次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

早春公演『献呈』によせて

白米炊けた。7年振りの東京進出。

白米炊けた。発起人ジュン・チャンです。今回は番外編投稿だ。

10年来の業務提携先である(石榴の花が咲いてる。)に脚本を託した。

今日、中野さんがやっと脱稿した。遅かった。けど、おつかれさまでした。脱稿した「CONfi( )n( )E.」をざっと読んで過ったのは「痛いところを突く」「暴力的」と言ったザワザワする感情だった。一方で、「ただ在るだけでいい」と肯定するものもないまぜになっていた。「CONfi( )n( )E.」を読んで、磯野先生(文化人類学、医療人類学)が何かの講義で触れていた、ラベリングの危険性を連想した。

例えば、うつ病等の診断名がつくことで、診断された当事者が積極的に「うつ病患者」らしくなろうとする、等。

今回の企画に当て嵌めるならば、僕が書いた「はなむけ」(余談だが、本作のタイトルは「夜を越えて」と悩みました)で語られる、性自認性的指向、表現したい性についても、ラベリングの危険性はあるだろう。しかし、それらは流動性があることも勿論前提とする。

個人的な体験だが、友人に「自分は人を恋愛的に好きにはなれない気がする」「自分を男でも女でもないと思っている」というような話をした時に、「あなたはそうじゃないんじゃない?」「色々知識を得たからそう思ったんじゃないの」と返されたことがある。その友人は、性別変更をしようとする人が辿る、煩雑で大変な過程を知っていたからこそ「生半可にそんなことを言うな」という釘刺しの意図で発言していた。

あれから7〜8年が経ったと思う。

相変わらず僕は、特定の誰かに特別好意を抱くという情動が分からない。このままいくのか、もしかしたら特定の誰かを恋愛的に想ったりすることが今後あるのか。わからないけれど、今の僕は、多分前より自分が嫌いじゃない。アセクシャルノンセクシャルXジェンダー……自分の状態に当て嵌まりそうな名称を得た安心感に安住してしまっている。ただ、それと同時に、括られたくないと思う自分も相変わらずいる。僕を僕個人として見て欲しい、認めて欲しいと思ってしまう、この欲は。

自分はどこにいるのだろう。

 

以下に磯野真穂『ダイエット幻想-やせること、愛されること』を読んだ僕の所感(2020年8月の読書感想文より)を抜粋する。

磯野先生曰く、本書は『なぜふつうに食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』で拾いきれなかった部分(どう生きていくか)に論を割いている、とのこと。本書での試みは、「自分らしさ」を過剰に求めながらも、一定の枠に嵌め込もうとする暗黙の規範から自由になること、と受け取った。点(タグ)で自身を認識する・されるだけでなく、一つのラインとして生を描くことで、個々の物語が育まれる。『急に具合が悪くなる』を読み返したくなった。

学部生時代、磯野先生の演習で「人間は物語を求めてしまうものである」と締めくくられた時にはしっくり理解できなかったものが、なんとなく繋がってきたような気がする。生きることと学問は繋がっていくのだなあ。学問は人を生かすためにあると信じたい。

以下、印象に残った箇所を抜粋。読み返したらほぼ要約になった。

「《わたし》は自分の中ではなく、他者との差異の中に存在しているのです。《わたし》と異なる他者が《わたし》を存在させており、他者とは違う《わたし》が他者を存在させています。だからこそ自分探しを始めると、それまで以上に他者に呼びかけてほしくなります。自分探しとは、他者と自分を比較し、自分の望む形で相手が自分を呼びかけてくれるよう、他者に合図を送る作業でもあるのです。(P40)」

「他者から「やせたね」、「かわいくなったね」と言われて嬉しくなり、やせることによって友人関係が良好になって、さらには恋人ができる。そういう形で自分自身を立て直すと、その他者からの呼びかけがないと今度は不安になってしまいます。自分がどう思うか、自分がどう感じるかではなく、他者の評価が自分自身の寄って立つところになっていくのです。(P48)」

「「赤」や「二」といった概念で何かをまとめる際、私たちは内部の多様性に目をつむる必要があるということを意味します。(中略)色や数字といった言葉を使って何かをまとめ上げる時、私たちはその中にある多様性や、違う見方ができる可能性を切り捨て、それらを全く同じものとして扱うのです。(P122)」

「数で表されたものは、客観的で中立的なものと考えられ、それゆえに説得力を持ちます。ですが実際はそんなことはありません。何かが数えられるときそこには管理という独特な目線が入り込み、その目線の出所には、管理者が何を重要視し、何を軽視するかという管理側の世界観があるのです。(P126)」

「(注:湯澤規子『7袋のポテトチップス』晶文社からの引用箇所)これまで私たちは感覚を手ばなして言葉を使うようになることを「進歩」と考えてきた。主観的にでなく、客観的に説明する方法を追い求め、一期一会の事ごとよりも、事物の再現性の中に、科学的根拠を見出してきた。こうした状況は本当に進歩と言えるのだろうか。(P181)」

「自分らしさを見出したいのなら、自己分析をするよりも、世界と具体的に関わり、その中であなたと世界の間に何が生成されるのか、それにどんな意味があるのかを身体全体で感じ取れる力を養った方がいいでしょう。(P191)」

「生きるとは、やせるという必死の能動を通し、他者から愛されやすい受動的な点に自らを変換することではありません。生きるとは、自分と異なる様々な存在と巡り会い、その出会いに乗り込みながら、互いを作り出すこと。そして、その現れを手がかりにし、次の一歩を踏み出し、進むこと。生きるとは、そんな出会い、現れ、歩みの連なりであるはずです。(P210)]

ごちゃごちゃ述べてきたけれど、今の僕は、大切な人達と過ごす時間を大事にしたいと思っています。

咲き出した桜とともに、『献呈』しかと受け取りました。本番、大変楽しみにしております。

 

(石榴の花が咲いてる。)2022年早春公演

『献呈』

4月2日(土)

14:30(公開ゲネプロ)

17:00

19:30

*上演時間は2本合わせて60分程度

*受付開始・開場は各回の30分前

於 兎亭(東京都練馬区旭丘1-46-12 エイケツビルB1)https://usagitei11.amebaownd.com/

演目:

ジュン・チャン(白米炊けた。)作「はなむけ」

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)作「CONfi( )n( )E.」

出演:

佐藤勇輝

永谷ちゃづけ

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)

演出・舞台監督:

中野雄斗(石榴の花が咲いてる。)

照明:寿里

チケット、予約:

①来場チケット(当日、会場でご覧になる方)…2,000円

②生配信チケット(上演の同時生配信をご覧になる方)…1,500円

アーカイブ配信チケット(上演映像をご覧になる方。4/2(土)夜~30(土)配信予定)…1,500円

[①ご来場予約フォーム」https://www.quartet-online.net/ticket/zueignung?m=0tfhjbc

[②③生配信及びアーカイブ予約フォーム]https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02z5e7gj7k821.html

 

どう生きたって、僕は読んだ本や学んだ知識からは逃れられない。でも、そうやってなんとか生き延びてきた。これからだって。勇気を持って、生きていくんだ。

ヤマシタトモコ『違国日記』6巻、8巻https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/

白野ほなみ『わたしは壁になりたい』https://comic.pixiv.net/works/5627

朝井リョウ『正欲』https://www.shinchosha.co.jp/seiyoku/