次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

感想文(2022年6月)

どうも、ジュン・チャンです。

意図してないけど、選挙期間らしいチョイスもありました。

 

【2022年6月】

(映画)

① 『犬王』

② 『教育と愛国』

(本)

① 石崎 洋司『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』

② マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/今井麻希子、鈴木重子、安納献 訳

『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC

 

 

 

(映画)

①『犬王』

声優のラインナップと予告編、そしてある方の感想を拝読し観たかった作品。

大分ではパークプレイスでしか上映がなく、どうしようかと思っていたが、前日にファーストデーであることに気づき、自分の予定も空いていることに気づき、一念発起して電車とバスで行ってきた。都会では当たり前だった公共交通機関での1時間〜1時間半が、車社会だと途方もない旅路に感じられる不思議。

旅路の果てに臨んだスクリーンは、一切の無駄のない作品を映し出した。筋の通ったアニメーションミュージカル。無駄なく、しかししっかり回収するストーリー。昔、北方謙三『破軍の星』や飴あられ作品で、南北朝時代にハマり調べまくったのを思い出した。短い時代の中に、のちの乱世へ繋がる日本の政治や文化の根っこがあった。そんなことにまで思い馳せてしまうくらい、ぎゅっとした構成だった。

そこに肉付けされる、権力闘争に敗れ歴史の中で葬り去られた側への弔い、芸の持つエネルギー。冒頭、厳島神社での琵琶法師の演奏から始まるように、芸は捧げるもの、鎮めるものであり、草の根で脈々と続き、時に人を熱狂させ、奮い立たせるということが貫かれた作品だった。歌い踊る身体の、伸び伸びとしなやかな美しさを表現したアニメーション、アヴちゃんと森山未來の声の力強さ・妖艶さ、震えた。マニアックな視点だが、映画の中での舞台裏方の様子、番外編で観たい。絶対楽しい!

 


②『教育と愛国』

林博史先生の『沖縄戦 強制された「集団自決」 (歴史文化ライブラリー)』を基にした授業で教科書問題について知った身としては、本当にジワジワくる内容だった。政治家達の発言、態度を聞きながら悔しくなった。気が遠くなるほどの時間をかけて丹念に研究されてきた学知への侮辱だな、と自分は思った。選挙の時期に言うのも何だが、公人としての発言・振る舞いに無責任な政治家の姿を見ると、政治家はTwitter禁止にした方が良いのではないかとさへ思ってしまった。

社会科の教員がインタビューの中で話していた「従軍慰安婦が時事問題として続いている」という言葉が印象的だった。

本作を、虐げられ、出る杭は打たれる社会のなかで、「女性」の監督が発信してくれたことが一つの希望だ。

個人的には、現行の政治や組織における無責任体制は、戦争責任を果たしていないところからも端を発すると考えている。では、戦争責任とは何か。過ちを認めることと自分は考える。なぜその過ちが起こったのかを考え、二度と同じ被害が起こらないように全力を尽くすこと。国が、国民が果たすべき責任ではないだろうか。

 

 

(本)

① 石崎 洋司『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』

本書は大原扁理さんのブログで知った。前からオードリー・タン氏についての書籍をどれか読みたいなあと思っていて、偶然図書館に本書があったので読んでみた。

最近、問題集や法令、ガイドラインに目を通しているので、児童向けに書かれた本書のフォントが目にやさしく、読みやすかった。

本書には、タイトルにもあるように、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントが詰まっていた。「おおまかな合意」という概念や、政策提言のサイトから参政権を持たない16歳の意見が政治に反映されたこと等が印象深かった。以下、「おおまかな合意」について本文より引用。

[しかし、権力者がいないのは当然として、民主主義を支える方法でもある投票や多数決を拒否するのはなぜでしょうか。そして、「おおまかな合意」というのはどういう意味なのでしょうか?

 これについて、オードリーはこういっています。

「投票をすれば、物事ははっきりと決まります。けれども、少数派は必ず敗者になってしまいます」

 除外された意見の異なる人々は、自分を殺して、ひっそりと息をひそめていなければなりません。

「一方、『おおまかな合意』とは、『満足できないにしても、みんなが受け入れられる合意』ということ。そこでは、思い通りになったという勝者もいないかわり、何ひとつ受け入れてもらえなかったという敗者もいません」

 こんな感じでいこうよ-それぐらいの合意で進んでいけば、より多くの人々が共存できて、より多様性のある文化を実現することができます。(P135〜P136)]

オードリー氏は持病を抱えた幼少期を過ごし、児童期には体罰の残る父権的な学校教育で苦しんだ。仮初の強さに迎合しなかった(できなかった)からこそ、生まれた発想だ。

議論のプロセスが見えず、政策決定の根拠が示されない、日本の現状とえらい違いだ。日本の場合、情報公開以前に、筋の通った政治が執り行われていないことが問題であるように感じる。

 


② マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/今井麻希子、鈴木重子、安納献 訳

『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC

ハチドリ舎を友人が教えてくれた時に知った「NVC(非暴力コミュニケーション)」。この本は絶対にハチドリ舎で買おうと決めていた。本はどこで巡り会い、手に入れるかも大事だ。

しっかり読もうと思って、じっくり読んでいたら2ヶ月かかった。本書はNVCの理論について、エクササイズ(実践)を交えながら進む。

引用すると以下のようになる。

[本章をまとめると「自分の内面で何が息づいているか」を表現するためには、次の3つの要素が必要なのです。

 ・自分が観察していること

 ・自分がいだいている感情

 ・その感情とつながっているニーズ 

  (P69〜P70)]

本文では「自分の内面で何が息づいているか」という言葉もよく現れた。

自分や相手のことを決めつけず、まずは自分の中にあるニーズ(欲求と言ってもいいのかもしれない)を掴むことから始まる、と自分は認識した。

この数年起こった様々な出来事もあって、エクササイズを通して確信したが、「自分は大事にされたい、尊重されたい」という欲求が根っこにあるのだと理解した。誰もが持ちうる当然の欲求かもしれないが、自分はこの根っこに気づくのに、随分と時間が掛かった。慌てるよりも、腑に落ちて力が抜けた感覚の方が強い。

著者マーシャルがNVCを学び始めた頃の、お子とのやり取りに勇気づけられる。誰でも最初から完璧にできた訳ではないのだ。日々修行。実践的にもっと学びたいと思った。

最後にマーシャルが読者に投げかけているのが、

[・根本的に新しい経済システム

 ・現在この地球に多大な苦しみを与えているものとは異なる、新しい司法制度(P247)]であったのも印象的だった。資本主義の限界や、少年法における特定少年(厳罰化)等、日本にも当てはまる。個人的なことは政治的なこと、とよく言われるが、めげずにまずは自分から変わりたい。

第十四便 返信

大分は雨が降っています。今日は穏やかな雨です。

久しぶり、ジュン・チャンです。

こちらは退職後の手続きが完結し、ホッとしたところ。


この何年も言われていることだけど、ほんと気候までもが狂っていて、人類による環境破壊の因果が確実に巡ってきているのを感じる。そんな狂った気候で、体調を崩す層は確実に増えている。気象病の概念が認知されて、気候の体調への影響を自覚する人が増えているのもありそう。

仕事を辞めてから、国試に向けての勉強と並行して、旅に出たり、展示や上映会といった企画をしたりしていて、案外動いている。でも、働いていた時より体調は良い。肩から力が抜けたのがわかる。ずっと気を張っていたんだと思う。自分のペースで生活できているから、当然と言えば当然なんだけど。


自分より歳上の世代と話すと、基本は「若いうち、体力があるうちに」と言われ、時には年齢を羨ましがられる。正直言って僕は納得行かない。もちろん加齢に伴って、徐々に身体機能は変化し、それは通常衰えていくと認識されるから、間違ってはいない。

しかし、タカシナも綴っていたように、全ての人間が一概に体力があって元気なわけではない。ましてやホルモンバランスに左右されやすい身体に生まれた身としては、無理の積み重ねが身体にいかに影響するか、嫌というほど思い知らされてきた。

この辺も個人差があるから、左右されにくい人もいるだろうし。年齢や性別に関わらず、自分の身体に合った活動、過ごし方、休息の取り方を探っていくしかないじゃんね。

教育も社会も、休むことを許さない。本当に教えるべきは、休みながら細く長くどう生活していくかだし、国や組織がそのための環境を提供することが必要だろう。今やそんな余力は組織にないようにも感じる。

(2022年6月14日追記:いつも自分を見守ってくれる身近な人達については、自分の背中を押すために言ってくれているんだろうなとは思う。)


タカシナが書いていた[「筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な」人間]と言うのを、僕は信用できない。と言うか、ほんとに少数だと思う。

弱さに目を瞑る者に何がなし得るか、と僕は批判的に考える。今、この国で国政を担う者の姿とも重なる。

人の弱さを認めた上で成り立つ社会の方が、よっぽど健全な気がする。社会保障が他国より低く、生活保護費の引き下げまで起こるようなこの国が良い例だ。

身近な例としても、妊娠中の体調不良時に仕事を強要され、上司から休暇の了解を得られない同僚や、時短勤務と家事育児の両立に疲弊していく同僚が思い浮かぶ。かと言って、男性や独身者とて、過重な業務を担わされる等の理不尽な状況に晒されることも少なくない。組織を離れて、国が提示する仮初の「強さ」に準じたくない、という想いが僕は強くなっている。


今はまだ休養期間と定めたのを良いことに、色々考える期間にしていこうと思う。その一環で、次はこのことについて話し合っていきたい。

梅雨に入るしぼちぼちいこう。僕は除湿機の効果を実感している。タカシナも除湿機と豆ご飯の導入を試行してみて。僕は身体がスッキリして、怠さが軽減されたよ。この手のことって、まさにオーダーメイド人体実験だね。焦らずぼちぼち。

感想文(2022年5月)

爽やかな季節となりました。九州よりジュン・チャンです。お手紙の返事は週末に書きます。

 

【2022年5月】

(映画)

① 『屋根の上に吹く風は』

② 『ホリック xxxHOLiC

③ 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』

④ 『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』

 


(本)

遠藤周作『沈黙(新潮文庫)』

②ローズマリ・サトクリフ作/猪熊葉子 訳『太陽の戦士』

③ ひすいこたろう『3秒でハッピーになる 超名言100 (3秒でハッピーになる名言セラピーシリーズ)』

 


【所感】

(映画)

① 『屋根の上に吹く風は』

広島のハチドリ舎を訪れた際に知り、急遽観に行った。鳥取県の山あいにある新田サドベリースクールの日常を捉えた作品。

冒頭、子ども達が屋根に登る場面から感極まった。画面を通して子ども達を観て、この場所と出会えて良かったなあと思った。

作中、洋ちゃんが「嫌なら嫌って自分の気持ちを言えた方が良い」と発言する場面があった。受けてきた教育や職場環境を振り返ると、自分の気持ちに蓋をして、嫌と言えなかった場面が多々あった。これって人権教育の根っこじゃんって後で思った。

上映前に参加してしまったトークショーも盛り沢山だった。「短期的な評価ではなく何を残せるか。」「自分で感じて考えて決めて行く。」とスタッフのどなたかが仰っていたようなのだが、自分の字が汚くてわからなかった。

教育基本法改正や教科書検定により、政治がジワジワと教育に介入し、戦前のような思考停止や、発言しづらい雰囲気が戻ってきている公教育とは対照的な取組みだ。

いずれにせよ、教育とはどんな未来を子どもに託したいかという、大人のエゴであり、思惑であり、願いであるようだ。子どもが主体的に考え、決定していくサドベリースクールが、希望に思えてならない。

https://www.yane-ue.com

 


② 『ホリック xxxHOLiC

原作と設定は同じだけど話が違っていて、観終わった後に批判が多いことを知った。とは言え自分、原作の記憶が朧げ、というかツバサと混じっている。個人的には、映像(舞台装置、照明、小道具が贅沢)も役者も美しいし、主題歌セカオワだし、美しかったから良い。

 


③ 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』

石川県から沖縄へ移住し、高校3年間を過ごした菜の花さんが見た沖縄を取り巻くドキュメンタリー。老成していると言えるくらい、とても落ち着いていて、17〜18歳とは思えなかった。声や話し方も静かで真摯で、聞きやすかった。

本作は沖縄テレビの記念作品とのことで、菜の花さん自身の体験、取材から考えたこと、行動したことの合間に、沖縄でこれまで起こってきた米軍軍属によるレイプ事件や飛行機墜落・部品落下、政府の対応についても組み込まれ、戦後沖縄が晒されてきた状況について視聴者が時系列で理解できるような構成になっていた。在任中に亡くなられた翁長県知事の映像も何度か流れたが、癌に冒されながら演説をする姿が流れた時、訃報を聞いた時の気持ちが蘇った。

大学卒業時、恩師の勧めで佐喜眞美術館を訪れた時のことを思い出した。米軍の普天間基地の真横に建ち、屋上からは飛行場内を見下ろすことができる。学校も住宅も基地の真横にあるが、轟音、低空飛行でヘリが飛んでいる樣が衝撃だった。青森にいた時「三沢基地から飛んできた機体がうるさい」と思っていたが、そんなの比にならないくらいだった。「戦争は終わってない」と直感的に思った佐喜眞美術館での実感が、今も自分の中で何かの原動力になっている。

映画のなかで、米軍のヘリから部品落下が続いたことを受けて、飛行制限の訴えを国にしていた女性の言葉が全てだ。「命の話をしている」人の生活がある。

やや飛躍するかもしれないし、個人的には男女比率なんて話をしているのが本来時代遅れだと思うのだが(男女で分けられたら自分の居場所がないため)、意思決定層の半分を女性にしないと、現状は変わらないようにも感じる。もちろん、男性優位を内包したり、事実を捻じ曲げ都合の良い神話を語るような輩ではなく。

http://chimugurisa.net/#intro

 


④ 『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』

同じアパートの隣室に住む高齢のレズビアンの話、という説明書きで観に行った。

娘と息子がいるマドは、子ども達にカムアウトができないまま脳卒中で倒れ、会話や歩行に後遺症が残る。恋人のニナは、なんとかマドと一緒にいようと、あの手この手を尽くすが、二人の関係を周囲が知らない中で、事は上手く進まない。二人の関係を知って戸惑うマドの娘が、マドを施設に入所させるが、マドがニナに電話して場所が発覚し、ニナがマドをアパートに連れ帰るが…終わりはモヤっと中途半端。

本作を通して思ったのは、「意識がはっきりしているうちに、やるべきことはやっておかないとアカン」ということだった。合理的に考えると、子どもらからの拒否・反発に遭ったとしても、事前にニナとの関係についてカムアウトしておいた方が、何かあった時の体制づくりはしやすいはずだ。亡父からの虐待(と娘が表現している場面が作中あったため利用)を受けながら、離婚することなく看取り、子との関係も維持したマド。マドの臆病さ、弱さがなかったら、全く違う話になっていただろう。

かと言って、マドの臆病さを責められる人なんているのだろうか。恋人や家族といった、大切なものがあるなかで身動きが取れなかったマド自身の苦悩を想う。

劇中歌の効果ヤバしヤバし。最初と最後に流れる音楽同じだったけど、意味合いがまた違っていて、気持ちがシュンとした。

 


(本)

遠藤周作『沈黙(新潮文庫)』

人間はどこまでも惨いことができる。同じ人間を虫けらのように扱い、殺すことだってできる。

本作で描かれる江戸時代の百姓によるキリスト教の信仰とは、極楽浄土の信仰に近いようだった。現世利益のような。百姓の中には、信仰のためというよりも、現世での凄惨な人生を憂いて、拷問の末亡くなった者もいたのではないだろうか。

神とは何か、信仰とは何か。生きるとは。徹底して突き詰めていた。最後に司祭が至った境地について、圧倒されすぎて掴みきれなかった。

 


②ローズマリ・サトクリフ作/猪熊葉子 訳『太陽の戦士』

本作は、あの上橋菜穂子先生(守り人シリーズや『鹿の王』の著者であり、人類学者)が影響を受けた作品の一つらしい。上橋先生のエッセイで知り、ずっと読みたかったのを思い出し、とりあえず一冊読んでみた。

いわゆる「児童書」に分類される本の共通点として、情景の豊かさが挙げられる。特に、歴史やファンタジーとタグがつけられる作品は、その傾向が強いように思う。一行目を読み出した瞬間に、身体ごとマルっと引き込まれる感覚がある。本作を読み出した瞬間がまさにそれだった。風が吹き抜けた。

本作では、島の自然が作り出した景色の描写から物語が始まる。そこから間もなく、主人公ドレム少年が置かれる過酷な状況を、読者は知ることとなる。そこから、ドレムの闘いが幕を開ける。

風景や生活の描写だけではなく、狩りや戦闘の場面もリアルで、上橋作品に通じるものを感じた。主要な武器が槍であるところも、バルサを彷彿とさせた。圧巻の戦闘場面、主人公ドレムの苦悩と葛藤、哀しみを描いたのち、ラストが「こうきたか!」という感じだった。俗に言う「甘い雰囲気」なんか微塵もなく、しかしそれが良かった。同じ道を通過した者同士の、自然な結末。僕は背中合わせで一緒に闘う仲間の方が憧れるけど。守り人シリーズバルサとタンダの関係性も思い出した。

 


③ ひすいこたろう『3秒でハッピーになる 超名言100 (3秒でハッピーになる名言セラピーシリーズ)』

前職でご一緒した方からいただいた。就寝前にちょっとずつ読んだ。眠りにつくのに良い言葉のラインナップだった。気軽に見開きでパッと読めるのが良い。

観測(もういくつめかわからないけど)

クッソ久しぶりの観測です。ひらちゃんです。


タカシナの先ほどの投稿を読んで、そもそもそう元気な集まりでもないのだから書くときは書かないとだめだなと思った。気温差には私もやられています。タカシナ、ご自愛のほどお祈り申し上げます。


体調を崩したり、犬を飼ったり、犬を飼ったからと言ってすべての問題が解決するわけではもちろんなくて、本なんてもう二度と読めないと思ったり、その直後に勤め先の社長からドカッと課題図書が出たり(なんなんだ!ビジネス書と呼吸が合わない!)していたうえにタカシナもジュンちゃんもしっかり書いているし、どうにも後ろめたくて先延ばしていたのだけど。

継続が力にならなかったとしても自分だけはそれを信じたっていいわけです。


反省。

 

 

ジュン・チャンも書いていた早春公演「献呈」。Twitterで実況しながら公演の配信をみるということを初めてやってみた。もともと人のツイキャスだのスペースなんかはよく聞く方で実況には慣れているはずだったんだけど(怖い話好きの方にツイキャス「禍話」おすすめして回っている)、やはり映像だと情報量が多くて圧倒的に楽しいね。終わってからつくったひとにいいねしてもらえたのもすごく満たされた。

公演は見たいけど人と会う気力なんてないとき、終わってから人と話し合えないと思うとどうにも足が遠のいてしまっていた昨今だったけど、いぬを膝に乗せつつすきなものを観るというそれはそれで贅沢な時間だった。いぬはかまってもらえなくてキレてた。

 

こんなにみんなが家にいた日々を経て、めちゃくちゃ今更だけどね。大体の場合今更なのだ私は。でも、今更でも表明しないよりはうんといいと思うから。

 

この往復書簡を書きながら、会って飲む話を書いていることがそもそも面白かった。性別のことはあいかわらずわかる気もわからない気もしていて、ただ、釘をさされることについては思うところがたくさんあったので、変な方向からの共感をしながらみた。

 

知人が募集している、希望の分野の求人を見たんですよ。芸術関係を扱えるかもしれない求人。でもね、環境の変化に弱いだのタスク管理ができないだの、そもそもフルリモートだったのについに週2回出社しろと言われるようになって全く体調が管理できなかったり、そういったことを家族に指摘されてスルーしてしまったの。後悔?してるけど、もっと後悔するかもしれないと思ってしまった。そんなようなことを思い出した。思い出しただけだけどね。その程度のよすがで、公演は面白くみたけれど、ほんとうに、わかるわかる!と言えないことが苦しい。

ジュン・チャンの描いたジェンダーの話とは少しずれるけれど、性別にかかわるようなことで。

 

演劇の皆さんがセクハラとかパワハラとかの話をめちゃめちゃしていて、ここ数日はちょっと疲れてしまった。変えていこうと声を上げる人たちはすごいと思う。なんで疲れてるかって、自分にも身に覚えがあるからですよ。被害者だけじゃなくて、加害側として。性的なこともルッキズム的なことも、けいこ場内外でも舞台上でも呪いのように繰り返していた。いまだにかなりの熱量で可愛くない、セクシーでないから生きていたくないって思うことがまあ、ある。29歳にしてまだある。そういう場所にいたし、仕方ないと思ってもいた。当時セックスってかなり世界の中心だと思ってたから。

学生サークル以来演劇と直接かかわってはいないのだけれど、先日同サークルの友人と会ったときに言い合った。舞台上でセックスする先輩劇団に憧れた「わたしたち」は、誰も傷つけなくても演劇ができるなんてこと知らなかったよね、って。でも、それに関して言うならば、学生時代からとっくにタカシナもジュン・チャンもそういう演劇づくりをやっていてさ。そんな二人は続けていて、「わたしたち」はすっかりやめてしまって。ほんのちょっと隣を向けばいいだけだったのにね、って、今は思う。知っていたわけよ。考えていなかっただけ。

 

自分が発達障害だってわかって結構大変な思いして、マイノリティ面してここにも書いてきたけど、あれは紛れもなく加害だった。ごめんなさい。生きづらい世界を作ってきました。2人にだけ謝ったってしょうがないけどね。

 

ジュン・チャンが自分自身を嫌いじゃないというとき、何でだかそれが救いのように思う。

きちんと吸って、吐いて、新世界を作ります。まずは今作れるものを。


(演劇以降はじめて続いていること、そろそろ外に出た方がいいのかもしれない。わたしもね。)


最近読んだもの。

ダンス・ダンス・ダンスール(ジョージ朝倉)コミックス最新刊まで

今期のアニメの原作。バレエは昔やっていて、もう辞めてからの方が長いのだけど、やっとバレエ絡みのフィクションを楽しめるようになってうれしい。誰かの前に立ったとき、目の裏に散る星を見ていたい気持ちは一緒だなと思う。だんだん自由になるね。

第十四便

お久しぶりです。タカシナです。
何度も手紙を書こうとしてうまく書けないで、ずいぶん日が経ってしまいました。

寒暖差と気圧と気候にやられまくって寝込む日々です。どうしたらこの脆弱さのままで生きてゆけるのだろうかと、そんなことを考えてしまう。脆弱さはたぶん多少改善することはできても根本的には無くせないまま私に付きまとうもので、だからそこを変えるだとか無理をさせることは最近あまり考えなくなった。けれど生まれつきの体質を呪ったりはする。
私には強さへの憧れがある。強い人間だというふうに振舞おうとした時期もあった。その後双極性障害の診断がついて、私は本格的に弱い、というか強いふりを続けられないと思い知った。それでもなお、憧れは捨てられていない。自分とは正反対の、筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な、そんな人間になりたかった。実際の私は雨が降っただけで寝込む有様だというのに。

なりたい自分になりたいの、と違国日記の朝ちゃんは言う。なりたい自分と現状の自分の乖離があまりに激しいとき、それはあまり健康的な考えを導かない。理想が高すぎるのだ。水中の生き物が空を飛ぶ鳥に憧れて何になろう。

自分の、「強さ」という観念に対するバイアスについても考えなくはない。「筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な」人間というのはつまり、いまのこの社会における強者であって、言ってみれば社会に適応するための強さである。けれど本来は切り捨てられた弱さのなかにも見るべきものがあり、すべては相対的でしかなくて、弱さを評価する方法だってあるということ。私の「強い/弱い」の捉え方が一義的なのだとは頭でわかっていて、けれど価値観を変えるのは難しい。

もし私がバキバキに強い人間だったら演劇にも興味を持たずジュン・チャンとも出会わなかったかもしれない、と思うと、現在の自分を否定ばかりしても仕方ないな、とも少しは思うのだけど。

今回はこれ以上書けなさそうなので、短めだけど出してしまおうと思います。
ジュン・チャンもご自愛~。

感想文(2022年4月)

仕事辞めました。ジュン・チャンです。

広島のSocial Book Cafe ハチドリ舎に先日行ってきました。ハチドリ舎に触発され、なんかできないかなあと考えた時に、プライベートでしか公開していなかった読書感想文の公開を思いつきました。タカシナも快諾してくれました。映画が含まれることもあります。ひとまずはこれまで同様に、1ヶ月分掲載します。

 

【2022年4月】

(映画)

ザイダ・バリルート監督『TOVE/トーベ』

 

(本)

群ようこ『かるい生活』

② 磯野 真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 (集英社新書)』

③ 武田 泰淳『富士 (中公文庫)』

④ 上間 陽子『海をあげる』

⑤ 永田豊隆『妻はサバイバー』

アルテイシア『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由 (幻冬舎文庫)』

⑦ キム・ジヘ 著、 尹怡景    翻訳『差別はたいてい悪意のない人がする』


【所感】

(映画)

ザイダ・バリルート監督『TOVE/トーベ』

図書館へ行く途中に貼ってあったポスターで上映に気づいた。ブルーバード戦略にまんまとハマり、行ってみた。

本作ではムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの30代から40代に焦点を当てていた。本業の画家として奮闘しながら、生活の糧のためにムーミン作品を書いていた姿とともに、自由を愛する芸術家としての姿が、対人関係を通して描かれる。

第二次世界大戦後、自分の選んだ道を進む女達がカッコ良かった。衣装や髪型、化粧に至るまでも観ていて楽しかった。トーベがムーミン作品で売れてからも、お金がなかった時と同じアトリエで制作し、生活している場面も素敵だった。

愛し続けた人との恋人関係的な部分の別れ、厳格だった父の死を経て、芸術家としてのトーベはより研ぎ澄まされていったのだろうなあ。

自分もこれから頑張らねばならんと思った。


(本)

群ようこ『かるい生活』

再読。ゆるかった。身軽が一番。ムダ毛のエピソードは本書掲載であった。


② 磯野 真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 (集英社新書)』

今月、本書の刊行記念講座を受講した。受講間際、東京の行き帰りにバタバタ読んだので、全体を掴めているとは言い難いが、本書の論旨は「おわりに」の以下の箇所にまとめられているように思う。

[愛と信頼の力を駆動させるためには、関係性の内側から引き出される時間の風力に信を寄せ、未来に向かって飛んでみるしかない。外部の「正しさ」に思考と行動の根拠を委譲させることをよしとするリスク管理が封じるのは、そのような風の生成と跳躍の可能性であろう。(P274)]

上記について述べるため、本書では我々を「リスク」の下にがんじがらめにするものを整理していく。例えば、非専門家の想像力に介入しリスクを実感させ、情報に身体を寄り添わせ現実の実態を形作り、生活を再編成していくこと(P69,P84)について、脳梗塞や新型コロナウィルス等を例に述べていく。また、あるデータが真実性を帯びファクト化されていく過程や(P150〜152,P187)、「自分らしさ」の語られ方(P176〜177)、それらを下支えする人間観の共謀関係(第7章)について、示されていく。

自分が感じたのは、前著『なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学』『ダイエット幻想 (ちくまプリマー新書)』との繋がりだった。「自分らしさ」の基準を、自分の外部に委ねることのリスクを一貫して論じてきている、と自分は受け取った。本当に偶然であるが、一研究者の探究をリアルで追うことができ、驚嘆している。

刊行講座で磯野先生が触れていた「タイトルの「他者」は人間だけを指すのではない」という発言が記憶に残った。


③ 武田 泰淳『富士 (中公文庫)』

文庫本とは思えない分厚さに恐れ慄いたが、読み出したら数日で読めた。あびちゃんお勧めの武田作品。

人間は等しく愚かで浅ましい。そんな人間が、「神」的な崇拝・心酔の対象になってしまうこと、あるいはそのような対象を作り出してしまうこと。この二点について、徹底的に取り上げていたように思う。考え尽くす行為そのものが認められない様相を炙り出す。

また、「病気」「障害」とは何かについて、文学者として書き切っていたとも思う。文学の力を見せつけられた。これは渦中に身を置く当事者では成し得なかった。


④ 上間 陽子『海をあげる』

何かで書評を見て気になっていた。あえて言うならば社会派エッセイとでもなろうか。でも、そんな簡単にジャンル分けして括りたくない本だった。

本書に在るのは、日本から差別され負担を強いられる沖縄における、性被害と貧困の日常にまざまざと接し、だからこそ日々を懸命に過ごそうとする人の、静かだが必死な声だ。

自分は「何も響かない」「海をあげる」を悔しい気持ちで読んだ。特に「何も響かない」は悔しくて泣いた。とても悔しかったとしか言いようがない。支援とは、決まった枠組みに都合良く人をはめ込むことではないはずだ。

「空を駆ける」ではまた別の意味合いで泣いた。祖父が亡くなった時を思い出した。もう3年墓参りができていない。海から手を合わせる。


⑤ 永田豊隆『妻はサバイバー』

期間限定公開されているのを偶然見かけて読み出したら、最後まで読み切ってしまった。朝日新聞記者が書いた、幼少期のトラウマ、性被害に苦しむ妻との途方もないサバイブの日々。文章の端々に、著者の記者として、人としての誠実さを感じた。

みんな子どもの時に受けたものを抱えていくしかない。受けた衝撃が大きければ大きいほど、ずっと影響する。目の前に現れる人、隣にいる人が抱えるものを前にした時に、ただ一緒に在ることしかできない。

児童へのサポートは大人になってからの人生にも繋がる。大人になってから現れた問題にどう対処し生きていけるかも、両方大事な視点だ。残念ながら両方とも充実した社会とは言い切れない。家族へのサポート・ケアも同様に。いつまで家族制度を引きずって負担を押し付けていくのか。

永田さんの妻が、永田さんと出会えて良かったと思ってしまった。永田さんがM医師と会えたことも。しかし、そんな確率論の話でいいのか、とも思う。


アルテイシア『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由 (幻冬舎文庫)』

カモシカ書店でちらっとみた。全部は読んでいないが、呪いを爆笑しながら解いてくる、全人類の味方のようなエッセイだった。


⑦ キム・ジヘ 著、 尹怡景    翻訳『差別はたいてい悪意のない人がする』

自分は比較的、差別されること・することに敏感な方だとは思う。これまで学んできたこと、体験したことがベースにあり、何より疑問を放置せず追究してきたからだろう。

一方で、そんな自分でさへ、無神経な発言をしたり、場の空気に流され押し黙ったりするようなことがあり、後から忸怩たる想いに苛まれることも多々ある。自分の中にある加害性とどう向き合うかが、今一つのテーマにもなっている。

そんな問題意識で目につくものを色々読み漁っていて、何かの参考に入っていた本書。偶然カモシカ書店で発見し購入。

原文がそもそも読みやすいのか、翻訳の力なのかわからないが、大変読みやすい文章だった。

本書では、そもそもなぜ差別が生じるのか、日常の中で誰しもが(人権や差別に関する研究をしている専門家であっても)差別し得ることを、具体的な事例とともに述べている。

さらには、なぜそのことが問題となるか、先行研究(主に欧米の研究が中心)を基に論じることで、想定される反論へ先んじて回答を与えているような綿密な論旨となっていた。逆に言うと、それだけ反発が予想されるセンシティブで起爆剤となるテーマを突きつけているとも言えよう。

金美珍氏の解説により、韓国社会の動向について補強され、読み応えのある内容となっていた。

最後の章では、韓国における差別禁止法の成立に向けて、積極的に議論を行なっていくことで、現行法案の限界を超えた平等な社会の実現に近づく、という提言で締め括られていた。

読み進めながら、日本の現状を観ているような気持ちになった。しかし、差別に関する独立した行政機関がないことや、裁判所の対応を比べると、日本の人権問題の方が後進しているように感じ暗澹とした気持ちになった。

差別に対抗するために、個人でできる具体的な指針になる箇所を引用する。

[私たちの考えは、みずからの視野に制限される。抑圧された人は、体型的に作動する社会構造を見ることができず、自分の不幸を一時的、あるいは偶然の結果だと認識する。そのため、差別と闘うよりは「仕方ない」と受けとめることを選択する。一方で、有利な立場にいる人は、抑圧を感じる機会は少なく、視野はさらに制約される。かれらは、差別が存在すると言う人を理解できず、「過敏すぎる」「不平不満が多い」「特権を享受しようとする」などと相手を非難する。

 だから、私たちは疑問を持ち続ける必要がある。世の中はほんとうに平等なのか。私の人生はほんとうに差別と無関係なのか。視野を広げるための考察は、すべての人に必要だ。私には見えないものを指摘してくれるだれかがいれば、視野に入っていなかった死角を発見する機会になる。考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない。(P85)]

[差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い願望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。差別に敏感にも鈍感にもなりうる自分の位置を自覚し、慣れ親しんだ発言や行動、制度がときに差別になるかもしれないという認識をもって世の中を眺めることができるだろうか。自分の目には見えなかった差別をだれかに指摘されたとき、防御のために否定するのではなく、謙虚な姿勢で相手の話に耳をかたむけ、自己を省みることができるだろうか。(P201)]

早春公演『献呈』によせて

白米炊けた。7年振りの東京進出。

白米炊けた。発起人ジュン・チャンです。今回は番外編投稿だ。

10年来の業務提携先である(石榴の花が咲いてる。)に脚本を託した。

今日、中野さんがやっと脱稿した。遅かった。けど、おつかれさまでした。脱稿した「CONfi( )n( )E.」をざっと読んで過ったのは「痛いところを突く」「暴力的」と言ったザワザワする感情だった。一方で、「ただ在るだけでいい」と肯定するものもないまぜになっていた。「CONfi( )n( )E.」を読んで、磯野先生(文化人類学、医療人類学)が何かの講義で触れていた、ラベリングの危険性を連想した。

例えば、うつ病等の診断名がつくことで、診断された当事者が積極的に「うつ病患者」らしくなろうとする、等。

今回の企画に当て嵌めるならば、僕が書いた「はなむけ」(余談だが、本作のタイトルは「夜を越えて」と悩みました)で語られる、性自認性的指向、表現したい性についても、ラベリングの危険性はあるだろう。しかし、それらは流動性があることも勿論前提とする。

個人的な体験だが、友人に「自分は人を恋愛的に好きにはなれない気がする」「自分を男でも女でもないと思っている」というような話をした時に、「あなたはそうじゃないんじゃない?」「色々知識を得たからそう思ったんじゃないの」と返されたことがある。その友人は、性別変更をしようとする人が辿る、煩雑で大変な過程を知っていたからこそ「生半可にそんなことを言うな」という釘刺しの意図で発言していた。

あれから7〜8年が経ったと思う。

相変わらず僕は、特定の誰かに特別好意を抱くという情動が分からない。このままいくのか、もしかしたら特定の誰かを恋愛的に想ったりすることが今後あるのか。わからないけれど、今の僕は、多分前より自分が嫌いじゃない。アセクシャルノンセクシャルXジェンダー……自分の状態に当て嵌まりそうな名称を得た安心感に安住してしまっている。ただ、それと同時に、括られたくないと思う自分も相変わらずいる。僕を僕個人として見て欲しい、認めて欲しいと思ってしまう、この欲は。

自分はどこにいるのだろう。

 

以下に磯野真穂『ダイエット幻想-やせること、愛されること』を読んだ僕の所感(2020年8月の読書感想文より)を抜粋する。

磯野先生曰く、本書は『なぜふつうに食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』で拾いきれなかった部分(どう生きていくか)に論を割いている、とのこと。本書での試みは、「自分らしさ」を過剰に求めながらも、一定の枠に嵌め込もうとする暗黙の規範から自由になること、と受け取った。点(タグ)で自身を認識する・されるだけでなく、一つのラインとして生を描くことで、個々の物語が育まれる。『急に具合が悪くなる』を読み返したくなった。

学部生時代、磯野先生の演習で「人間は物語を求めてしまうものである」と締めくくられた時にはしっくり理解できなかったものが、なんとなく繋がってきたような気がする。生きることと学問は繋がっていくのだなあ。学問は人を生かすためにあると信じたい。

以下、印象に残った箇所を抜粋。読み返したらほぼ要約になった。

「《わたし》は自分の中ではなく、他者との差異の中に存在しているのです。《わたし》と異なる他者が《わたし》を存在させており、他者とは違う《わたし》が他者を存在させています。だからこそ自分探しを始めると、それまで以上に他者に呼びかけてほしくなります。自分探しとは、他者と自分を比較し、自分の望む形で相手が自分を呼びかけてくれるよう、他者に合図を送る作業でもあるのです。(P40)」

「他者から「やせたね」、「かわいくなったね」と言われて嬉しくなり、やせることによって友人関係が良好になって、さらには恋人ができる。そういう形で自分自身を立て直すと、その他者からの呼びかけがないと今度は不安になってしまいます。自分がどう思うか、自分がどう感じるかではなく、他者の評価が自分自身の寄って立つところになっていくのです。(P48)」

「「赤」や「二」といった概念で何かをまとめる際、私たちは内部の多様性に目をつむる必要があるということを意味します。(中略)色や数字といった言葉を使って何かをまとめ上げる時、私たちはその中にある多様性や、違う見方ができる可能性を切り捨て、それらを全く同じものとして扱うのです。(P122)」

「数で表されたものは、客観的で中立的なものと考えられ、それゆえに説得力を持ちます。ですが実際はそんなことはありません。何かが数えられるときそこには管理という独特な目線が入り込み、その目線の出所には、管理者が何を重要視し、何を軽視するかという管理側の世界観があるのです。(P126)」

「(注:湯澤規子『7袋のポテトチップス』晶文社からの引用箇所)これまで私たちは感覚を手ばなして言葉を使うようになることを「進歩」と考えてきた。主観的にでなく、客観的に説明する方法を追い求め、一期一会の事ごとよりも、事物の再現性の中に、科学的根拠を見出してきた。こうした状況は本当に進歩と言えるのだろうか。(P181)」

「自分らしさを見出したいのなら、自己分析をするよりも、世界と具体的に関わり、その中であなたと世界の間に何が生成されるのか、それにどんな意味があるのかを身体全体で感じ取れる力を養った方がいいでしょう。(P191)」

「生きるとは、やせるという必死の能動を通し、他者から愛されやすい受動的な点に自らを変換することではありません。生きるとは、自分と異なる様々な存在と巡り会い、その出会いに乗り込みながら、互いを作り出すこと。そして、その現れを手がかりにし、次の一歩を踏み出し、進むこと。生きるとは、そんな出会い、現れ、歩みの連なりであるはずです。(P210)]

ごちゃごちゃ述べてきたけれど、今の僕は、大切な人達と過ごす時間を大事にしたいと思っています。

咲き出した桜とともに、『献呈』しかと受け取りました。本番、大変楽しみにしております。

 

(石榴の花が咲いてる。)2022年早春公演

『献呈』

4月2日(土)

14:30(公開ゲネプロ)

17:00

19:30

*上演時間は2本合わせて60分程度

*受付開始・開場は各回の30分前

於 兎亭(東京都練馬区旭丘1-46-12 エイケツビルB1)https://usagitei11.amebaownd.com/

演目:

ジュン・チャン(白米炊けた。)作「はなむけ」

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)作「CONfi( )n( )E.」

出演:

佐藤勇輝

永谷ちゃづけ

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)

演出・舞台監督:

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)

照明:寿里

チケット、予約:

①来場チケット(当日、会場でご覧になる方)…2,000円

②生配信チケット(上演の同時生配信をご覧になる方)…1,500円

アーカイブ配信チケット(上演映像をご覧になる方。4/2(土)夜~30(土)配信予定)…1,500円

[①ご来場予約フォーム」https://www.quartet-online.net/ticket/zueignung?m=0tfhjbc

[②③生配信及びアーカイブ予約フォーム]https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02z5e7gj7k821.html

 

どう生きたって、僕は読んだ本や学んだ知識からは逃れられない。でも、そうやってなんとか生き延びてきた。これからだって。勇気を持って、生きていくんだ。

ヤマシタトモコ『違国日記』6巻、8巻https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/

白野ほなみ『わたしは壁になりたい』https://comic.pixiv.net/works/5627

朝井リョウ『正欲』https://www.shinchosha.co.jp/seiyoku/