次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第七便の観測

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ひらちゃんです。
2カ月の御暇をしていました。


というのは半分嘘で、もう半分は転職先での仕事が始まったこと、及び希望的な意味でも絶望としても出ると思っていなかったこの緊急事態宣言に心底振り回されていたというのが正しい。だってさ、宣言出る直前に引っ越しの契約しかかってたんだよ、もうあと不動産屋に書類送るだけだったんだよ(解約させてもらった、不動産屋さんごめん)。あまり政府がどうにかしてくれるとは思えなくなってきつつあるところ、宣言が出されるとオットの仕事量(つまり、我が家の収入)にダイレクトに響くので、本当に今私はお国がこわい。

写真は葛西臨海公園の親子鴨で、子鴨の移動スピードのヤバさに引いた、あいつらめっちゃ速い。そんなふうにとにかく休日は都内をほっつき歩き回っていた。

ここのことをほんとうにただ観察するだけになっていて、犬氏及び姪っ子氏をいつくしむ気持ちがまぶしい。
犬飼いたい。
ペット可物件に引っ越したい、できれば2DK以上駅徒歩15分以内で。
思い返すときのことを思える生活だなんて!
責任を持ちたい。いや、そんなことをしなくたって責任をもって仕事とかやるべきなんだけど。

一年以上前の緊急事態宣言を契機にこの会えない生活が始まったのだというのに、なんだかあんまり前に進んでいる気がしないでいる。作り出すことが前に進むことだと仮定したらジュン・チャンの政治活動の試みはすごく賢明で懸命、なんせ乱世で自分が否定されることが多いと他人のことも否定していいような気持ちになってしまう人がたくさんいると思うので。自分自身が種の保存に資しているなんて気持ち悪いことを思わせられてたまるか。先週28歳になって、20歳の時の自分の予定ではもう子供を産んでいるつもりでいて、まだ私は毎月ヤーズフレックスのお世話になりながら卵子を卵巣に押しとどめている状態なので腰の怠くなるようながっかり感、といってジャンヌダルクでもなし、静かにベッドに腰かけています、とはいえそう、個人的なことを公に絡めとられるのはタカシナが言う通り真っ平御免、トランスかどうかで分断されるのも御免、この意味では私に当事者性はないけれど次が私の番じゃないとどうして言えるんだ。



ギャラリーだったり文学フリマだったり、外に出られない日々といえど表現を伝えるという意味での「外」に半身を出していくのが、絡めとられない方法のように見えます。
そしてそれは全然軽やかじゃないのだね。
その軽やかじゃなさを祝いたい。

ジュン・チャンから課題図書と言われていた『夏物語』をようやっと読む。
そういえば『乳と卵』は持っていた。

文章を書くことも夢を見ることも彼らはするけれど、巻子の豊胸手術も、夏子の子が欲しいのことも、クリニックなり体験者なりに「話しに行くこと」でしか話が転がらない。調べて、チャレンジして、行動して、やっと地団駄踏む資格が与えられるんだなと諒解する。ついでにチェイサーとして遂に完結したよしながふみ『大奥』を読んでみたらチェイサーにならなくてダブルパンチで転げた。
地団駄を踏みに行こう。