティは調べれば出てくるのだけど、名前を付けたら状態から属性に固定してしまうような気もしてあまり深く調べていない。そのうち変わるかもしれないし、このままかもしれないなあ、とも思っている。](第六便より)

僕は自分の性別違和、というか存在への不確かさを感じながら、悶々とした子ども時代を送ってきた。

大学でジェンダーセクシャリティに関する文献を漁ったり、講義を取ったりするのは必然だった。実家にはインターネットに繋がるような機器もなかったから、益々情報は得られなかったし。

あの頃の自分は、どうやって自分を認めてやったらよいか分からなくて、必死にしっくりくるカテゴライズを探していたように思う。

ちょうど僕達の在学中にLGBTQなんて言葉が出てきて、社会的な認知に繋がってはいったけど、それもまたしっくりこなかった。「そこに僕はいない」そんな感覚が拭えなかった。

一方で、あるカテゴライズに積極的に迎合しようとすると、自分自身の物語を見失う、という側面も僕は理解している。マイノリティ、精神疾患のラベリングが有名な話だと思う。

じゃあ、どうやって自分を認めて、受け入れて生きていけるのか。

完璧な答えはないけれど、周りの人とどう関係を築き、その中で過ごしていけるか、だと思う。今は自分を否定するものがあまりない中で、ぬくぬく過ごさせてもらっているから。居心地が良い。子どもの頃に得られなかった感覚を、今更追っているのかもしれない。

 

[たとえば恋愛は、してもしなくてもよいものだとよくよく頭では理解しているのだけど、それでも時々普通に普通の恋愛ができないままでここまできたことに、足下が寒くなるような心地になる。自分には何かが欠けているのかもしれない、と思い、それがバレないようにより陶冶された人格というものを目指していた頃もあった。誰にでも公平に優しく嫌いな人を作らず悪口を言わず、という運用を(実際にできていたかは別として)目指していたら疲れてしまった。生まれつき優しければよかったのだがどうも私は違ったらしい。強くて優しいアンパンマンに生まれたかったが違ったので馬力で解決しようとしたんだな。長続きはしなかった。](第六便より)

タカシナはよく言っていたよね、「アンパンマンみたいになりたい」って。

僕もそう思ったけど、無理だった。僕は自分や友人を貶める奴が許せなかった。「嫌いになった」じゃない、「幻滅した」のだと今ならわかる。

この辺りの話は朝まで生テレビばりに電話で話した通りなんだけど、今回関わった展示「もやもやしてることにとことんもやもやしたい」を経て、以前よりは気持ちが凪いできた。自分にしろ相手にしろ、憎み続けることは苦しいね。

未だに謝罪はないけれど、もう関わることもないからどうでもいいや、と本格的に思っている。

父を長らく憎悪していた時のことを思い出した。学生時代、18切符で故郷を旅した時に、ある種の諦めがついて楽になった。

 

恋愛至上主義でモノを見る輩に違和感を覚える。人の関係性はもっと多様で鮮やかだ。男女が2人でいる=カップルは違う。女の形だからって勝手に幻想を抱いて、僕のことを見ようとしない奴も不愉快だった。

この辺のことを丁寧に描いた作品によしもとばなな『王国』シリーズがあるが、最近読んだチェ・ウニン『わたしに無害な人』も良かった。今日読み終わったんだけど、これはやばい小説だった。ぜひ読んでみて。

 

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こんなにつらつらでよかったのかな。まあでも4月だしね。許してくれ。

季節の変わり目、お腹が冷える。まだまだ寝る時は腹巻がいるね。お互い自分を大事に過ごそう。

 

徒然なる追記。

・温泉に浸かりながら、よく死なず狂わず生きてこられたなあと思った。読書や演劇への没入、運良く良い人達に巡り会えたからだなあとしみじみ感謝した。

・ちょっと前に「おとなりコンプレックス」っていう漫画を読んだ。定番ちゃ定番の幼馴染もの+男らしい主人公と女装の似合う幼馴染というこれまた定番の設定。この幼馴染が「女として好きなんだ」等言う場面があって、まあもちろん2人はくっつくわけだけど、なんか残念だった。

第六便

お久しぶりです。私が書き始め、ということに決まってからひと月くらい経ってしまった。さぼっていたわけではないのですが、春なので……。今回は何となくとりとめのない話になってしまう気がする。書き方を忘れてしまったような気がする、というのと、日々色々なことに怒ってはいるけれど、いまここでそういう話がしたいわけじゃない、というのと。


どこにいてもそこが自分の本当の居場所とは思えない、というような話が好きだ。寄る辺なさのようなもの。学生時代、オールの飲み会の賑やかな座敷を抜け出してコンビニに行くときの、店から外へ出る階段を降りて深夜の静まりかえった街のアスファルトを踏んだ瞬間の気持ちのような。あるいは、行くあてもなく高速バスの行き先一覧を眺めているときのような。

ずいぶん前、ジュン・チャンと一緒に関わった劇も、そんな話だったように思う。

あと、キリンジの『十四時過ぎのカゲロウ』という曲の「水辺の生き物だから 陸(おか)では生きてゆけない気がしている」という歌い出しがまさにそれで、夏になるとよく口ずさむ。自分のことを水辺の生き物だと思うと、少し気が楽になるときがある。


村田沙耶香『地球星人』を読みながら、そんなことを思っていた。私はどこの誰でありたいんだろう、と。そして『地球星人』があまりに面白くてますます恋愛とは、そして生殖とは…みたいなことを考え込んでしまった。私が小さい頃からぼんやり思い描いていた人生双六には恋愛結婚出産育児ってまっすぐ書いてあって、なんのために、みたいな問いはそこにはなかった。


私は、私の周りの人達がそれぞれに交わし合ったり、私に向けてくれていたりするものを別に疑ってはいないし、幸運なことに、世の中に愛のようなものが確かに存在することも知っている。でもどうも、自分をそこに代入すると考えがバグってその先へゆけない。似たような特徴のセクシュアリティは調べれば出てくるのだけど、名前を付けたら状態から属性に固定してしまうような気もしてあまり深く調べていない。そのうち変わるかもしれないし、このままかもしれないなあ、とも思っている。


たとえば恋愛は、してもしなくてもよいものだとよくよく頭では理解しているのだけど、それでも時々普通に普通の恋愛ができないままでここまできたことに、足下が寒くなるような心地になる。自分には何かが欠けているのかもしれない、と思い、それがバレないようにより陶冶された人格というものを目指していた頃もあった。誰にでも公平に優しく嫌いな人を作らず悪口を言わず、という運用を(実際にできていたかは別として)目指していたら疲れてしまった。生まれつき優しければよかったのだがどうも私は違ったらしい。強くて優しいアンパンマンに生まれたかったが違ったので馬力で解決しようとしたんだな。長続きはしなかった。


頭で理解することと感情で納得することは別で、頭では分かってるけど気持ちが追いつかない、ということはよくある。最近、というよりずっと考えてるのは、世のそもそもの価値観として、論理的/効率的/儲けを出す、みたいなひとまとまりのイメージが「強い」、「良い」とされていて、その逆は否定されがちであること。初めから前者が良いものと決まりきっていたら、どうやっても収益が薄い分野のものは軽んじられるし、その際に「感情論だから」とか「非効率的なことをしているから」といわれると批判としてなにかクリティカルな感じがする。でも元々、二項対立のどちらが優れているか、ではなくて得意分野の分担でしかないのに、と思う。例えばここに男女の二項を代入するとステレオタイプな男女像が浮かんでくるけれど、それもお互いに性別ではなくて、得意な方、やりたい方を選ぶことに躊躇いや不安のない社会になったらいいのに。その方がずっと創造的だ。


世の中、とか社会、とか打つと指がむずむずする。そして急激に気圧が下がってきた感じがして頭が重たくなってきたので、このあたりで一区切りにするね。

ジュン・チャンの、とりとめのない春の話を言いたい放題聞かせてください。


 

第五便 返信

お久しぶりです、タカシナです。
暖かくなったらテキメンに喉まわりの調子が良くなってきて、自分でも笑ってしまう。乾燥は私にとっての強敵のようです。
ジュン・チャンがこれまでの書簡を読み返した、と言っていたので私もそうしてみた。一便めに書いたこととかもう完全に自分でも忘れていたので少しくすぐったい気持ち、既に過去だね。過去の手紙を箱から取り出して読み返している気分。その時々に思ったことを取り留めなく書く、という行為が後々読み返す楽しみも生むとは、私にとってはあまり考えていなかったことで、いわば棚からぼた餅というやつです。ああ、生協で買ったおはぎをそろそろ解凍してお供えしないとお彼岸が終わってしまう。日々は生活として忙しなく過ぎてゆくね。

 

第五便を読んで、しばらく、返信を書けずにいました。
ジュン・チャンが写真で載せてくれた文章を読み、打ちのめされていた。
まず、冬の深夜の冷え切った空気みたいな、さえざえとした、読んでる間中喉元になにか突きつけられているかのような切迫した印象の文体のことを思った。それは、当時のジュン・チャンにとっての真実しか書いていない文章だからだろうとも。そして、18歳にこのような文章を書かせた経験のこと、私が出会った時点でジュン・チャンが立っていた地点のこと、などを思った。この時期になる度に思うけれど私はずっと、震災のことから逃げてきてしまっているから、何も言えない。言えないなと思って、そのまま、返信を放っておいて、11日も過ぎて、今になってしまった。ごめんなさい。この期に及んで逃げている、自覚はあります。

 

経験していない苦しみに対しては、なにも言うことができない。本当に、ジュン・チャンの言うとおり、「寄り添い見守るくらい」しかできない。でも本当は、もっと知るべき事はあるのだとも思っているんだけど、これは私の怠慢の話だな。
ああ、私のような人のためにジュン・チャンは『この世界の片隅で』のような活動をしているのだね。分かったような気がします。
ツイキャスに残してくれた朗読の練習の履歴を寝る前に聞いているんだけどすぐ寝入ってしまうからなかなか通して聞けなくて、と以前LINEで話したあれは半分本当で少し嘘です。最初にツイキャス音源の存在に気付いたとき、『捜す人 津波原発事故に襲われた浜辺で』の朗読のうちひとつをぱっと再生して、少し聞いて、すぐに内容のつらさに参ってしまったから、これは昼間には聞けないと思ってそれで寝る前に聞くことにした。私が自分の弱さを嫌になるのはこういうときだ。だって否応なしにその現実にさらされているひとがいるのに私は逃げることができるから逃げるって、そんなのずるくないか。そう思うけど、昼間にはやっぱり聞けなくて、深夜に聞いている。


山脇さんの詩集読みたいです。送るよっていってくれたけど甘えていいのかな。逆に私も読み終わった川上弘美のなんかうねうねしてやばい小説を送りつけようかな。送料という概念ね。


そうそう、「伸ばされた手を掴むことより、手を伸ばすことのほうが難しいのかも」のくだりを考えるきっかけになったのは、『少女革命ウテナ』というアニメです。
というか先述の言い回しはあまり正確ではないな、と読み返して自分で驚いたのでより丁寧に言うと、「誰かを救うために手を伸ばすことより、救われるためにその手を掴むことのほうが難しいし、救いを求めて手を伸ばすのはもっと難しい」というのが、私の言いたいことだったように思う。まったく雑な言葉でごめんなさい。
つまり、救いを与える側と救いを求める側ならば、場合にもよるけど後者の方がより高い心理的ハードルを課せられているのではないか、ということ。私には、助けてほしいと手を伸ばすのが簡単な行為には思えなくて、それよりは助ける側に回る方がいくらか楽なんじゃないかなあ、と、そんなひねくれたことを考えていた。非対称性、優位性の問題かな。


昨日LINEしていても思ったけど、自分を無意識にマイノリティ側に入れて考える癖のあることに自覚的にならないといけないな、という自戒とも通じるかもしれない。
私はある属性においてはマイノリティなのかもしれないが、別の属性ではマジョリティ側にいて、だからこそ、マイノリティの顔をした自分のふるまいが無意識的にマジョリティとしての暴力を帯びていないか、考えないといけないな、と。そしてマジョリティはすぐに弱者としてのマイノリティを「助ける」みたいに言いたがるけど、それってどうかな、助ける側に立ちたいからじゃないのかな、とか。
『こんな夜更けにバナナかよ』を読み返す時期なのかもしれない。


終わりに、私が語りたいだけの『少女革命ウテナ』の大好きなシーンの話を(未見の場合に備えネタバレを避けて)します。
ある人はいま、目の前にいる人からまっすぐに救いの手を伸ばされている。この手を取ってくれと懇願されている。だけどその人は、自分が手を取れば相手が取り返しのつかない犠牲を代償に払うことになると知っている。相手は己の身に降りかかる代償のことなど知らないがとにかく、自分の全てを捧げてでもその人のことを救いたいと一念に思っている。その思いも分かるからこそ、「あなたを犠牲にしてまで救われたくはない」「でもあなたが望むのは私がこの手を取ることだ」というジレンマから、その人はボロボロと玉のような涙を流す。この涙の描写がものすごく印象的で、これは相手が犠牲になることを利用してでも自分が救われることを選ばなければならないがゆえのつらさなのだと思った。救う方と救われる方ならどちらがつらいのか、なんてことを考えるようになったきっかけのシーンだ。大変抽象的なアニメであり、これもあくまで私の解釈ですが。


往復書簡の往路と復路、両方経験してなるほどなるほどとなりました。書き出す方と受け取る方では違った意識になるね。
もしよければ、つぎはLINEでじゃんけんでもして勝った方から書き始めて、それ以降は交互に書き初めを担当、とかでどうでしょう。


暖かくなるまで生き延びる、という短期目標はおかげさまでなんとかなりそうな気がしてきたので、次の目標は夏まで生き延びる、ですね。茗荷をたくさん食べる。

第五便

2月はあっという間に走り去り、3月。

気温が上がったり下がったり、雨が降ったり。年度末の慌ただしさも加わって、ちょっとぐったりしていたジュン・チャンです。

今週末は、別府のお魚大臣(※料理人の友人)のご飯で、エネルギーチャージした。タカシナは息災か。

 

タカシナから第四便の返信をもらった時点で、今までの往復書簡を全部読み返してみた。読み返してみると、通底しているものがある気がした。我々は、自分達が感じてきた「生きづらさ」「でも、どうしようもなさ」を言語化し考察している。まさに政治的活動だ。

そして、第四便では対話という実践法の難しさに触れた。理解しあおうとする、というのは、お互いに痛みを伴う。

対話の先、思考や行動にまで変容をもたらせるかは、本人次第だ。どうやったらここまで行き着けるか、僕は「自分ごととして、身近なものと想像し得るか」だと考えている。逆に言うと、自分の弱さに気づかない限り、想像すら難しいのかもしれない。

 とは言いつつ、タカシナが第四便の返信で書いていた[もしかしたら、伸ばされた手を掴むことより、手を伸ばすことのほうが難しいのかもしれないね。]という一文が、なんか残ってる。気づいていても、下駄を脱ぐ勇気を持つことは大変らしい。『違国日記』の笠町さん思い出した。

 

身近なもの、という言葉で浮かんできたけれど、僕にとって3月は死が近い。毎年この時期になると、日常の慌ただしさにあっても、ふと脳裏をよぎる。

17歳の時に青森で被災したこと、数年前に祖父が亡くなったことが大きい。

前者については、上京したての18歳で書いた文章が、当時の心境を正直に言い現しているので、以下写真にて掲載する。

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去年の11月、片付けていた時に発掘した。なんとはなしに読んで、とてもびっくりしたのを覚えている。

ちなみに、毎年定期的に持ち物の見直しはしていて、この文章もその度に読んできてはいるわけで。

それなのに、本当にすっごいハッとさせられた。18歳の自分が、こんなにも苦しんでいたことに。かと言って、今は苦しんでいない、というわけではないけれど。当時と比べると、呑みこめてきているのかな、とは思う。18歳の自分と相対したとしても、僕には何もできないだろう。深い苦しみを抱えた人に、周りができることなんて、寄り添い見守るくらいだ。

川上未映子『夏物語』が衝撃作品だった理由は色々あるけれど、僕はタカシナが指していたある人物と、全く同じ考え方を自分に対してしている。僕は彼女と違い、直接的な性暴力を受けたことはないけれど、自分が生まれてきたことも、生きてしまったことも、どこか認められない10代、20代前半を過ごしてきた。

それでも、大学でやってきた問答を、学舎を出たこの5年間も続けてきた結果、自分の中で色々なものが繋がり、腑に落ちてきた感覚がある。その感覚を得た時に、僕は生きていく責任を痛感した。何も知らなかった時には戻れない。

 

2019年、コロナ禍で騒つく初夏に、山脇益美さんが初の詩集『朝見に行くよ』を上梓した。山脇さんとは別府生活1年目で知り合い、話す言葉の雰囲気に僕が惚れ込んだ。

詩集のあとがきを読んで、自然と涙が出た。傷つくことも、傷つけることもまるっと包み、生きていいんだ、と言ってくれているようだった。

そして、この半年間を振り返り、収録作品の中で「モーニング」が自分としみじみマッチしてくるのだった。

第四便に書いたみたいに、かなしいこともあったけれど、別府に来て、人に出会って、僕は救済されたんだなあ。

『朝見に行くよ』学級文庫普及計画を画策している。

京都の喫茶フィガロ冬の文化祭2020で公演した動画、ぜひ観てね。

 

声に出す×揺れる『I see you, I see me』
原作 山脇益美詩集『朝見に行くよ』
アーカイブ①】
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/658678783
アーカイブ②】
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/658682620
アーカイブ③】
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/658686743

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詩集読みたかったらプレゼントするから、LINEしてくれ。

 

ま、そんなわけで。

あれから10年近く経ったいま、自分にできることを考えて、特にできることもないので、やっぱ政治的活動をすることにした。

肚決めて、生きるしかない。

 

『この世界の片隅で』

2021年3月11日(木)
 於 カレーやMOMO

【第一部】
・14時〜14時半
 廣瀬正樹『捜す人 津波原発事故に襲われた浜辺で』より抜粋朗読

・14時半〜
 フリートーク、途中退店可

【第二部】
・19時〜19時半
 いとうせいこう『想像ラジオ』より抜粋朗読

・19時半〜
 フリートーク、途中退店可

【料金】
ワンオーダーをお願いします。

【参考】
『想像ラジオ』冒頭
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/667665580

『想像ラジオ』第四章
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/670489505

『想像ラジオ』第五章
https://twitcasting.tv/89mytakta/movie/668002848

【予約状況】3月7日時点
14時の回3名、19時の回5名

【企画】白米炊けた。

 

タカシナ、ツイキャス配信したら聞く?

第四便 返信

返信って初めて書くから緊張するな。 
タカシナです。

「相手を尊重する」ことについて、ジュン・チャンは、自身のジェンダーに関する実感を例に話してくれたね。私も自分の根っこにあるジェンダーの話をたぶん、ジュン・チャン相手にならいくらでもできるのだけど、今回はそうではなく、また別の側面の話から始めようと思う。

私の両親は身体障害者だ。*1私とその事実とは、つかず離れずしかし切り離せずのつきあいを26年やってきた。

ジュン・チャンの言っていた、「この人は自分を理解してくれている」と信頼していた相手から価値観や考え方を踏み躙られるという経験、私は障害者差別に関して何度も似た場面に直面してきたように思う。

他のことに関しては差別的なことなど言わなかった友人が、ふと漏らす障害者への蔑視。私が経験してきた例ではだいたい、そういうことを言うからといって日頃から差別的なことを言っているわけではなくむしろ他の差別はきちんと批判できるひとが本当に何気なくそういうことを言う。私は両親のことがあるからかそういう匂いには基本的に敏感なほうなので、あからさまに差別的なことを言えたりジョークにできたりする人には一応心で線を引いたまま友人になる癖がついている。だからこそ、この人はそういうことはなさそうだな、と思っていた人が不意にそういうことを言うと、頭がフリーズする。そこから、勿論相手は私の両親のことを知っていたらそんなことは言わなかっただろうし、世間一般には障害者ってそういうふうに見られてるものだし、私はある種この問題には過敏なのだから他人に自分と同じものを求めてはいけない、みたいな方向に脳が一生懸命回り出す。防御反応からくる擁護だし正しくないって分かってるけど私だって大切な友人をたった一言かそこらで嫌いになりたくはないのだ。でもやっぱり勝手にすごく傷付くけど。

それからまあ、「私が相手を信頼しすぎていたんだ」とも思う。でもこれは少し傲慢な考えな気もする。

中村珍『羣青』31話に、読んだときから忘れられないこういう台詞がある。

「お互いにさ、違う種類の人生を知らなかった~ってだけじゃん…。わっかんないよ、知る機会の無かったことは」

本当にそうだな、と思う。私はたまたま人より知る機会が多かっただけ。相手は、障害者について詳しく知る機会がない人生だったんだろう。それだけ。同じように私だって知らないことで、差別を行いうる。いや、もうしてしまってきただろう。なるべくなら気が付いて止めたい。少なくとも開き直らなず向き合うようにしたい。そういう高潔な知性を構築したい気がする。

これだけでは、ジュン・チャンやその周りの人を踏んづけていったやつら(私はジュン・チャンの友人なので、私の友人を踏んでいった見ず知らずのひとには敬意を払いません)をも許せ、みたいな文意になってしまうと思ったので、私の内省はここで止めます。そういう話をしたいわけではない。私はあなたが尊厳を踏まれた話に怒っています。

踏んだ奴らにその行為で奪った私の尊厳を返せ、と言いたいけど、そういう奴らは言っても分かってくれなさそうだ。この、「相手の考えを変えられない」というの、どうしたらいいんだろうね。そもそも考えを変えるなんて傲慢だし暴力的な気がして躊躇われる、が、近い関係にあるひとであれば、こちらの譲れないものを受け入れてほしいとも願ってしまう。それこそジュン・チャンのいう「相手の価値観や考え方」、これは互いに譲れないものだろう。相容れない同士でも、受け入れあえないのかな。

最近見たワイドショーで、食事の好みが全く違う芸能人夫婦がさんざそのことで喧嘩した末今はお互い食べたいものを自分で用意して、ばらばらのメニューをひとつの食卓で一緒に食べるという結論に落ち着いた、と言う話をしていた。

諸々すっ飛ばして言うなら、ガスト行ってあなたは豆腐サラダ、私はチーズインハンバーグにポテトも付けちゃう、されど仲良き、みたいにできたらいいのかも。これはマジで今考えたことをそのまま書いているので荒い理屈ですが。

問題は、私が「ガスト来てまで豆腐サラダだけとか」みたいなイチャモンを付けないように我慢できるか、ということ。さらに一歩進むなら私がめちゃくちゃ豆腐を倫理的に正しくない、食べるべきではないと思っていて、目の前で豆腐を食べられることに嫌悪感があるとしたらどうだろう(豆腐ごめん)*2。しかしそれは相手に強制できることではなく、相手には豆腐を食べる自由がある。でも、せめて私といるときは別のサラダにしてくれないかな、とか。本当は豆腐食べるのがなんでダメか理解してやめてほしいと思う。本音はそう。でも私の思う正しさを押しつけていいのか。そこで対話が手法として登場するのか。なるほど。

私には私の信じる主義のようなものがいくつかある。生まれつき選べなかったものでひとを差別するな、とか。そんなの当たり前じゃんとすら思う、しかし当たり前ではないひとには当たり前ではない。

私やジュン・チャンは、平ちゃんの観測でも言われてたようによく電話もするし、対話も嫌いじゃないほうだよね。でもだからこそ、最近は、対話のテーブルについてくれない人にどうアプローチしたらいいのかな、なんてことも考える。私に関しては、そもそも対話で何とかしようとする時点で、自分の得意なフィールドに持ち込もうとしてしまっているのかもしれない。私は自分の考えを言葉にするのが好きだし、ある程度得意なので。まあ口喧嘩は弱いけど。

私は『違国日記』がとても好きだけど同時に、あれも朝ちゃんが槙生ちゃんの言うことを聞いたり聞かなかったり反抗したり、その意味でとても健全な子であるから成り立つ物語なのであって。槙生ちゃんの言うことを、さっぱり理解しようとも思わない子やむしろ内面に取り入れすぎてしまう子なら、あの物語の均衡は崩れてしまうなあとも思う。槙生ちゃんは(本人も自覚しているように)言語コミュニケーションに特化しているので。

うまくまとまんないなあ。対話以外に分かり合う方法を私は知らないけど、対話をしてくれるひとばかりではないし、対話は苦手だ、というひととかもいるし、言葉にならない、できない切実さのことだって無視したくない。でも自分の尊厳は守りたいし、そのために対話を、言葉を武器のように使ってしまうこともある。私は最近少し、対話に懐疑的(懐疑的ですって!)な気分なのかも。というか、対話したくない、する気がない、苦手、みたいなひとにどうやったら声が届くだろうか?断絶って呼んで諦めたくない気持ちもあるのです、そこは多分ジュン・チャンと一緒。

もしかしたら、伸ばされた手を掴むことより、手を伸ばすことのほうが難しいのかもしれないね。 

そうそう、おすすめされていた川上未映子の『夏物語』、読みました。それで、テーマとして描かれていたひとつの「反出生主義」について、否定したいのにはっきり否定の理屈が編めないことに気がついて自分でも驚いている。というか、肯定否定の答えが出ない。なのでいまはとりあえずググって記事を読んでみたりしている。直感的な拒否感だけですむ話ではないし。

答えが出ないからこそずっと考えていられるテーマなのかな、とも思うけど、そう思ったそばから「夏物語」にでてくる某登場人物が思い出されて、あの人に対してそんなふやふやしたことは言えんなあ、と思ったりもする。私はあの小説を読んでいる途中から、主人公よりむしろその登場人物のことを強く意識するようになってしまった。

彼女は自分にとっての真理は分かっているけど他人に押し付けてなくてえらいなと思う。一方で彼女の真理を周りは理解しないし世界も変わらないのでもどかしいだろうな、とも。やはり彼女にあるのも諦め、だろうか。真理に捧げる生なのだろうか。 

そういえば、答えが出ない!と思うとき、思い出すことがあって。中学生のとき私は近所の学研教室に通っていた。小学1年生から中学3年生までが同じ机でひとりの先生に習うようなゆるい塾だったので、例えば「詩歌」の問題集が好きだから学年関係なく今ある分は全部解かせて欲しい、と頼むと先生が眼鏡を掛けてあちこちの引き出しからあるだけ出してきてくれる、そんないい所だった。

あるとき、その詩歌のテキストのなかに、中島みゆきの歌が引用された問題があって。永久欠番』という歌だったんだけど、是非歌詞を見てほしい。

歌詞 「永久欠番」中島みゆき (無料) | オリコンミュージックストア 

ほとんどずっと、「誰が死んだところで世界は何ひとつ変わらない」みたいな、当然にして無情なことをずっと言い続ける。この歌どうなっちゃうの、と思ってハラハラしながら読んでいくけどずっとそのトーンのまま。なのに、一番最後になって突然「宇宙の掌の中 人は永久欠番」と言いだす。私は学研の白いプラスチックの机の上でたまげてしまった。
なににたまげたかというと、「めっちゃ飛躍してるじゃん」そして「みゆきが匙投げてるんならこの問題には答えが無いんじゃないの」ということ。
私はその時点で中島みゆきの歌をいくつかしか知らなかったものの、彼女の歌詞の言葉選びを信頼していた。そのみゆきが「誰が死んだところで世界は何ひとつ変わらない」という生命の無常とその虚しさを、「永久欠番」という飛躍した概念の導入でしかひっくり返せないというのなら、これは、えらいことだ、と。そう、今思えば当時中学2年生だった私は、私自身に纏わりつく悩みとしての人の生の無常と虚しさを、みゆきに解決して欲しかったのだと思う。
けれど、もうしばらくして、むしろわざわざ飛躍してまで伝えたかったことは何か、そんなことあり得ないのに「永久欠番」と言い張るのはなぜか、と考えたとき、それはあり得ないこと込みで提示された救いなのかも、と思うようになった。大切な誰か、或いは自分という存在を失っても世界が当たり前に回ってゆくこと、それ自体は当然のことと淡々と歌いつつも、最後に見せる「永久欠番」という言葉への華麗なるジャンプ。これは、そういう現実を受け入れなきゃいけないけど受け入れたくもない人間のギリギリの抵抗からくるジャンプだと。人の生に無常と虚しさは確かにあり否定できず、それとどう付き合うかは答えの出ない問いなんだ、と。それで、私はこの歌詞とそれに伴う気付きを「たぶん真理の箱」にしまうことにした。この箱には経験と思考から得られたごく僅かなものしか入れていない。私にとっての「たぶん真理」しか入っていない大切な箱。

私はもし、この箱の中身とは違ったほうに世界?世の中?身の回り?そうしたものが進もうとするとき、どうしたらよいのだろうね。少なくとも、こういう話を変な顔せずに面白がって聞いてくれる友人がいるということは、とても幸運でありがたいことです。 

私ももうきっと会わない人たちの幸福を願う夜がある。本当は、あなたのこういうところに救われていた、みたいな感謝をきちんと伝えられたら良かったなあとも思うけど。最後だと思って会ったりしていない流れゆく人間関係のなかで、そういえば伝えられなかったなあということのほうが多くなっていく。 

最近は寒かったり暖かかったりして体調さっぱりお整いになりませんね。冬の寒さにやられていた間は「暖かくなるまで地の底を張ってでも生き延びる」という目標を立てていたので、早く完全に暖かくなってアゲアゲ桜フィーバーになってほしい。ちなみに例年に比べれば地の底を這わずに越冬できているので2021の私はいい感じかもしれないです。

*1:程度は軽いので日常に介助はあまり発生せず、力仕事がこっちに全部回ってくるなーくらいの実感でいまのとこ暮らしてます。家族の話については文章を以前『ZINEアカミミ第二号』に載っけていただいておりまして、ZINEアカミミ自体が第一号第二号ともとても面白い、ファンです、ので是非

*2:罪滅ぼしに豆腐を褒めますが豆腐は偉い、私は夏バテしたときは冷や奴ご飯しか食べられなくなるのですがそれで体調を崩したことがない、豆腐ありがとう