第三便
タカシナです。第三便ですね。
耳鼻科でたいそう痛い処置を受けた悲しみをいまここにぶつけています。と言うのは半分嘘で、帰り道を歩いているうちにだんだん書くことを思いついたので書いています。
体調不良の話なのだけど、私は特に思春期というか、中学高校に通っていた頃が一番、体調が安定せず常にしんどかったような記憶があるなあ。今も根本として体調の揺らぎやすさは変わってはいないけど、つきあい方が分かってきたので幾分マシになったかな、と。
中高生の頃は、どうしてこんなになにもかもしんどいのか自分でも分からず、複合的な要素をひとつひとつ解いて言葉にする自分の身体への解像度も持てず、周囲からも怠惰とみなされがちだったし、原因も対処法もわからなかった。そんななか、毎朝同じ時間に起きて学校へ行き、授業を受け、体育では走り……と、軽微な体調不良では逃れることのできない隙のないタイムスケジュールで毎日過ごさなければならないつらさというのはなかなかだった。適宜サボりつつ卒業したけれど。
その頃の、中高生の頃の生きづらさというのは強烈な印象として私の中に残っており、このツイートでも触れた通り
リノリウムっていうと 「コーヒーをこぼしたままのリノリウム 泣いてばかりの十代だった」っていう歌を思い出す 泣き疲れて身体に力が入らないあの感じは確かに十代のものだった、なにか嵐のようなものが自分から失われたのだと、過ぎてみてはっきり分かる
— ☃️冬眠☃️ (@alcohol100p) November 20, 2017
コーヒーをこぼしたままのリノリウム 泣いてばかりの十代だった
佐藤りえ 『フラジャイル』
この歌のような感覚だった。しなければならないことは目の前にあってやらなきゃと思っているのに泣き疲れた身体には力が入らない。床にへたりこんで、もう戻らないコーヒーを、眺めていても片付かない床をただ見ている。そんな気分。
当時の私がなにに泣いていたのか、なんでコーヒーをこぼしただけで世界が終わるくらい辛かったのか、今となっては遠い過去だから思い出せないことも多い。
ただ、最近になってふと、当時の私がもっと自分の身体のことを知ることができていればな、と思うこともある。どれだけ周りの言うことを聞いて昼間運動したり夜にお風呂に入ってみたりしても、頑固な不眠はそれだけじゃ治らない。起きてすぐの動けなさもそう。そもそも朝起きられないときは、すでに精神を反映して身体が限界になっているからもう諦める。生理や気圧やストレスは要注意の要素。あと、ご飯食べた後眠くなって5時間目に大好きな授業なのに寝てしまうのは、必ずしも怠惰だけが原因ではない。
それら全て、私が持って生まれた体質で、もしかしたら夢のように治る方法もこの世にあるかもしれないけどまあ2021年2月時点の26歳の私はそれを知らない。今のところ、だましだまし付き合う以外の方法を知らない。
なんて不便な身体なんでしょう。
もっと強く生まれていたら、怖いと思うものも今よりずっと減っただろう。もっといろんな方法で人を助けたりもできたのかな。これは笑って聞いて欲しいのですが、私は本当の本当はタフに人助けできる感じの人になりたかったのかもしれない。心も身体もタフに、目の前の人を助けられるような人に。アンパンマンを心から尊敬している。彼は「タフ」とは少し違うかもしれないけど。でも、アンパンマンのように他者へ優しくあるためには、ある種のタフさは必要な気がする。
遠方に暮らす祖父の部屋の壁には、祖父の琴線に触れた記事の切り抜きなんかが色々貼ってあるのだけど、そのなかに「自分を救え」というものがあった。花に埋もれたなかに寝そべる女優さんが強い眼差しでこちらを見据える、それは美白化粧品の新聞広告だったのだけど、祖父は宣伝された商品とは関係なくキャッチコピーに惹かれたらしい。「自分を救え」という言葉のその下に、力強く赤ペンで線が引いてあった。
その頃祖父は腰を悪くして入院し、退院しても体力が落ちて以前のようには本を読めず、酷く落ち込んでいた。一番の趣味を満足に楽しめないなか、どんな気持ちでその記事を切り抜いて、赤線を引いたのだろう。自分を救え。
私は自分ひとりを救うのにもまだまだ難航していて、他のことまで手が回らないままここまできてしまったけど、それでも、自分の身体の好調/不調、快/不快の理屈は中高生の頃よりはわかるようになった。
その意味ではここまで生きてきてみてよかったかなと思わなくもない(BGM:私は今日まで生きてみました*1)。少なくとも、中高生の頃の、この先もどうせこのまましんどいままなんだと思っていた頃の自分には、10年くらいするともうすこし楽になってる部分もあるかもよ、とは言ってあげられるかもしれない。まあ別のしんどさは随時発生するので人生もぐら叩きですが。
そうそう、ジュン・チャンとは互いの卒論を読みあった仲だった。卒論ってそこそこ長いし読むのに骨が折れると思うので、きちんと読んでアドバイスをくれる友人がいるという事実そのものが、当時の私には救いでした。その節はどうもありがとう。
改まってそういう話をしたことはないけど、世界史をさっぱりやってこなかった私にも、ジュン・チャンの言うことのうち少しはわかるような気がする。私が自分の日本近現代史専攻としての卒論のテーマに優生思想を関係させたのも、
前にNHKでたまたま見た番組で、ドイツの歴史学者に「強制断種、T4作戦、ユダヤ人虐殺、この三つを(ドイツの)歴史学ではどのように捉えているか」と尋ねたら「密接に関係していると考える」と即答している場面を見て、その言い切りの強さ含めてずっと印象に残っている
— ☃️冬眠☃️ (@alcohol100p) July 23, 2020
このエピソードがひとつのきっかけだった。この、きっぱりとした言い切りの強さからは、歴史学の学問としての矜持や使命感までもが感じられた。見るのが嫌になるようなものだとしても、ちゃんと見なきゃいけないと思った。
そんなわけで、卒論のテーマが優生思想に関するものだったのでその辺の論文のコピーが家にまだあって、先日ふとそのなかのいくつかを読み直していたら、こんな一節があった。
「われわれは、個人が自分に都合よく生きようとする場面で動員されている優生思想、つまり『内なる優生思想』が確かに存在しており、それは『国家の意向の内面化』という説明で決着がつくような代物ではないことに気づいている」
松原洋子「<文化国家>の優生法ー優生保護法と国民優生法の断層ー」
ちょっとした思い出話。私は自分の卒論を、出生前診断について述べることから始めた。自分が優生思想に関心を持つきっかけは複数あったけれど、出生前診断もそのひとつで、だから言葉選びにはかなり神経を使ったけれどその話題を書くこと自体には疑問はなかった。
口頭試問(めちゃ緊張した)が一通り済んだあと、それまでの試問よりは少し軽い感じで教授に聞かれた。
「これは卒論の中身からは少し外れた、個人的な関心からの質問なんだけど。○○さん個人は、ここに書いてる出生前診断にはどういう意見なの?」
予想していなかった質問で、頭が止まってしまった。あれだけ「はじめに」で書いておきながら自分の意見がまとまりきっていなかったことを痛感して顔が真っ赤になったのを今でも覚えている。
「どういう選択をするにせよ、それは実際育てる夫婦の意志であればこそ許容されるもので、周囲や社会が口を出すべきではないと思う」みたいなことを、百倍しどろもどろに答えて、帰った。帰り道、たぶん試問は大丈夫だったということより、最後の質問のことばかり頭を巡った。
今考えても、出生前診断について、自分の意見自体はあのとき答えたものとあまり変わりない。しどろもどろだったけど答えの中身自体は自分のなかから出たものだったらしい。だけどその分、先に引用したような「内なる優生思想」との対峙の仕方を考えてしまう。「国家の意向の内面化」で説明できたならいっそ楽だろうけどそうではなく、私自身が、自分のなかにある差別や、偏見と向き合っていかないといけない。
結局、ひとつを許すことはだんだんとその延長にあるものまでも許すことに繋がる、と思うから、つらかろうが、やるしかないのでしょう。
ジュン・チャンが前回の返信で書いていたこと。
大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。僕だってそうだ。
私もそうです。
例えば今までしてきた話だってそう。正直、自分がもし仮に子を産み育てる立場となってみたら、私はその子になにも求めずにいられるだろうか。幸せであって欲しいという思いに隠して、たとえば健康や、力や、美や、知を求めたりはしないだろうか。求めたら、それが叶わなかったときに失望せずにいられるのか。センシティブな話なのであえて抽象的な話にして逃げを打っています、ごめん。
話題を変えます。なんとこの話題も重たいです、びっくりだね。
自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。
という、これも前回の返信から、読書日記の抜粋について。
以前、発達障害当事者の方がTwitterで「もし自分の発達障害を消せるとしたら、消す?消さない?」というアンケートをされているのを見たことがある。結果ははっきりとは覚えてないけど割と拮抗していたように思う。リプライも盛り上がっていた。
そのときの私は、それを見ながら結構悩んだのを覚えている。当事者ではないにせよ自分の生きづらさ、の原因が例えばやたら繊細で過敏な傷付きやすい精神性だとか、そういうもののせいだとして、じゃあそれを取ったら私は私なのだろうか?と。
以前、飲みの席で管を巻いている時に、ふと口からついて出た言葉、確かこんな調子だったような。
「もうなんかこれくらいの年齢になるとさ、自分がこじらせてるとかめんどくさいとかそういうのはもう自分で分かりきってることだし自覚もあるけど、じゃあそれを治したら治したでその自分を私が愛せるかって言うと、多分違うと思うんだよねぇ。多分さあ、散々自虐で自分のことこじらせとかめんどくさいとか言ってても、そういう自分をほんとのとこでは嫌いじゃないってのが最大の問題なんだよ。変わる気ないもん。そこ込みで自分だと思ってるもん。なんなら自分のセールスポイントもそこに置いちゃってるもん」
なんと清しい開き直り!しかし、これを超える本音が今のところ見つからないのも確かだ。
私は、私でいることでずいぶん苦労もしているように思うが、だからといって結局そういう自分を嫌いにもなれない。
「生きること」そのもの、これを「生活」と言い換えてもほぼ同じ感覚なのだけど、それらには結構明確に、得意/不得意、向き/不向きがある、と思う。
「……できる人が できない人に できるハズって言うのは マズイんじゃないですか」
私はこの台詞がとても好きなんですが、ほんとこのマインドでね、生きるのに向いてない人でもなんとか生きられるような世であってくれ~、と思う今日この頃です。弱い私も、弱さも私だし、変えられるとこは変えつつも、根本私として生きていたいし。
なんとか冒頭の話と繋がったあたりでこの便を終えたいと思います。ちょっと話が長いよね。いつも電話も長くなるもんね、仕方ないね。
ところで、ひとつ提案なのですが、ずっと書き出しが私だとなんとなく形式が固定されちゃう感じがあるので、第四便はジュン・チャンから書き出すのはどうでしょう。これは提案として投げておくので返信ください。
追伸:最近の酒事情
祖母がマンションの自治会のクリスマス祝いで貰ったワインをうちじゃ飲まないから、とこちらへ送ってくれたので、最近はそれを鍋で温めて飲んだりしています。この間はオラオラ言いながらみかんいれて煮て潰して飲んだらおいしかったし身体に良い気がしました。幻想。