次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

感想文(2022年6月)

どうも、ジュン・チャンです。

意図してないけど、選挙期間らしいチョイスもありました。

 

【2022年6月】

(映画)

① 『犬王』

② 『教育と愛国』

(本)

① 石崎 洋司『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』

② マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/今井麻希子、鈴木重子、安納献 訳

『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC

 

 

 

(映画)

①『犬王』

声優のラインナップと予告編、そしてある方の感想を拝読し観たかった作品。

大分ではパークプレイスでしか上映がなく、どうしようかと思っていたが、前日にファーストデーであることに気づき、自分の予定も空いていることに気づき、一念発起して電車とバスで行ってきた。都会では当たり前だった公共交通機関での1時間〜1時間半が、車社会だと途方もない旅路に感じられる不思議。

旅路の果てに臨んだスクリーンは、一切の無駄のない作品を映し出した。筋の通ったアニメーションミュージカル。無駄なく、しかししっかり回収するストーリー。昔、北方謙三『破軍の星』や飴あられ作品で、南北朝時代にハマり調べまくったのを思い出した。短い時代の中に、のちの乱世へ繋がる日本の政治や文化の根っこがあった。そんなことにまで思い馳せてしまうくらい、ぎゅっとした構成だった。

そこに肉付けされる、権力闘争に敗れ歴史の中で葬り去られた側への弔い、芸の持つエネルギー。冒頭、厳島神社での琵琶法師の演奏から始まるように、芸は捧げるもの、鎮めるものであり、草の根で脈々と続き、時に人を熱狂させ、奮い立たせるということが貫かれた作品だった。歌い踊る身体の、伸び伸びとしなやかな美しさを表現したアニメーション、アヴちゃんと森山未來の声の力強さ・妖艶さ、震えた。マニアックな視点だが、映画の中での舞台裏方の様子、番外編で観たい。絶対楽しい!

 


②『教育と愛国』

林博史先生の『沖縄戦 強制された「集団自決」 (歴史文化ライブラリー)』を基にした授業で教科書問題について知った身としては、本当にジワジワくる内容だった。政治家達の発言、態度を聞きながら悔しくなった。気が遠くなるほどの時間をかけて丹念に研究されてきた学知への侮辱だな、と自分は思った。選挙の時期に言うのも何だが、公人としての発言・振る舞いに無責任な政治家の姿を見ると、政治家はTwitter禁止にした方が良いのではないかとさへ思ってしまった。

社会科の教員がインタビューの中で話していた「従軍慰安婦が時事問題として続いている」という言葉が印象的だった。

本作を、虐げられ、出る杭は打たれる社会のなかで、「女性」の監督が発信してくれたことが一つの希望だ。

個人的には、現行の政治や組織における無責任体制は、戦争責任を果たしていないところからも端を発すると考えている。では、戦争責任とは何か。過ちを認めることと自分は考える。なぜその過ちが起こったのかを考え、二度と同じ被害が起こらないように全力を尽くすこと。国が、国民が果たすべき責任ではないだろうか。

 

 

(本)

① 石崎 洋司『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』

本書は大原扁理さんのブログで知った。前からオードリー・タン氏についての書籍をどれか読みたいなあと思っていて、偶然図書館に本書があったので読んでみた。

最近、問題集や法令、ガイドラインに目を通しているので、児童向けに書かれた本書のフォントが目にやさしく、読みやすかった。

本書には、タイトルにもあるように、誰も取りこぼさない社会を作るためのヒントが詰まっていた。「おおまかな合意」という概念や、政策提言のサイトから参政権を持たない16歳の意見が政治に反映されたこと等が印象深かった。以下、「おおまかな合意」について本文より引用。

[しかし、権力者がいないのは当然として、民主主義を支える方法でもある投票や多数決を拒否するのはなぜでしょうか。そして、「おおまかな合意」というのはどういう意味なのでしょうか?

 これについて、オードリーはこういっています。

「投票をすれば、物事ははっきりと決まります。けれども、少数派は必ず敗者になってしまいます」

 除外された意見の異なる人々は、自分を殺して、ひっそりと息をひそめていなければなりません。

「一方、『おおまかな合意』とは、『満足できないにしても、みんなが受け入れられる合意』ということ。そこでは、思い通りになったという勝者もいないかわり、何ひとつ受け入れてもらえなかったという敗者もいません」

 こんな感じでいこうよ-それぐらいの合意で進んでいけば、より多くの人々が共存できて、より多様性のある文化を実現することができます。(P135〜P136)]

オードリー氏は持病を抱えた幼少期を過ごし、児童期には体罰の残る父権的な学校教育で苦しんだ。仮初の強さに迎合しなかった(できなかった)からこそ、生まれた発想だ。

議論のプロセスが見えず、政策決定の根拠が示されない、日本の現状とえらい違いだ。日本の場合、情報公開以前に、筋の通った政治が執り行われていないことが問題であるように感じる。

 


② マーシャル・B・ローゼンバーグ 著/今井麻希子、鈴木重子、安納献 訳

『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC

ハチドリ舎を友人が教えてくれた時に知った「NVC(非暴力コミュニケーション)」。この本は絶対にハチドリ舎で買おうと決めていた。本はどこで巡り会い、手に入れるかも大事だ。

しっかり読もうと思って、じっくり読んでいたら2ヶ月かかった。本書はNVCの理論について、エクササイズ(実践)を交えながら進む。

引用すると以下のようになる。

[本章をまとめると「自分の内面で何が息づいているか」を表現するためには、次の3つの要素が必要なのです。

 ・自分が観察していること

 ・自分がいだいている感情

 ・その感情とつながっているニーズ 

  (P69〜P70)]

本文では「自分の内面で何が息づいているか」という言葉もよく現れた。

自分や相手のことを決めつけず、まずは自分の中にあるニーズ(欲求と言ってもいいのかもしれない)を掴むことから始まる、と自分は認識した。

この数年起こった様々な出来事もあって、エクササイズを通して確信したが、「自分は大事にされたい、尊重されたい」という欲求が根っこにあるのだと理解した。誰もが持ちうる当然の欲求かもしれないが、自分はこの根っこに気づくのに、随分と時間が掛かった。慌てるよりも、腑に落ちて力が抜けた感覚の方が強い。

著者マーシャルがNVCを学び始めた頃の、お子とのやり取りに勇気づけられる。誰でも最初から完璧にできた訳ではないのだ。日々修行。実践的にもっと学びたいと思った。

最後にマーシャルが読者に投げかけているのが、

[・根本的に新しい経済システム

 ・現在この地球に多大な苦しみを与えているものとは異なる、新しい司法制度(P247)]であったのも印象的だった。資本主義の限界や、少年法における特定少年(厳罰化)等、日本にも当てはまる。個人的なことは政治的なこと、とよく言われるが、めげずにまずは自分から変わりたい。