次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第一便

タカシナです。

ジュン・チャンに、「なんか二人で返事し合うみたいなのを交互に書いてさあ、それをさ、なにかしらの媒体に載せたら白米やってるみたいにならない?」という、すごく曖昧な思いつきを話してみたとき、脳裏には「それって往復書簡って呼ばれるやつなんだろうな」と思ったけど、私は実際には往復書簡というものをきちんと読んだことがないのであえてその言葉は使わずにいました。そうしたらジュン・チャンのほうから、「往復書簡ってやつ?」と言ってくれたので、無事そういうことになりました。
ちなみに一旦書き終わってから、LINEで「書けたけど一回共有する?それともこのままもうあげちゃう?」と聞いたら、あげちゃお、とのことだったので、ジュン・チャンも今このブログで初めてこれを読んでいるはずです。
いいですね、これ。直前まで内容を知らないというのは、手紙らしい風情がある。


「往復書簡 書き方」でGoogle検索したら、公開されることを前提に交わされる文通、というようなイメージでいいらしいです。
なので、私もこの文章を、大分に住むジュン・チャンに宛てた手紙として、なおかつ色んな人に読まれることを念頭において書いています。
文体がいつもに増してふやふやしているのは、そのせいです。


ジュン・チャンもきっと読んでいると思う、ヤマシタトモコの「違国日記」5巻、作家を生業にする槙生というキャラクターが、こんなことを言います。
「書くのはとても孤独な作業だからさ」
これは、事故で突然亡くなった彼女の姉が、生前娘へ向けた日記を書き溜めていたことを知ってのセリフです。槙生の知る姉は文章を書いたりはしない人だったから、どうしてかな、と。作中何度も描かれるように、作家である槙生にとって「書くの」は仕事で、もはや日常的な動作でもあり、しかし彼女はそれをあくまで「孤独な作業」というのです。


文章って、手書きにせよスマホやパソコンで打つにせよ、書こうと思わなければ書かないものですよね。
書くべきことや書きたいことがあって、紙やキーボードに向かい合って、書く。
私自身、なにかしらの文章を書くという行為は好きだし気持ちがそれで救われることも知っています。とはいえ、「書く」というのは、例えば鼻歌を歌うような、あるいは知ってる曲で踊るような気軽さでは行えない。それは、「書く」のであればなにか中身を生み出す必要がある、と気構えているからなのかな、と思います。
でも、もっと気軽に書きたいな、とも思うのです。
書くことで孤独になれるから。


なにかを書いているときに初めて気がつく自分の気持ちがあります。自分の頭の引き出しの、隅々までをさらうようにして、適切なたった一言を探したりしているうちに不思議とあらわれているもの。
それはもともと自分の中にあって、まだ言葉になったり名前を得たりしていなかったから気付かれずにいたもの。
私は、「自分のために書く」というセルフセラピーにあなたを巻き込もうとしているのかもしれません。怪しいですね。逃げた方が良い。


といっても、往復する書簡なので、必ずジュン・チャンとの間にやりとりが生まれるはずです。
この試みは、そっちが目当てだったりもします。
ジュン・チャンと私のやりとりは、はたから見たら果たして成り立っているように見えるのかわからないかもしれないけど、違うもの同士が丁々発止するスリリングさはあるんじゃないかと思います。


初めだからなにか枠組みのようなものを示そうと思えばそうできるのでしょうが、色々決めちゃうと多分続かないので、とりあえずこんな感じで筆を(うそです)置きます。


当面の目標というか、ゴールはタイトルにもあるように、私とジュン・チャンが会って呑むこと。
東京と大分、という距離以上に隔てる事情の多い今ですが、落ち込むのにも疲れたので、始めようと思います。


それっぽく、最後にジュン・チャンへの質問というか投げかけというか、書いて終わろうかな。
好きなお酒のつまみはなんですか?
私は、あえて一つに決めるなら、塩辛かな。
それでは。