次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十五便 返信

第十五便にどう返信したらいいか、ぼんやりと考えながら過ごしていたら三か月ちかくも経ってしまった。季節も変わった。どう返信したらいいか分からなかったのは、私がインターネット上で政治について何か言うことに不慣れというか、どこか抵抗のようなものを抱いているからだろう。
そういう人って実は少なくないのでは、と私は思っていて、そんな人たちが政治についてなにかを言うというアクションに踏み出すには、ジュン・チャンの行っているような対話企画はとてもよい場になると思う。
一方で、例えばそういう場で明らかに間違ったことを発言する人に対して、どんなアプローチがあるだろうか、と考えたりする。明らかに間違った、というのがそもそも設定として難しいのだけどここではとりあえず史料によって反論可能な言説、としておく。発言内容について、正しい/間違いという判断は一旦置いておいて、というスタンスのほうがその場での自由な発言は促されそうだけど、とはいえ受け流せない認識違いもあるだろう。
第八便で『揺らぐin別府』についてのコメントとして「難しいことしようとしてるな(中略)その場にいる人を過度に傷つけないかたちでなにかしらの話し合いをすると言うのは、ホスト役の手腕に依る部分が大きいだろうな、と思うから」と書いたのもそうしたケースを想定してのことだった。認識の間違い自体は個々に根拠を基に指摘できたとして、それでその人の、そうした認識違いが積み重なり形成され、また新たな認識違いを生むことにもつながっているであろう、根本的な思想のようなものは、変わらないし、また外から変えるべきものとも思えない。対話は変わるきっかけになるかもしれないけれど、変えようとしてはいけない、そのバランス感覚がとても難しいように思えた。ジュン・チャンのいう、企画や対話の場での「自分の発する言葉や振る舞いの一つ一つがどう作用するのか、無意識にめちゃくちゃ考えているような気がする」という感覚は、言葉や振る舞いで相手の思想にまで触れることのできる立ち位置にいるホストだからこそのものなのではないか。

「誰だって、どれだけ気をつけていようと、加害性を内包していて、誰かを傷つけている。このことを自覚した先に、どう行動できるのか」
この問題提起に対してジュン・チャンは十五便で、「加害の事実を否定し、蓋をして被害に遭った側を糾弾しようとしない」構図を指摘したうえで「自分が誰かを傷つけた事実を認めるのも、自分が傷つけられたことを認めるのも、両方しんどい」「力を持つ側は、自分が持つ力にもっと自覚的であるべきだ」と書いている。私も読みながらそうだよな、と頷いた部分だ。
被害を受けた側にばかり求めるものの多い状況に対してはずっと怒りを感じている。傷ついてうずくまっているだけでは救済は訪れず、自分の顔や名前を出し、自分に起こったことを物語のように消費されるのにも耐えて、世間に対し訴えを続けなければそのまま泣き寝入りになってしまう。でもそんなのっておかしい。どうして傷ついた側が戦わなければならないのか。それはそうまでしないと謝りもせず自己保身だけし続ける加害者のせいなのだけど。
加害と被害はそもそも不均衡だ。被害を受けた側は謝罪や補償を受けたならどこかで落としどころとして許すことを求められる。でも許す必要なんてあるんだろうか。怒りを抱え続けたまま生きたとして、それもその人のやり方だ。謝り続ける側は無論しんどいだろう。罪に対応して刑罰が決められているように、どこかに終わりがなければ謝る側にも限界が来る。でもそれと許しとは本来別の問題だ。
と、ここまで書いていて、では私は許されないことに耐えられるだろうかとも思う。ジュン・チャンの問題提起を受けて、最初に思い浮かんだのは、自分が今までに犯してしまった人間関係の過ちだった。それがきっかけではないにせよ疎遠になってしまった人たちもいれば、本当に許されているのかは分からないがまだ続いている関係もある。いずれにせよまだ許していないと言われればごめんと言って項垂れるほかない。その時の自分をどんなに止めようとしてももう取り返しがつかない。
自分にも確かに加害性があり、だけど人とはこれからも付き合っていきたいと思うとき、なにができるだろう。月並みな言葉になってしまうけれど、自分の加害に向き合って謝る覚悟、だろうか。それが一番難しいことのような気もする。

うまく書けないだろうと思っていたらやっぱりうまく書けなかった。それもまた返信の味として受け取ってもらえないでしょうか。

寒くなるけど春までお互い生き残りましょう。