次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第一便 返信

ジュン・チャンです。

 

昨日、仕事終わりにタカシナに電話したらすぐに出た。

最後に会ったのが2019年の11月だったから、久しぶりに互いの声を聞いた。

たいがい、僕からタカシナに突発的に電話する時は、何かが始まるきっかけになることが多い。いや、多くなってきた。

働き出して初めて公演を決めた時も(喫茶フィガロ冬の文化祭2018への参加)、真っ先にタカシナへ電話した。京大の吉田寮を通り過ぎ、京大病院の前を歩きながら、興奮おさまらず喋ったのを覚えている。

そして昨日の電話は、この往復書簡が始まる契機になったのだった。

 

いつまで続けるかというと、ひとまず会って呑む日までだが、次に会えるのはいつだろう。最後に会った時は、ぱっちと3人で赤羽で昼から飲み歩き、18時に解散したね。健康。

ちなみに、好きなつまみでぱっと思いついたのはホタルイカの沖漬け、ポテサラ、卵焼き、クリームチーズ酒盗の組み合わせかなあ。別府でもよく呑むけど、呑むというよりご飯を食べに行く感覚が強い。おにぎりが美味い店は、何食べても美味い。

あー!タカシナ案内したいなあ!砂湯に埋もれようぜ。

 

タカシナからの書簡を読んでいてふと気づいたのだけど、「違国日記」はそれぞれの「孤独」について扱っているんだなあ。だから違う国(各自)の日記なんだ。文章を書くことだったり、映画を観ることだったり。6巻のエミリの、日常の中でフッと自分の中に埋没する描写がとても好きだった。人は人の中にいてもひとりで、でも、ゆるーく周りの人と繋がってんだよなあ。

 

違国日記6巻といえば、新年会の場面にとても救われた。可視化されにくいAセクシャル圏の人を、その言葉を使わず見事に掬いあげてくれた。「こんなに優しい作品ある泣!?」って感じだった。

 

孤独というと、草薙くん主演の映画『ミッドナイト・スワン』を思い出す。

トランスジェンダーの主人公を草薙くんが演じることにいろんな焦点(ヘテロ男性がトランス女性を演じること、性的マイノリティの悲劇的シナリオなど)を当てられがちだった。

批判はあって然るべきと思う一方で、僕は作品のテーマは「孤独」であるように感じた。タカシナも観た?

 

僕にとっての個人的な「書く」という行為は、荒ぶる自分、呑み込んでしまった自分を整理する行為で、思いついた時や週末に、まとめて日記をつけている。体調のことが主だけど、心に引っかかていることや、感情の揺れなどなど、ほぼ日に書いている。

人と話して吐き出すことも沢山あるけれど、なかなか本心が出てこないこともある。何かに向けるわけでない「書く」という行為は、ひたすら自分と向き合い、一枚一枚剥ぎ取っていく行為だなあと思います。

 

なんかいつも通りツラツラ書いちゃった。まあいっか。「孤独」と「書く」についてでした!