次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

感想文(2022年4月)

仕事辞めました。ジュン・チャンです。

広島のSocial Book Cafe ハチドリ舎に先日行ってきました。ハチドリ舎に触発され、なんかできないかなあと考えた時に、プライベートでしか公開していなかった読書感想文の公開を思いつきました。タカシナも快諾してくれました。映画が含まれることもあります。ひとまずはこれまで同様に、1ヶ月分掲載します。

 

【2022年4月】

(映画)

ザイダ・バリルート監督『TOVE/トーベ』

 

(本)

群ようこ『かるい生活』

② 磯野 真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 (集英社新書)』

③ 武田 泰淳『富士 (中公文庫)』

④ 上間 陽子『海をあげる』

⑤ 永田豊隆『妻はサバイバー』

アルテイシア『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由 (幻冬舎文庫)』

⑦ キム・ジヘ 著、 尹怡景    翻訳『差別はたいてい悪意のない人がする』


【所感】

(映画)

ザイダ・バリルート監督『TOVE/トーベ』

図書館へ行く途中に貼ってあったポスターで上映に気づいた。ブルーバード戦略にまんまとハマり、行ってみた。

本作ではムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの30代から40代に焦点を当てていた。本業の画家として奮闘しながら、生活の糧のためにムーミン作品を書いていた姿とともに、自由を愛する芸術家としての姿が、対人関係を通して描かれる。

第二次世界大戦後、自分の選んだ道を進む女達がカッコ良かった。衣装や髪型、化粧に至るまでも観ていて楽しかった。トーベがムーミン作品で売れてからも、お金がなかった時と同じアトリエで制作し、生活している場面も素敵だった。

愛し続けた人との恋人関係的な部分の別れ、厳格だった父の死を経て、芸術家としてのトーベはより研ぎ澄まされていったのだろうなあ。

自分もこれから頑張らねばならんと思った。


(本)

群ようこ『かるい生活』

再読。ゆるかった。身軽が一番。ムダ毛のエピソードは本書掲載であった。


② 磯野 真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 (集英社新書)』

今月、本書の刊行記念講座を受講した。受講間際、東京の行き帰りにバタバタ読んだので、全体を掴めているとは言い難いが、本書の論旨は「おわりに」の以下の箇所にまとめられているように思う。

[愛と信頼の力を駆動させるためには、関係性の内側から引き出される時間の風力に信を寄せ、未来に向かって飛んでみるしかない。外部の「正しさ」に思考と行動の根拠を委譲させることをよしとするリスク管理が封じるのは、そのような風の生成と跳躍の可能性であろう。(P274)]

上記について述べるため、本書では我々を「リスク」の下にがんじがらめにするものを整理していく。例えば、非専門家の想像力に介入しリスクを実感させ、情報に身体を寄り添わせ現実の実態を形作り、生活を再編成していくこと(P69,P84)について、脳梗塞や新型コロナウィルス等を例に述べていく。また、あるデータが真実性を帯びファクト化されていく過程や(P150〜152,P187)、「自分らしさ」の語られ方(P176〜177)、それらを下支えする人間観の共謀関係(第7章)について、示されていく。

自分が感じたのは、前著『なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学』『ダイエット幻想 (ちくまプリマー新書)』との繋がりだった。「自分らしさ」の基準を、自分の外部に委ねることのリスクを一貫して論じてきている、と自分は受け取った。本当に偶然であるが、一研究者の探究をリアルで追うことができ、驚嘆している。

刊行講座で磯野先生が触れていた「タイトルの「他者」は人間だけを指すのではない」という発言が記憶に残った。


③ 武田 泰淳『富士 (中公文庫)』

文庫本とは思えない分厚さに恐れ慄いたが、読み出したら数日で読めた。あびちゃんお勧めの武田作品。

人間は等しく愚かで浅ましい。そんな人間が、「神」的な崇拝・心酔の対象になってしまうこと、あるいはそのような対象を作り出してしまうこと。この二点について、徹底的に取り上げていたように思う。考え尽くす行為そのものが認められない様相を炙り出す。

また、「病気」「障害」とは何かについて、文学者として書き切っていたとも思う。文学の力を見せつけられた。これは渦中に身を置く当事者では成し得なかった。


④ 上間 陽子『海をあげる』

何かで書評を見て気になっていた。あえて言うならば社会派エッセイとでもなろうか。でも、そんな簡単にジャンル分けして括りたくない本だった。

本書に在るのは、日本から差別され負担を強いられる沖縄における、性被害と貧困の日常にまざまざと接し、だからこそ日々を懸命に過ごそうとする人の、静かだが必死な声だ。

自分は「何も響かない」「海をあげる」を悔しい気持ちで読んだ。特に「何も響かない」は悔しくて泣いた。とても悔しかったとしか言いようがない。支援とは、決まった枠組みに都合良く人をはめ込むことではないはずだ。

「空を駆ける」ではまた別の意味合いで泣いた。祖父が亡くなった時を思い出した。もう3年墓参りができていない。海から手を合わせる。


⑤ 永田豊隆『妻はサバイバー』

期間限定公開されているのを偶然見かけて読み出したら、最後まで読み切ってしまった。朝日新聞記者が書いた、幼少期のトラウマ、性被害に苦しむ妻との途方もないサバイブの日々。文章の端々に、著者の記者として、人としての誠実さを感じた。

みんな子どもの時に受けたものを抱えていくしかない。受けた衝撃が大きければ大きいほど、ずっと影響する。目の前に現れる人、隣にいる人が抱えるものを前にした時に、ただ一緒に在ることしかできない。

児童へのサポートは大人になってからの人生にも繋がる。大人になってから現れた問題にどう対処し生きていけるかも、両方大事な視点だ。残念ながら両方とも充実した社会とは言い切れない。家族へのサポート・ケアも同様に。いつまで家族制度を引きずって負担を押し付けていくのか。

永田さんの妻が、永田さんと出会えて良かったと思ってしまった。永田さんがM医師と会えたことも。しかし、そんな確率論の話でいいのか、とも思う。


アルテイシア『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由 (幻冬舎文庫)』

カモシカ書店でちらっとみた。全部は読んでいないが、呪いを爆笑しながら解いてくる、全人類の味方のようなエッセイだった。


⑦ キム・ジヘ 著、 尹怡景    翻訳『差別はたいてい悪意のない人がする』

自分は比較的、差別されること・することに敏感な方だとは思う。これまで学んできたこと、体験したことがベースにあり、何より疑問を放置せず追究してきたからだろう。

一方で、そんな自分でさへ、無神経な発言をしたり、場の空気に流され押し黙ったりするようなことがあり、後から忸怩たる想いに苛まれることも多々ある。自分の中にある加害性とどう向き合うかが、今一つのテーマにもなっている。

そんな問題意識で目につくものを色々読み漁っていて、何かの参考に入っていた本書。偶然カモシカ書店で発見し購入。

原文がそもそも読みやすいのか、翻訳の力なのかわからないが、大変読みやすい文章だった。

本書では、そもそもなぜ差別が生じるのか、日常の中で誰しもが(人権や差別に関する研究をしている専門家であっても)差別し得ることを、具体的な事例とともに述べている。

さらには、なぜそのことが問題となるか、先行研究(主に欧米の研究が中心)を基に論じることで、想定される反論へ先んじて回答を与えているような綿密な論旨となっていた。逆に言うと、それだけ反発が予想されるセンシティブで起爆剤となるテーマを突きつけているとも言えよう。

金美珍氏の解説により、韓国社会の動向について補強され、読み応えのある内容となっていた。

最後の章では、韓国における差別禁止法の成立に向けて、積極的に議論を行なっていくことで、現行法案の限界を超えた平等な社会の実現に近づく、という提言で締め括られていた。

読み進めながら、日本の現状を観ているような気持ちになった。しかし、差別に関する独立した行政機関がないことや、裁判所の対応を比べると、日本の人権問題の方が後進しているように感じ暗澹とした気持ちになった。

差別に対抗するために、個人でできる具体的な指針になる箇所を引用する。

[私たちの考えは、みずからの視野に制限される。抑圧された人は、体型的に作動する社会構造を見ることができず、自分の不幸を一時的、あるいは偶然の結果だと認識する。そのため、差別と闘うよりは「仕方ない」と受けとめることを選択する。一方で、有利な立場にいる人は、抑圧を感じる機会は少なく、視野はさらに制約される。かれらは、差別が存在すると言う人を理解できず、「過敏すぎる」「不平不満が多い」「特権を享受しようとする」などと相手を非難する。

 だから、私たちは疑問を持ち続ける必要がある。世の中はほんとうに平等なのか。私の人生はほんとうに差別と無関係なのか。視野を広げるための考察は、すべての人に必要だ。私には見えないものを指摘してくれるだれかがいれば、視野に入っていなかった死角を発見する機会になる。考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない。(P85)]

[差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い願望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。差別に敏感にも鈍感にもなりうる自分の位置を自覚し、慣れ親しんだ発言や行動、制度がときに差別になるかもしれないという認識をもって世の中を眺めることができるだろうか。自分の目には見えなかった差別をだれかに指摘されたとき、防御のために否定するのではなく、謙虚な姿勢で相手の話に耳をかたむけ、自己を省みることができるだろうか。(P201)]