次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十五便

ご無沙汰、ジュン・チャンです。

九州は殺人級の暑さが続いているけど、僕は食って寝てなんとか生きている。東京はもっと暑そう、タカシナは無事だろうか。久々に食べたしろくまアイスが激うまに感じた。

国試が終わって、今度は引越しに仕事の準備で、相変わらず慌ただしく過ごしている。もっとゆっくり、本読んで研究して過ごすはずだったんだけどなあ。こりゃ性分と流れだ、と諦めている。

 

さて、第十四便では以下の問題提起で結んでいる。

今回は、このことについて考えたことを、ウダウダ書いていく。

本題にも繋がる話題として、7月の参議院議員選挙についても触れたい。

白米炊けた。としては、選挙期間中、選挙後で2回、以下のようなお話企画を実施した。

選挙だよ!全員集合!『参議院議員選挙、どうする?』では20代から50代の方が10名ほど、各地から参加してくれた。

一方で、選挙おつかれ!ふて腐れ企画『宴のあとに ~我々は何度でも立ち上がる~』では30〜40代4名、20代1名の参加だった。

二つの企画を実施するにあたって、街で遭遇した方と政治について話す機会が増えた。そうした機会や、何個か行った街頭演説を経て思ったのが、以下のことだった。

特に思ったのが、たとえ自分が支持する政党だとしても、迎合しきれないな、という点だ。組織である以上は必ずイデオロギーがあり、どのような名目であれそこで提供される情報や学習内容に影響があることは必定。組織が大きくなればなるほど、上下関係や優劣が生じることも防ぎようがない。もちろん、組織として動くからこそ、具体的な問題解決が進むという実利もある。しかし、自分はあくまで一市民として、何らかの政治的圧力や影響を受けることなく、社会問題や政策のことを考えぬきたいと思った。ここまではただの感想と決意で、ちと話が逸れた。

 

今回の選挙において、核兵器所有や軍事増強に重きを置く公約が散見された。社会保障に関する公約も各政党で見られたが、現在岸田政権が強調しているのは前者の国防強化であるように、軍事増強に色めき立つような雰囲気さへなかったか。ロシアによるウクライナ侵攻があったから、国防強化に飛びつく人の気持ちもわからない訳ではないが、個人的にはまず外交努力が優先されるべきだと考える。

日本がアジア諸国に対して行った侵略は、戦後の謝罪や補償を一度したからチャラになるものではない。事実として世界に記憶されている。自分達が行った加害を認め、向き合い続けることはしんどい。でも、それはずっとやり続けなきゃいけないことだ。逃れられるものでは決してない。それを棚に上げて軍事増強、国防強化と謳うのは、第二次世界大戦での日本の行いについて、反省が見られないと諸外国から見られても仕方ない。こう話すと「自虐史観が子どもの自己肯定感を低下させている」と話す人が身近に本気でいたが、はっきり言ってそれは別の議論である。

 

加害の事実を否定し、蓋をして被害に遭った側を糾弾する、果ては責任を取ろうとしない。この構図がどうしても、性的マイノリティや部落出身者・外国人労働者在日朝鮮人等に対する人権侵害や、沖縄に押し付けている基地負担、性暴力被害者が置かれる状況、といったあらゆる社会問題に重なって見える。

身近なもので言えば、ハラスメントもそうだと思う。自分に都合の良いように相手に要求を呑んでほしいから起きることでもある。でもこれって、絶対自分の中にもあるよな、と思うのだ。自分が誰かを傷つけた事実を認めるのも、自分が傷つけられたことを認めるのも、両方しんどい。だからこそ、ハラスメントや性暴力の問題は難しいのだと思う。政治家にしろ、演出家にしろ、力を持つ側は、自分が持つ力にもっと自覚的であるべきだ。

自分は企画をしたり、対話の場をつくったりする者として、いつもどこかで「こわいなあ」と漠然と思っている。自分の発する言葉や振る舞いの一つ一つがどう作用するのか、無意識にめちゃくちゃ考えているような気がする。

 

ウダウダ書きすぎてまとまりがないことは分かっているけど、タカシナに送ります。きっとまた、違う視点を提示してくれたり、考察を深めたりするようなお返事があると期待して。

 

蝉は腹を空に向けて落下し、つくつくぼうしが鳴き出したけど、外は暑いし、中は上手いことやらないと冷えるし、夏ってこんなに難しい季節だったけ。くれぐれもご自愛ください。