次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

感想文(2022年8月)

秋雨前線と台風から始まった9月。九州からジュン・チャンです。今回のは長いです。

【2022年8月】

(映画)

① 満若勇咲監督『私のはなし 部落のはなし』

(本)

峠三吉『原爆詩集 (平和文庫)』

② ルーシー・M. ボストン/亀井俊介 訳『グリーン・ノウ物語〈1〉グリーン・ノウの子どもたち (児童図書館・文学の部屋)』

③ 辻村 深月『ツナグ (新潮文庫)』

④ 加藤有子『ホロコーストヒロシマ――ポーランドと日本における第二次世界大戦の記憶』

⑤李 琴峰『彼岸花が咲く島』

⑥くどうれいん『氷柱の声』


【所感】

(映画)

① 満若勇咲監督『私のはなし 部落のはなし』

部落問題について関心を持ったのは、高校生の時だった。くるくる天パの日本史の先生が溢れ話をしてくれて、それから気になっていたが、もともと身近に部落がなかったためか(もしかしたらあったのかもしれないが、関西よりも東北は少なかったというのは何かで聞いた)、歴史的背景はなんとなく理解しつつも、現状はよくわからないまま大人になってしまった。

それがまた身近になったのは、就職してからだった。組織柄もあってか、新卒向けの説明会で同和問題についての時間があったのだ。また、初任地が関西だったことから、部落問題に限らず、在日朝鮮人への差別、貧困問題について、ほんの一部だが見聞きすることになった。

本作は3時間以上に及ぶ上映時間だが、観終わったらあっという間だった。観ていて思ったのは、監督による主張・軸が薄く感じられたことだった。

が、エンドロールに載っていた参考文献を見て見方が変わった。人は知りすぎると身動きが取れなくなることがある。そんな中で、自分の選択・行動を左右するのは、目の前で起きているリアルな出来事だ。本作では、部落出身者、部落の傍らにあった住人等、広く語りを集めることで、ただひたすらに今ある差別の現実をつきつけている。いとうせいこう『福島モノローグ』を思い出した。この本は、ひたすらに被災した女性達の語りのみを掲載したものだった。

映画では、10代の若者が語り合う場面で、差別的な発言を受けた場合の耐性づくりについての語りがあった。何で読んだのか定かではないが、津波原発による被害に遭った福島では、将来差別的な発言をされた際に、子どもが冷静に説明できるように教育している取組があった。いつも「耐性」を強いられるのは、差別される側だ。不均衡以外のなんでもない。

作中、鳥取ループ・示現舎合同会社代表である宮部氏への取材場面もあった。鳥取ループ・示現舎による「部落地名総鑑」出版とネット公開については、自分は前職の研修で知り、直感的に背筋が凍りついたのを覚えている。作中、質問に答える宮部氏は、自身の論を一見すると論理的に話しているようにも見えた。

しかし、実際に継続しているネット上を中心に拡散し続ける差別発言や、今後自身が受けると想定される差別について悩む10〜20代数人の語りを目の当たりにした時に、宮部氏の時に熱い語り口は、状況を面白がっているかのようにも見えてしまった。おそらく、この視聴者からの見え方について、宮部氏としては映像製作者の恣意性を問うことだろう。あるいはそこまで納得して出演したのか。正直、出演についてはちょっとびっくりした。

差別はなくならないだろう。特に日本では。それでも、臭い物に蓋をしたままではいられない。知ってしまったからには、もう知らなかった時には戻れない。

 

(本)

峠三吉『原爆詩集 (平和文庫)』

被爆者の体験を語り継ぐツールとして、紙芝居が多いことは知っていた。自分が何かできないか考えた時に「詩集もあるのではないか」と思い、図書館で調べたら本書と出会った。

広島の原爆投下直後を表したと思われる詩から、徐々に戦後の様子を描いた内容へとシフトしていく。

自分は中学生の時に、受験対策で半年間通った塾で、なぜかある講師が原爆投下直後の話をしてくれた。その時に聞いた、被爆した身体の状態について、今でも覚えている。講師から聞いた内容がまざまざと思い出される詩だった。言葉にならないくらいに、むごいことだ。

そんなむごい経験を無視して、核兵器を持つべきだ、原発再稼働だ、と言う議員や有識者、一市民は、本当に未来世代のことを考えているのだろうか。目先の利益や勢い、雰囲気に乗っかるのではなく、調べて、考えて、現実的かつ持続可能な方法を見出していくべきではないか。戦争文学は、今を生きる私達の照射だ。


② ルーシー・M. ボストン/亀井俊介 訳『グリーン・ノウ物語〈1〉グリーン・ノウの子どもたち (児童図書館・文学の部屋)』

上橋菜穂子先生が幼少期に読み、影響を受けた一冊。やっと読んだ。同じイギリスの児童文学でも、サトクリフの『太陽の戦士』とはまた毛色が異なる作品だった。主人公が休暇を過ごす祖母宅での、不思議な、けれど穏やかな日々を描いている。実母を亡くした主人公の、静かな成長が垣間見れる。描写の一つ一つが繊細で丁寧だ。もっと余裕がある時に、じっくり味わって読みたい。


③ 辻村 深月『ツナグ (新潮文庫)』

去年異動した後輩の置き土産。その後輩は何気なく素敵な本のチョイスをするなあと、本書を読んでしみじみ思った。丸っと一日ゆっくり読める日があって、一気に読んだ。生者と死者を繋ぐ者、「使者」と書いて「ツナグ」。死者への面会を望む生者、面会を引き受ける死者、そしてツナグをめぐる物語。消費の象徴のようだが正直に言う、「長男の心得」「待ち人の心得」で鼻垂らして泣いた。

一方で、「親友の心得」ではヒヤッとさせられた。最後に配置された「使者の心得」で補足がなければ、モヤっとしたままの読後感で終わっていただろう。

印象に残った最後の部分を抜粋する。

[ 失われた誰かの生は、何のためにあるのか。どうしようもなく、そこにある、逃れられない喪失を、自分たちはどうすればいいのか。

 嵐は多分、それでも御園によってあそこに立たされていた。御園がもし、生きていたら自分をどう見るか。彼女は多分、失われた親友の目線をずっと自分の中に持つ。たとえ彼女がもう消えて、一生会うことができなくても。

 雨の中に立つ平瀬愛美の中にも、だとすれば今、水城サヲリの影がいるのだろうか。アイドルってすごい、と洩らした感嘆の声を内に持ちながら、彼女にあり得たかもしれない生を代わりに生きる。

 それは確かに、誰かの死を消費することと同義な、生者の自己欺瞞かもしれない。だけど、死者の目線に晒されることは、誰にだって本当は必要とされているのかもしれない。どこにいても何をしてもお天道様が見てると感じ、それが時として人の行動を決めるのと同じ。見たことのない神様を信じるよりも切実に、具体的な誰かの姿を常に身近に置く。

 あの人ならどうしただろうと、彼らから叱れることさえ望みながら、日々を続ける。(P414)]

辻村深月、短く、静かだが圧巻の物語だった。


④ 加藤有子 編『ホロコーストヒロシマ――ポーランドと日本における第二次世界大戦の記憶』

毎年このくらいの時期になると、図書館でちゃんと歴史認識の新着図書が並ぶことに、僅かながら希望をかんじている。

本書では、2018年に行われた国際シンポジウムを基にして、ポーランド、日本の研究者、著述家による、社会的記憶をめぐる論考がまとめられている。編者による序章において、本書の問題意識や目的がまとめられているので、長いが抜粋する。

[自国側の加害の事実の浮上とその認識の定着、それに対するバックラッシュという歴史認識の基本的流れと記憶のポリティクスの問題は、現在の日本とポーランドに共通している。(P2)]

[このように、第二次世界大戦の出来事の社会的記憶は、単一の出来事の記憶としてではなく、相互に絡み合い、冷戦期から今日まで、国際的、国内的政治空間のなかで変容している。ホロコーストヒロシマをキーワードにすることで、第二次世界大戦の記憶を冷戦期からソ連解体・東欧の体制転換後の変化も踏まえ、日本も含めて国や地域を越えた相関性のなかに捉える糸口になるのではないかと考えた。(P3〜4)]

[本書が目指すのはホロコーストと原爆という二つの出来事の比較ではなく、その犠牲の度合いや性質の比較でもないことは、誤解のないよう強調しておきたい。比較のさいの焦点はその関係性であり、さらに個々の論考を通して浮かび上がる出来事の記憶や言説、その構築のプロセスとメカニズムにある。(P4)]

[本書の目的は三つある。第一に、ポーランドにおけるホロコーストをめぐる現状と最新の研究を紹介すること、第二に、日本におけるホロコーストヒロシマ、そして日本の侵略と植民地支配に関わる出来事の記憶や語りをめぐる状況を日本以外に視野を開いて分析すること、第三に、それらを通して、ポーランドと日本の記憶の現状の類似性を浮かび上がらせ、アジアとヨーロッパにおける第二次世界大戦の記憶の比較研究の視野を開くことである。(P5)]

[(中略)表現の自由や検閲の問題として、美術、文化行政、法学など、さまざまな領域で議論が展開されたが、核にあるのは日本の侵略戦争と植民地支配の歴史と戦争責任をめぐる歴史認識の問題である。それが二十一世紀の日本において、依然として、あるいはいっそうタブー化されて、公的言説から排除されている現実が明らかになった。現在起きていることを点ではなく、線として浮上させるためには歴史的視野が不可欠である。本書は中長期的な視野で歴史認識問題の現状を考える論考を含み、こうした状況に対する学術界からの応答のひとつとも言える。ポーランドの事例との比較は、日本の現状を考える手がかりにもなるはずだ。(P23)]

[ ポスト植民地主義時代と言われて久しい今もなお、偏狭なナショナリズムは旧来の二項対立的な優劣の枠組みにもとづく思考のもとに、人種差別や性差別と容易に結びつく。そして、「他者」と認定した集団や個人にレッテル張りをし、その存在を否定し、その人格や権利を否定する行為をさまざまなかたちと規模で正当化していく。それが国家の方針と一致した結果が、第二次世界大戦およびそれに至る日本の戦争のなかでの市民の殺戮や性暴力であった。修正主義の生成の検証と現在進行形の動きの注視、政治的動きに対する学術的視点からの批判的検討は、世界各地で稼働する差別的思考にもとづくこのメカニズムを抑制し、解体し、未然に防ぐための行動でもある。(P30)]

 自分が近年感じてきた問題意識とも一致する内容だった。日本で生じている状況だけだと視野が狭まるが、本書を通して俯瞰してみることができた。

 以下、大事な示唆だと思った箇所をメモ。

[(中略)こうしたら比較的長い歴史を持つ議論の系譜を意識しつつ、私はここで、「社会的記憶」としての「戦争の記憶」を、過去の戦争あるいはその中での出来事について形成された「社会的表象」の全体、と理解しておくことにしたい。それは、過去の戦争について後の世代がどのように知り、想像し、語っていくのか、ということによって形成される。(P165〜166)

 (中略)私たちは戦争や戦争中の出来事について、直接の記憶をもつ人の証言からだけでなく、テレビや映画のドラマやドキュメンタリー、ジャーナリズム報道、資料館や博物館の展示、文学作品、歴史書や歴史教科書、等々のさまざまな媒体から情報を取得し、各人それぞれの表象を形成するが、それらが全体として集まって、戦争や戦争中の出来事についての社会的表象を形成する。それを当の社会がもつ「戦争の記憶」と呼ぶならば、それの「継承」という課題とは、私たちがどのような社会的表象を形成し、伝えていくのが望ましいのか、という課題だと言うことができよう。(P166)

(第二部 記憶のポリティクス 高橋哲哉「第5章 戦後七〇年を超えてー現代日本の記憶のポリティクス」)]

[ 日本において、アウシュヴィッツに象徴されるホロコーストが頻繁に言及される理由には、もちろん日本が直接の加害者ではない語りやすさもあるだろう。しかし、その語りやすさは日本軍の加害行為(南京虐殺のほか、七三一部隊など)のタブー化によって裏打ちされ、強化されるものだった。一九六五年から九七年まで続いた家永教科書裁判が広く知らしめた教科書検定のように、そのタブー化とタブー化による忘却は政治レベルで行われた。加害の後景化はもちろん、その責任主体や天皇の責任問題の後景化とも表裏一体である。このように、平和運動におけるホロコーストの前傾化は、市民側の動機の問題ではなく、戦後日本の歴史認識の問題に関わっている。タブー化と語りの回避によるいわば受動的な修正主義が戦後、静かに進行していた。その性質が変わり、顕在化するのが一九九〇年代である。(P255)

(中略)

 ヒロシマアウシュヴィッツを並置する冷戦期の平和主義的言説は、時に南京を加え、日本の加害の過去も視野に入れて展開した。しかし、二〇〇〇年代に入って、南京が象徴する日本の加害の歴史が公的言説から排除されつつある。「ヒロシマアウシュヴィッツ・南京」という並列から南京が抜け、「ヒロシマアウシュヴィッツ」という犠牲に焦点化した二項的連想が定着していく。それでもなお多方向に参照先をもつはずの平和主義的標語の「ヒロシマアウシュヴィッツ」は、皮肉にも今日、日本の加害が忘却され、消去されつつある日本の修正主義的現状を映し出す、二義性を帯びた標語になっている。(P259)

(中略)

ヒロシマアウシュヴィッツ」の平和運動の語りは、市民の被害と苦しみに焦点化しながら、「私たち」を主語に戦争とその出来事を二度と繰り返さないことを誓う行為遂行的な語りである。それは連帯を可能にし、現在と未来の行動を方向づける一方、出来事の生起の因果関係と責任主体に触れることを回避する。本稿で取り上げた平和運動は、日本の侵略と加害を念頭に活動しており、それゆえに国際的に受け入れられた。それでも、被害の焦点化と「被害者」の一元化によって、ナチのユダヤ人政策や対外政策を支持した枢軸国としての日本の間接的な関与と加担、総力戦遂行を可能にした日本国内の状況、弾圧された反対派という内的被害者の存在などが、後景に退いてしまう。特定の歴史的出来事を扱いながらも、その語りは逆説的に非歴史的で非政治的な性質を帯びている。(P260)

(中略)

 戦中の日本の外交文書では、「世界平和」が国是として、対外進出の根拠として頻用されていた。「核の平和利用」においても、「平和」という言葉は利用された。近年でも国家の武力行使の場において、平和をその理由に挙げる例には事欠かない。「戦争」と「平和」が二項的に対置される言説への慣れのなかで、「平和」が多様な文脈で使用された歴史も忘却されている。「平和」という言葉が、視点の取り方であらゆる行為の正当化に転用されうることも踏まえ、平和主義的言説を読み直し、今後のその変化を歴史的に捉える必要がある。(P262)

(第三部 ホロコーストと日本、世界とヒロシマ 加藤有子「第8章 日本におけるホロコーストの受容と第二次世界大戦の記憶ー「ヒロシマアウシュヴィッツ」の平和主義言説」)]

[ 「犠牲者を人間とは見ないことで自分自身が人間でなくなる」という堕落、そしてそんな「堕落」を周囲が、あらかじめであれ、事後的にであれ、容易に赦してしまうという連鎖を断つこと。「被害者」をなくすためには、「人間」を「加害行為」へと導いていく条件を丁寧に可視化していくことから始めるしかないように思う。(P304〜305)

(第三部 ホロコーストと日本、世界とヒロシマ 西成彦「第9章 処刑人、犠牲者、傍観者ー3つのジェノサイドの現場で」)]


⑤李 琴峰『彼岸花が咲く島』

読書記録によると、昨年8月にも、自分は著者の作品を読んでいたらしい。

著者のこれまでの作品とは異なり、仮想の島を舞台にした話というのは聞いていたが、ファンタジーと呼ぶにはあまりに社会的だった。いや、ファンタジーというものが、ある意味では社会的なんだが。

著者のこれまでの作品を読んでから読むと、問題意識を含め楽しめる。そういう意味では、他の作品ともある意味繋がっている作品だった。

最後の2人の決断は、どんな未来に繋がっていくのだろうか。


⑥くどうれいん『氷柱の声』

つい最近まで、「自分なんかが語ることではない」という感覚、「生き残ってしまった(なぜ自分なんかが)」という感覚があった。少なくとも大学生の頃までは顕著だった。語ることを躊躇ってきた自分が語り出したのは、2019年に別府へ流れ着いてからだった。それくらい、時間が必要だった。

以下に、著者のあとがきを引用する。

[ 書き終えて感じたのは「震災もの」なんてものはない。ということだ。多くの方が「話せるほどの立場」ではないと思っているだけで、二〇一一年三月十一日以降、わたしたちの生活はすべて「震災後」のもので「『震災もの』の人生」だ。どこに暮らしていたとしても、何も失わなかったと思っているとしても。だから、この作品は「震災もの」ではない。だれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものだと思う。(P119)]

自分はいつか東北に戻るのだろうか。