次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十四便

お久しぶりです。タカシナです。
何度も手紙を書こうとしてうまく書けないで、ずいぶん日が経ってしまいました。

寒暖差と気圧と気候にやられまくって寝込む日々です。どうしたらこの脆弱さのままで生きてゆけるのだろうかと、そんなことを考えてしまう。脆弱さはたぶん多少改善することはできても根本的には無くせないまま私に付きまとうもので、だからそこを変えるだとか無理をさせることは最近あまり考えなくなった。けれど生まれつきの体質を呪ったりはする。
私には強さへの憧れがある。強い人間だというふうに振舞おうとした時期もあった。その後双極性障害の診断がついて、私は本格的に弱い、というか強いふりを続けられないと思い知った。それでもなお、憧れは捨てられていない。自分とは正反対の、筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な、そんな人間になりたかった。実際の私は雨が降っただけで寝込む有様だというのに。

なりたい自分になりたいの、と違国日記の朝ちゃんは言う。なりたい自分と現状の自分の乖離があまりに激しいとき、それはあまり健康的な考えを導かない。理想が高すぎるのだ。水中の生き物が空を飛ぶ鳥に憧れて何になろう。

自分の、「強さ」という観念に対するバイアスについても考えなくはない。「筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な」人間というのはつまり、いまのこの社会における強者であって、言ってみれば社会に適応するための強さである。けれど本来は切り捨てられた弱さのなかにも見るべきものがあり、すべては相対的でしかなくて、弱さを評価する方法だってあるということ。私の「強い/弱い」の捉え方が一義的なのだとは頭でわかっていて、けれど価値観を変えるのは難しい。

もし私がバキバキに強い人間だったら演劇にも興味を持たずジュン・チャンとも出会わなかったかもしれない、と思うと、現在の自分を否定ばかりしても仕方ないな、とも少しは思うのだけど。

今回はこれ以上書けなさそうなので、短めだけど出してしまおうと思います。
ジュン・チャンもご自愛~。