次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十四便 返信

大分は雨が降っています。今日は穏やかな雨です。

久しぶり、ジュン・チャンです。

こちらは退職後の手続きが完結し、ホッとしたところ。


この何年も言われていることだけど、ほんと気候までもが狂っていて、人類による環境破壊の因果が確実に巡ってきているのを感じる。そんな狂った気候で、体調を崩す層は確実に増えている。気象病の概念が認知されて、気候の体調への影響を自覚する人が増えているのもありそう。

仕事を辞めてから、国試に向けての勉強と並行して、旅に出たり、展示や上映会といった企画をしたりしていて、案外動いている。でも、働いていた時より体調は良い。肩から力が抜けたのがわかる。ずっと気を張っていたんだと思う。自分のペースで生活できているから、当然と言えば当然なんだけど。


自分より歳上の世代と話すと、基本は「若いうち、体力があるうちに」と言われ、時には年齢を羨ましがられる。正直言って僕は納得行かない。もちろん加齢に伴って、徐々に身体機能は変化し、それは通常衰えていくと認識されるから、間違ってはいない。

しかし、タカシナも綴っていたように、全ての人間が一概に体力があって元気なわけではない。ましてやホルモンバランスに左右されやすい身体に生まれた身としては、無理の積み重ねが身体にいかに影響するか、嫌というほど思い知らされてきた。

この辺も個人差があるから、左右されにくい人もいるだろうし。年齢や性別に関わらず、自分の身体に合った活動、過ごし方、休息の取り方を探っていくしかないじゃんね。

教育も社会も、休むことを許さない。本当に教えるべきは、休みながら細く長くどう生活していくかだし、国や組織がそのための環境を提供することが必要だろう。今やそんな余力は組織にないようにも感じる。

(2022年6月14日追記:いつも自分を見守ってくれる身近な人達については、自分の背中を押すために言ってくれているんだろうなとは思う。)


タカシナが書いていた[「筋肉があってちょっとやそっとじゃへこたれなくてバリバリ働いてお金を稼いで怖いものなしの健康な」人間]と言うのを、僕は信用できない。と言うか、ほんとに少数だと思う。

弱さに目を瞑る者に何がなし得るか、と僕は批判的に考える。今、この国で国政を担う者の姿とも重なる。

人の弱さを認めた上で成り立つ社会の方が、よっぽど健全な気がする。社会保障が他国より低く、生活保護費の引き下げまで起こるようなこの国が良い例だ。

身近な例としても、妊娠中の体調不良時に仕事を強要され、上司から休暇の了解を得られない同僚や、時短勤務と家事育児の両立に疲弊していく同僚が思い浮かぶ。かと言って、男性や独身者とて、過重な業務を担わされる等の理不尽な状況に晒されることも少なくない。組織を離れて、国が提示する仮初の「強さ」に準じたくない、という想いが僕は強くなっている。


今はまだ休養期間と定めたのを良いことに、色々考える期間にしていこうと思う。その一環で、次はこのことについて話し合っていきたい。

梅雨に入るしぼちぼちいこう。僕は除湿機の効果を実感している。タカシナも除湿機と豆ご飯の導入を試行してみて。僕は身体がスッキリして、怠さが軽減されたよ。この手のことって、まさにオーダーメイド人体実験だね。焦らずぼちぼち。