次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第二便 返信

ジュン・チャンです。

タカシナの[まあこれを書いた次の日には気圧やPMSで寝込んでいるかもしれないんだけどね。]を読んだ時、思わず笑ってしまった。僕も全く同じ状況だから。気圧と寒暖の差で、ただでさえダメージを受けているのに、キツイよね。仕事サボりたい。

身体のバイオリズムを考えて生活するならば、月の2週間は勤務時間制限して働けたらなあって、切実に思う。もっと欲を言うならば、日照時間も加味したい。制度に人体を合わせる限界。お布団だけが味方。

 

1月27日、今日はアウシュヴィッツ強制収容所が解放された日で、ホロコーストの日なんて呼ばれている。ポーランドアウシュヴィッツメモリアルでは、例年式典が行われている日であります。動画を見るたびに、鈍臭い自分がよくもまあ一人でポーランドに行って、無事に帰ってきたなあと、しみじみ思う。

曲がりなりにも学生時代、この辺りのことを齧った身としては、色々考えてしまう。世界で一番民主的であったはずの憲法を持った国民が選んだのが、特定の民族や、性的指向性自認が枠組から外れている人、精神疾患を抱えた人を、人として扱わず、虫ケラのように殺していった事実。日本にしても、アジア諸国への侵略・加害、江戸時代からの差別を根底にした沖縄の扱いなど。

「どうして人はこんな残酷なことができてしまうのか」と、子供心に思った日から、知れば知るほどこの想いは拭えない。大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。

僕だってそうだ。

[たぶんその頃もリアルで会ってると思うから、]で、自分の中にあった弱さが引き起こした後悔を思い出した。

タカシナがちょうどしんどかった時期、朗読会の試みをした時だったか、僕はタカシナに対してとても傷つける発言をした。何も考えず発言していて、言った後にハッとしたけど遅かった。自分の中にあった賤視を自覚した瞬間でもあった。あの時も謝ったけど、今でも本当に後悔している。改めて、ごめんなさい。

 

タカシナは『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』を自分の体験とリンクさせて読んだんだね。実はこの本を読んだ時、映像か演劇にできないだろうか、と本気で考えた。逆に言うと、それくらい生々しく生がそこにあると思った。医療人類学の研究論文だから、そりゃそうなんだけれども。

ちなみに、僕は仕事と引きつけて読んでいた。以下は読んだ当初の感想より。

[自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。]

この想いは今でも感じているし、早く僕の仕事が必要なくなる社会になったらいいなあって思っている。幸か不幸か、今はまだ必要な部分があるのも確かだ。皮肉なことに、このコロナ禍になって、「当面は自分にできることをやりきるしかない」と覚悟が決まったところがある。

 

タカシナが自分のマイナスの思考から逃れるために食べていた、というのを読んだ時、最近読んだ上橋菜穂子先生の『明日は、いずこの空の下』というエッセイの一節を思い出した。

[自分の痛みを、他者に伝えるのはほんとうに難しい。そして、他者の痛みを察することもまた、とても難しい。それは心の痛みも同じことで、分かりたいと願っても、探り出そうと問いかける言葉は、いつも、どこか微妙に的からずれていて、応える言葉もまた、どこか微妙に伝えられぬものを残したままで終わる……。(P38)]

上橋先生が高校生の時、悩んでる友人に上手いことが言えなかった、って言うエピソードからきている。当時を振り返ると、僕もタカシナにどんな言葉をかけていいのかわからなかった。何を言っても傷つけるんじゃないかと思っていた。

他者の痛みを、完璧に理解することはできない。でも、だからこそ、想像することから、向き合うことから、逃げたくない。

 

自分がいろんなものから逃れる方法ってなんだろう、と考えると、まず一人旅が思いつく。特に、ポーランドに行った時に強く感じた。もちろん心細さはあったけど、日本語の聞こえない、まったく知らないポーランド語しか聞こえないのが、逆に居心地が良かった。

大分に来てからは、海辺に行くこと、喫茶店で本を読むこと、になっているかもしれない。耐えきれない時は、夜の海に行って波の音を聴きながら泣く。今のところ、平均して年2回の心のデトックスです。あまりに溢れると、言葉になんかならないし、人に縋れないんだよな。

 

序盤から堅苦しい話題が続いたので、我々らしい酒の話をすると、磯丸水産、いいね。行きたいね!どっかおしゃれな街に行ったのに、なぜか磯丸水産で、昼から呑んだよね。イカとかホタテとか焼いて美味しかった〜。一昨年の赤羽といい、我々の昼飲み率って割と高いのかな。というか、常に酒飲んでるのか。

 

酒の話とコロナ禍、地方の一人暮らしということで、つい先週末にやらかした話をするね。

久々に一人で呑み歩いたのと、いろんな事情で暫く呑み納めだったのと、大好きな友人何人かに偶然会えたので、ご機嫌に呑みまくった。

短時間でチャンポン(焼酎、ハイボール、ビール、ウィスキー、日本酒)×10杯呑んだ結果、帰途・帰宅後の記憶はあるのに、帰宅前の1時間の記憶が抜け落ちていた。

なぜ記憶がないことに気づいたかというと、朝起きてふとLINE見て「え?なんで僕、23時にこの人に電話してるん?そういえば昨日、隣に座っていた?え?座っていた?」となったから。酔っ払って近所の友人を呼びつけていたようだが、そこだけ綺麗に抜け落ちていた。ここまで人に迷惑をかけたのは初めてで自分でもびっくりしたのと、「呼ばれたお前もなんでいんねん!」のダブルパンチのびっくりだった。謝罪した。一人で飲み歩くとずっと呑み続けてしまうのと、3軒目なんて行くタイミングには、そもそも脳味噌寝てるんだよな、と本気でヤバいと自戒した。

歩いて帰ったし、家計簿書いて財布の中身も整理して、寝巻きに着替え歯磨いて寝てるのに。オートメーション化こわい。記憶がない、ここ数年増えてはきていたが、今回はかなりの恐怖だったぜ。電話して人を呼びつけた記憶がないってさ、ハハ…。

 

ここまで書いといてなんだけど、呑みに行けないタカシナにこんなこと話すか悩んだんだ、これでも。酒の肴にしてくれ。

こっちに来てからは焼酎ばっかり呑んでいる。冬は黒霧島、夏は木挽ブルー。最近は西の星がさっぱり感じて美味しかった。

よかったら、記憶がなくならない程度に呑むアイディアをくださいませ。

お互いPMSを乗り切ろう。