次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

感想文(2023年3月)

ジュン・チャンです。

あっという間に春が来て、走り去っていたような感覚で4月を迎えました。

『春よ、来い』『春の歌』『春泥棒』などを聞いて過ごした今年、ある意味で例年よりも慌ただしかった。

タカシナは元気かな。

 

【2023年3月】

(本)

カズオ・イシグロ土屋政雄=訳『わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)』

まどみちお『くまさん』

③島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』

(映画)

①『ひみつのなっちゃん。』

②『エゴイスト』


【所感】

(本)

カズオ・イシグロ土屋政雄=訳『わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)』

カズオ・イシグロ氏の本は、母が何冊か読んでいて以前から知っていた。5年以上は前になる帰省時の記憶を辿ると、母は「あんまり好きではない」みたいなことを言っていたような気もするが、それももう別の作家のことだったのかもしれないし、本当に「好きではなかった」としてなぜあんなに何冊も同じ著者の本があったのか。今思えば不思議な話になる。

引越し前に正剛文庫から借りて一度返却したが、続きが読みたくて仕方なくて、引越し後間もなく再びお借りした。

淡々とした文章のなかに含まれる、厳然とした真実は残酷でさえあるが、登場人物達にとってはどうすることもない日常だ。自身がドナーの立場になる直前に、半生を振り返る介護人キャシーの語り口は、一貫して淡々としていた。淡々としていているからこそ、ところどころで現れる登場人物達の感情が鋭利に伝わってくる。あまりにも淡々とした語り口は、もう遠い過去の回想だからか、行くべきところへ向かわざるを得ない覚悟からか。

読者の感情を静かに揺さぶり、刺激する作品だった。読後感の感覚が映画『Stand By Me』を観た後に近かった。


まどみちお『くまさん』

雨でけぶる国東半島へ行った際に、初めて立ち寄った「海辺と珈琲ことり」に置かれていた一冊。遅い昼食をいただきながら、並ぶ背表紙を見ていたら目についた。まどさんのこれまでの各詩集からセレクトされた詩集。ザアザアと降る雨音に包まれながら読み進めていたら、ほっこりした。「さくらの はなびら」という詩の最後がスッと入ってきた。


③島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』

仕事で佐伯へ行った際に、前職でもよく通っていた通りに根木青紅堂があるのに気付き、帰る前に立ち寄った。1時間くらいじっくり本棚を眺めた末に買った一冊。著者は一人出版社の夏葉社を経営する島田さん。走り出した自分に必要な気がして読み出したが、読み進めていくうちに人生迷子中の友人にも貸し出すことを決めた。

本書は出版業界に特化したビジネス本では決してない。自分の人生と本との関わり、他者との関わりについて精緻に綴られた、エッセイのまとめのような本だ。素朴で穏やかだが、確信に満ちた文章に、会ったことのない島田さんの人柄が滲み出ていた。

小さな声に耳を澄ますこと。自分がこれからやっていくと決めたことも、そういうことに違いない。目の前のありきたりな日常がすべてで、尊いものだ。

本が、誰かの言葉が、傍らにあったから生きてこられた人生であることを思い出した。

 

(映画)

①『ひみつのなっちゃん。』

ドラアグクイーンを題材にした作品でもあり、本作の主題は「美しさについてか?」と引っ張られていたが、帰宅後ハッとした。どのように自身の存在を認め、肯定し生きるかを問う物語だったのではないか。

「マイノリティ」に分類されるものは、属する社会構造のなかで抑圧を強いられやすく、自尊感情を低下させやすい傾向にある。性的マイノリティに関しては、精神疾患の発症や自殺率の高さが認められている。

こうした現実的な背景や、主人公が年齢を重ね人前でパフォーマンスをすることに(きっといろんな理由で)気持ちが向かなくなっている状況下で、自分を認め励ましてくれていた他者が急にいなくなったという事実。葬式で明らかになる駄洒落は、なっちゃんの喪失を際立たせるとともに、なっちゃんから主人公へのとてつもないエールだったんじゃないか。

最後の盆踊りの場面の余白で、3人は何を思ったのだろう。

作中ちょっとやり過ぎでは?という演出もあったが、滝藤賢一の美しさ、渡部 秀のダンスの美しさ・キュートさに良しとした。対照的な荒っぽい主題歌が良いコントラストだった。


②『エゴイスト』

濡れ場の噂を聞いていたため観に行くか悩んだが、濡れ場がメインの作品ではないし、鈴木亮平の演技観たいし、とブルーバードへ。開始30分以内に濃厚な絡みがスクリーンに現れたが、そこそこの画面サイズでこういう場面を観る機会自体が久々だと気づいた。

作品冒頭、母親の命日に故郷へ帰る主人公が映し出され、主人公による「ブランドの服が鎧になっている」との語りがある。その鎧が崩れていかざるを得ない状況となる。

肉欲、性愛を越えた感情。共に生きる覚悟、時間の共有。その最中で起こる突然の喪失。主人公は14才の時に死別した母だけではなく、若い恋人も失う。

最後の場面(そんな風に全く感じさせなかった)で、衰弱していく義母の手をさする主人公の手が映し出された辺りから、感極まった。最後の義母の言葉で涙が噴き出した。あの最後の二人のやり取り、一場面によって、主人公も義母も救われたのではないだろうか。主人公にとっては、早世した母への心残り、恋人への罪悪感が。

タイトルにするくらいだからもちろん意味はあるのだろうけれど、愛がエゴ、と言う主題だとは自分には思えなかった。むしろ言葉にしてしまうことで掴みきれなくなってしまう、愛する人達が容赦なく消えていった人の、人生の悲哀と後悔、やるせなさを描いた作品だと自分は思った。

地味なポイントだが、俳優一人一人の表情、指先、動きに至る機微がすげかった。