次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

観察3


気圧の乱高下でやられていないか心配です。

平ちゃんです。

地震なんかもあったし、とにかく平穏であることの難しさばかり感じています。花粉やばいから目も痒いしさ…花粉症が目にくるたちなのですが、会社に行こうとするたびに茫々と涙が流れてきて、理由はスギ花粉とはいえなんだか毎朝悲劇的な気分になります。


ジュン・チャンの第四便をみて、私には実感としてわからないことだらけで。文字の上を滑ることはできるけれど…

そんなんじゃわからないよ!情報量が足りない、語り合おうよ!!

と悶えていたのでした。

あ、これが2人の言ってる「呑める日」「呑む」ってことか、もしかして。


2人、めちゃ長電話するじゃん。と、思っていたのだけど。

この前の土曜日にお昼頃地元の友達から電話きて、主にその子の好きぴ(…好きぴ)の話を夕方まで聞いたので。

タカシナとジュン・チャンの朝までになりそうな時間帯というのがみっちり感あるだけで、確かに私もそれくらいは人と話しているな、と気がついた。

車が家のガレージにあるかどうか見に行くんだって。それで、あぁ、お家にいるんだなぁと思って会わずに帰るんだそうだ。なんなら彼女は車種を好きぴ専用の代名詞として使っている(クラウンが飲みに誘ってきてさぁ、珍しくない?…みたいな)。車のことはわからない私はGoogle画像検索を味方につけつつ、全然知らんその人のことが具体的に、ほんの少しだけ実像を持って立ち上がってくる、ような気がする。


細部が知りたいなぁ。しっかりした書きっぷりに表れない細部が。私は全体を掴むのが苦手で、そういう意味では全体の設計図を描けるであろう白米の企画がきっと面白いだろうなってまた思った。くわだて。政治活動。など。


あー…


人間を好く、とか、恋愛感情、みたいなところに立脚せずに話すのがとても難しい。

これはとても悪い癖な気がする。もっと自由になりたい。


細部といえば、

タカシナから借りた『なぜふつうに食べられないのか』


読んでいる。読んでいる、なのは読み終わってないからなんだけど、『ダイエット幻想』


の方は新書なのもあってさっと読み終われたんだけどなぁ…この読めなさがなんの重さかというと、具体例の、細かさの重さだなと思う。一人一人の、最低限にせよ、体験の語りの重さ。好きで、好きだけど飲み下せない、申し訳なさにも似た気持ちがある。拒食や過食の原因として語られるものごと。親戚に太ったと言われたり、教師にからかわれたり、一つ一つの想像出来る事柄たちが、わたしには想像できない状態に繋がっていく…想像できない、が乱暴すぎるならば、正確に観測できない、というべきか、


あれ、細部を聞いたってやっぱりわからないのじゃないか。

わからなさ、引き受けて行った方がいいんだろうか、これ。

引き受けられるのかな。




観察の感想をとりあえずここまでにして、ここからは近況、追伸。


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最近近くの公園にばかり行っている。オープンエアだし。コロナのせいか公園すらも管理の感じが曖昧になってきてるのが見えて面白い。それ公園なの?ごみじゃん、みたいな。見応えがすごい。

それにしても毎週のように執拗に公園に行っている。海の近くで青春を過ごしたからだろうか?いつもそこにある広がりが安心させてくるのだろうか。いや、中高生の自分は青春というには幼すぎたような気もする。

どちらかというと私の青春は戸山公園とかにあったかもしれない、大学の隣…公園にばかりご縁のある人生だ…。

今のわたしにとっては、何だろうなぁ。こどもづれ、犬づれ、私にとってわかりやすい幸せの形をみて、闘志を燃やしているのかもしれない。



二人は最近何をみているのでしょうか。

第四便

ジュン・チャンです。

身の回りが一旦落ち着いた。これについては、タカシナと4時間電話で話した通り。朝まで生テレビになりそうで、ビビったね。話が尽きないにも程がある。いつも付き合ってくれてありがとう。

ずっと関わってきた案件に片がつき、自分でも驚くほど心身ともにスッキリした。渦中にある時は終わりなんかわかんないけど、明確に一つ線引きされた感覚が、今の僕にはある。振り返ると長かった。大河ドラマかよ。長い分、また色々な示唆を得たので、貪欲に考察していきたい。

 

さて、今回は僕の投げ掛けから始まるわけだが、森さんの女性蔑視発言や、宮城・福島での震度6の地震など、2月前半はトピックが多過ぎて、考え込んでしまった。あんまり考え込んでもどうしようもないので、個人的な実感から始めていきたい。

この1年で起こった身の回りの出来事を振り返った時に、相手を尊重しない場面に立ち会うことが多かった。相手を尊重するって、なんだか堅い表現だ。僕なりに柔らかく言おうとするならば、相手の価値観や考え方を踏まえて接することだと思う。

そのためには、とことん話し合うこと、無視せずモヤモヤと向き合い考えること、想い巡らすこと、が必要だと考える。

 

僕は性自認が男でも女でもない、と思っている。あえて用語を当てはめるならXジェンダーの類か。性的指向アセクシャルだと思うが、多分これは流動性があるだろう。

ただ、見た目がどうしても女性寄りなので、社会生活を送るなかでは女性として認識され、扱われることが多い。女性として見られることで、恩恵を受けている部分もあるが、女性として扱われることに違和感は拭えない。20〜30代の女性というだけで、男性といると関係性を問われ、結婚について囁かれるのも納得いかない。相手も含めて、それぞれひとりの人なのに。

特に、男性から女性として見られる場合はとても不愉快だ。ひとりの人としてみられている気がしない。自分に向けられるものだけではなく、親しい人に向けられるものでさえ、そう感じる。この違和感、気持ち悪さの根源は、いったいなんなんだろうね。「物じゃねえんだよ!」といつも叫んでいる。

ちなみに、地方都市に住むことになりびっくりしたのだが、自分の性的指向などを見知らぬ人に開示した時に(別に普段からオープンにしているけど)、「気持ち悪い!」と反射的に言ったオッちゃんや、「何それ?笑」と言ったオネーさんがいた。「あ、こんな風に言われるんだ」と驚くとともに、今までは理解のある環境に身を置くことができていたのだなあとしみじみした。まあ、オッちゃんもオネーさんも未知の者が現れてびっくりしたんだろうなと思う。

一方で、まともにショックを受けたこともある。僕が勝手に「この人は自分を理解してくれている」と信頼していた相手から、僕の価値観や考え方を踏み躙られるような発言をされたことがあった。タカシナならお察しかと思うが、僕はどうやら、どんな相手にも概ね同じトーンで接するため、日頃の過激と捉えられやすい発言も要因だったとは思う。とは言え、その時は呆気に取られて何も言えず、放心状態になった。その日はそのまま過ごしたが、時間が経ってからダメージが来て、とてもしんどかった。自分でも予想外にショックだった。ちょっと今はまだ向き合うのがこわい。自分が傷つくのをびびっている。

男女平等は始まりに過ぎない。目の前の人を、一人の人としていかに認識できるかが、僕らの住む社会に不足しているんじゃないか。

 

第三便や平ちゃんの観察にもあったけれど、体調の波や、脳の特徴とのマッチングミスで、うまいこと働けない人が一定数いるよね。僕はある程度知識があって、その背景を推察できるから、本人の努力不足では決してないことや、当の本人達は就労意欲が高いことも知っている。

ある人が、前述した状況の人を指して「なんで働けないんだろう」と呟いたのを聞いたことがある。僕の捉え方ももちろんあるだろうけど、疑問符というよりは蔑視を含んだトーンに聞こえてしまい、咄嗟に言い返すことができなかった。ずっとシコリのように引っかかっている。自分がきちんと話せたら、そこから対話に繋がった可能性もあるのになあ。

第三便のやりとり、平ちゃんの観察を読み返して気づいたのだけど、大人になって明らかになる不調の原因があまりに多いよね。こういうのって、我々は自身の当事者性も含めて理解している方だけれど、世の中には知らない人も、わからない人もいるだろう。

相手の主張や抱えるものを、完全に理解することはできない。でも、わからないことを前提に、わかろうと努力することは誰にだってできるはず。腹を割って話すこと、そしてそれ以上に話を聴くこと、普段の行動や言動に繋げること。相対する全人類にこれをやれとは言わないが、僕の感覚では、あまりにこの対話のプロセスを意識しない、下駄を履かされた人が多いように感じる。自分が同じ立場になる可能性を、想像し得ないのだろうか。

教育制度に上記の対話を求めたところで、変革させるには長い時間がかかるだろう。まずは大人達が、どうやったら無理解から一歩先へ進めるのだろう。

 

もう深く関わることはない人もいるけれど、僕はあらゆる友人達の前途に、幸多からんことを願いたい。自分の価値観と向き合うことは、痛みを伴う。それでも、他者を傷つけた結果、意固地にひとりになるのではなく。相手と腹を割って対話することを、疎かにしないでほしい。じゃないと、結局は人が離れていく。味気ない、虚しい人生だと僕は思う。

もしまた機会があれば、そして僕の受けたダメージが落ち着いたならば、臆せず爆弾を投げ込み、あらゆる対話を重ねていきたいと思う一方で、ほとほと自分のお人好しにも呆れ返っている。今後のスローガンは「自分を大事にしない奴まで大事にしない!」に尽きる。

でも、絶対似たことでモヤってる人はいる気がする。モヤモヤを大事にする社会問題系WSとかやっちまおうかなあ。爆竹を投げまくり価値観を揺さぶる。何の資格もないのに、無責任な試みだろうか。

観測2

こんなに晴れているのに、気圧が下り坂でバカになるね。

平ちゃんです。


ジュン・チャンがうちのユニットのTwitterを引いてくれてちょっとビビった。私と金魚の2人ユニットであったのだけど、私がすっかり自信をなくして、ついでにパスワードも無くしたので今は多分あのアカウントに入れるのは金魚(人間、同じ演劇倶楽部のOG)だけです。金魚もわたしも結婚して、毎日をやっている。二十歳の我々が見たら、どういうつもりなんだと胸ぐら掴んでくるだろうと思う。

……我々!

そうくくるのも久しぶり過ぎて、案外金魚の方から胸ぐら掴まれるかもしれない。引っ越しやがったから掴めねぇけどな。

ともかく、説明不足を補ってくれてジュン・チャンありがとう。



タカシナから本を借してあげるとラインがきて大変ありがたい。そして本の貸し借りなんて学生ぶりでときめいてしまった。

取りに行こうと住所を聞いたら、今はあまり外出できないから郵送にしようということになった。実家、一人暮らし、配偶者と暮らすこと、子どものいるひと、体の弱いひと、仕事の内容、いる場所、種々のよれたラベルで貼り分けられていることがあんまりにもくっきりわかる今般の世界だよね。結局元からあった色分けをより厳しく深くする形で、少しでもそれを超えて手を繋げるといいのだけど、裾を掴むくらいでもさ。


あー。


今ね、書かなきゃと思っていることを先延ばしています(随分とわたしは狭いところでわだかまっているな!)。

なんせ冒頭を書いてから時間が経ち過ぎて、タカシナに借りた本が届いちゃったもん。めっちゃ新聞にくるんであって、実家の祖母からの仕送り箱みたいでちょっと笑っちゃった。ありがとう、読みます。


さて。


二人が反出生主義に触れましたが、それはわたしの背中にここ3年半ほどくっついている問題です。なぜって、わたしが発達障害者で、結婚していて、いちおう今のところ、子供が欲しいと思っているから。


変な人ばかりだったし、変な人はほめるべき対象だった大学時代。

新卒で入った会社では打って変わって変な人と言われ続けています。あまりについていけなくて精神科に行き、ADHDの診断を受けて服薬しています。お薬はすごいね、あんなに溢れていた色や音や風が減って事務仕事ができます。


でもわたしは前の世界に戻りたい。


そのまま生きるのがめちゃくちゃ困難な世界に、困難なタイプのこどもを生むことになるのかもしれません。わたしが服薬をやめて困難を受け入れてまで産まないと、その子に会うことすら出来ない。


なんつーこった。


もちろん発達障害は神経のグラデーションで(って、仏の耳に念仏にもほどがあるかな)、困っちゃう側に生まれるかもしれないし、そうでないかもしれない。

診断されて2〜3年、最近はライフハックの本にハマって楽しく生活改良するくらいになってきたけど、障害というものを受け入れられない気持ちはずっとある。


あっ、ちなみに、

界隈であまりにポピュラーでお勧めするのが憚られるけど、ただ生きるのが下手ってところからスタートできる良書だなと思って珍しく買って繰り返し読んで売り払ってないのはこれ、


https://www.amazon.co.jp/発達障害サバイバルガイド-「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47-借金玉/dp/4478108927



本当に辛い時はライフをハックするなと書いてあることが一番お勧めできるポイントだ。

この点だけは二人にお勧めしても的外れじゃないかも、と思ってる。


そうやって馴染む努力というか、社会になる努力はしてきたけれども、でもやっぱり私が私だから見られる鮮やかな景色はきっとある気がしていて、だから生まれてきたことも生むことも許されていると思ってる。だって、美しいことが一番えらいし、美しさの基準は無数にあると思うので。


1週間くらい下書きに入れてたけど、諦めて投稿します。まとまってないなぁ。


あ、春の歌私もとても好き、春が好きかは置いておくとしても。

下書きに入れながら繰り返してた曲はこれで


https://m.youtube.com/watch?v=f0uhD5UgmDU

(ドラマチック私生活 大森靖子)


アスパラをチンする間に生まれたならば仕方がないか、と言い合いたいよ。


第三便 返信

ジュン・チャンです。

僕もだいたい年2回は耳鼻科のお世話になるのだけど、今年は鼻うがいの効果か、まだ大丈夫そう。

平ちゃんの観測も加わって、立体感が増してきたね。平ちゃん主宰のコドモノチルドレン(https://twitter.com/kodomo_children?s=21)企画名が毎回好きだったなあ。言葉選びが秀逸だし、響きやすい。

 

体調不良と言われると、自分の身体のいろんな特徴(最初に「欠陥」と打とうとして、少し考えて「特徴」にした)に思い馳せる。生まれた直後、原因不明の高熱で、1週間生死を彷徨ったのが、僕の人生を決定づけたようにも思う。

小学生の時には、毎年必ず吹雪の日に冷や汗かいて嘔吐、早退。今思えば、あれは気圧とか気温差とかへの敏感さが根っこにあったのだろうなあ。大人になって、気象病の概念を知り、ちょっとホッとした。今でも、雨が降る前は頭痛がするし、気圧が低いと朝起き上がるのが億劫だし、季節の変わり目は花粉で鼻から喉までやられちまう。生活を見直してから、前よりはマシになったけど、影響がなくなることはない。

高校からは、急に生理痛がひどくなり、大学生の頃からPMSが生じるようになった。希死念慮を伴うくらいにメンタルダウンするようになり、働いてからピルを飲み始めたけど、自分の体質に合うまでは何種類か試す必要があったし、最初は飲み続ける負担が強かった。なんのために高価な薬を飲んで、痛みや気持ちをコントロールするんだろうって。今は「ちょっとは円滑に社会生活を送るため」と割り切れるようになったけど。

まだあんのかよ、と自分でもうんざりするけど、社会人になってわかったことに、心拍の特徴があった。2月になると心臓のあたりが一時的に痛むことがあって(これを不整脈と呼ぶのかも、僕はよくわかっていない)、一度検査をしたことがある。その時に、心臓の弁が通常より一つ足りず、心拍が早い(一拍ばかり足りない)こと、今は治療する必要はないこと、がわかった。あん時ちゃんと、今後の見込まれる経過を聞いときゃよかったんだけど、予想外の指摘で抜けてた。

身体も心も常にサバイブ、よく生きながらえてるなあと思う。タカシナは第三便で、体調についての箇所を以下のように小括したね。

[もっと強く生まれていたら、怖いと思うものも今よりずっと減っただろう。もっといろんな方法で人を助けたりもできたのかな。これは笑って聞いて欲しいのですが、私は本当の本当はタフに人助けできる感じの人になりたかったのかもしれない。心も身体もタフに、目の前の人を助けられるような人に。アンパンマンを心から尊敬している。彼は「タフ」とは少し違うかもしれないけど。でも、アンパンマンのように他者へ優しくあるためには、ある種のタフさは必要な気がする。]

これに対して、ポケットモンスターのエンディングだった「そこに空があるから」https://youtu.be/P3_6cdd7fvk を贈るね。「傷つかぬ者に 青空は見えない 迷い 歩むたび 生命は輝く」という歌詞が、当時小学生だった心に刺さっていて、以来ずっと心に残っている。

人は痛みを体験しないと、相手の痛みに想い馳せることが難しい。でも、タカシナがいうように、痛みの最中にいる時は、やり過ごすのに精一杯で、そんな余裕なんかないよね。心身ともに安定している時だけでも、他者の痛みに想い馳せることを、怠らずにいきたいね。それがどこかで巡り巡って、自分を救うことにも繋がるような気がする。

 

僕の卒論は扱うテーマが広すぎて、上手くまとまらず終わってしまったけど、あれから5年経った今でも、同じテーマについて考え続けているし、白米の活動にも反映されている気でいる。学舎を出た今でも、こうして一緒に考えられる友がいること、心強く思う。いつもありがとう。

「内なる優生思想」と聞いて、2020年に書いた文章を思い出し、引っ張ってきた。まずは2020年8月に考えたこと。

[れいわ新撰組議員の発言、ALS患者の死。命の選別、自己責任論に関する出来事を見聞きする度に、学生時代の授業で先輩が言っていた「生まれてこなかった方がいい命なんてない」がひたすら頭をよぎる半年だった。]

社会が不安定になると、スケープゴートをつくったり、命の選別をしたりが始まる。ドイツにおけるナチスの台頭は最たるものだったが、今も世界で、日本で、同じようなことが起こっている。

日本近現代史が専門の、大日方先生の講義をとった時、最後の講義で言われたことが脳裏に残っている。「全く同じことは起こらないが、似たようなことは起こりうる」5〜6年経った今、振り返ると、希望とも絶望ともとれる、とても重たく、今を生きる我々に委ねられた言葉だなあと思う。

また、2020年2月、雨宮処凛『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』に、内なる優生思想について考えるヒントがあったので、僕のまとめを載せる。
[乱暴な分け方だけど、共通していたのは①自分も他者も「そのままでいい」と受け入れられるかどうか、②変化の早い社会構造とマッチできず、気持ち的にも行き場がない人が増えている、だと思う。①②にも繋がるが、後半ではマジョリティの当事者研究の必要性が提起されていた。自分を受け入れることから、他者を受け入れることが始まるとしたら、従来のマイノリティの当事者研究という枠組みが、行き場のない困りを抱えた微妙な層の生き方の捉え直しにも有効というのは一理あると思った。]

何かを許す、許容する、ということは、まずは自分の中にある「これは許せない」と向き合うことから始まるように思う。きっとこのプロセスは、自分の中にある「それでも絶対に譲れないもの」をも、まざまざと見せつけるのだろうね。

出生前診断は、その最たるものかもしれない。ただ、僕なんかがふと思うのは、個人の価値観と社会の価値観は、密接な共謀関係にあるのではないか、というところ。どちらかが一方的に押し付け合う構図(というのももちろんある。公害や原発基地問題など)、というよりは、相互に影響し合う可能性を持つものとしても捉えうる。だとすれば、一人一人が自身の価値観を振り返ることは、社会の大きな規範を変化させることにも繋がらないかなあ、なんて思ったり。

 

障害学を学ぶと必ず出てくるのが、医学モデル、社会モデルの考え方だ。ざっくり僕の解釈だと、社会の側、環境が障害を作り出しているという見方なわけだけど、まさに今の社会の仕組みと、発達障害の特性や精神疾患等からくる体調の波って、相いれにくい。オールマイティになんでもこなし、フルタイムで働く、それだけでもすごいハードルだもん。僕もぶっちゃけ生理前と最中は休みたい。何もしたくない。社会の仕組みが機能しなくなってきてるのを感じる。

東日本大震災を経て、変わるかと思われた政治や働き方は、あんまり良い方向にシフトしなかった、というのがこの10年に対する僕の認識だ。コロナ禍を経て、どうなっていくのか。占い界隈の人達が言うに、2021年1月に、400年続いた土の時代が終わり、風の時代が到来したらしい。個を重んじる時代に、うまいこと乗っかっていきたいし、乗っかっていってほしいもんだ。

お互い、ありのままフラフラ漂っていきたいね。

 

第四便の書き出しは僕からということで、承った。来週はちとバタバタするから、またおいおい投げていくね。

 

追伸

①そういえば今冬はホットワイン飲み逃した。シナモンが好きな僕です。僕は前回、チャンポン10杯からの記憶抜け落ちネタを晒したわけだけど、大分の友人にもネタとして共有したんだ。そしたら友人は昨日、一人で3軒目に行ってみたらしい。このご時世で他に客もおらず、静かに呑めたらしいけど、一人だと飲み過ぎてしまうから、一人で3軒目まで行くのは、3ヶ月に1回が適当だね、って話になった。そのうち「呑み方を弁える会」開催予定。

②最近の生きながらえるための音楽を紹介。

スピッツ 『春の歌』

https://youtu.be/94uxNQqmknk

スピッツ猫ちぐら

https://youtu.be/FOtgYKCB4Qo

フラワーカンパニーズ『深夜高速』

https://youtu.be/Ihjr5Xz31sI

観測1

いっそ寒々しいくらい乾いた空気の日のその夜です。


お手紙。交換日記。文通。

 

8歳から13歳くらいまでの5年間くらい、わたしの生活はこういったもので埋め尽くされていた。クラスメイト、塾の同級生、保育園の時の友達、当時好きだった男の子の彼女に宛てて、など。大嫌いな算数の授業中なんかは、もうほとんど全力で手紙を書いていたに等しい(後々成績で苦労することになる)。

つまりだから、おおよそ15年前の自らの行動の遺伝子が、わたしのツイッターで「いいなあ」と言った。

 

(あ、こんにちは。平ちゃんです。

わたしは大学時代の同級生たちの公開書簡を読んで「いいなあ」と言って仲間に入れてもらった人です。大学当時はふたりと別の演劇サークルで、死ぬほどイキっていました。当時から住んでいたあたり、引き続き東京に住んでます。)

 

読んで気づいたのだけれど、私は二人のことを全然知らない。読んでいる本も、仕事のことも、公演のことも。卒業してからもう45年経つのか…怖ろしいな。なんか知らないうちにジュン・チャンはイルカに乗っていたらしいし…八景島で触れるイルカやベルーガたちも最高だけど、泳げるならもっと最高だよね。

とりあえず、タカシナが読み上げたという本は図書館で予約したけれど、なんか全然私の番が回ってこないので買おうかどうか迷ってる。いつも行かない、定期の範囲じゃないほうの館にあったんだよ。回送は大体遅くて、通知が来る前に見に行ってしまうのが常。

 

ふたり、特徴としては、本をためらいなく読むよね?あとわりとしっかりと社会のほうを向いて勉強しているなと思う。それは、白米っていうアウトプットの場を持ち続けているからなのか。

 

二人のことを思い出すとなぜか、白米と一緒にやった公演とかよりもタカシナのいた劇団の本公演をいつも思い出す。なんか、タカシナは立ち姿がくねくねしてるんだよな。なんで立てているのかわからない、そんな風な立ち方のまま殺陣とかやるんだ。敵なのか味方なのかわからないまま、関係性を切り結び続けているんだ。

 

あと付け加えると、私は酒が飲めない。

正確に言うと、タカシナやジュン・チャンと会っていたころには飲んでいなかった薬を服用しているので酒を控えている。だから、「会って飲む」が達成されて、そこを観測することができても、わたしはきっと素面だ。

 

たぶん子供のころも、きっと私は誰の文通相手にもなれていなかった。私の手紙はいつも過剰で、自分の話ばかりだし何なら空想だったりするし、相手からのより23枚便箋が多かった。そんなだから、ちゃんとやりとりを成り立たせているふたりの往復書簡はめちゃくちゃうらやましい。行間に流れる、やわらかい風と湿り気に嫉妬する。追いかけて、同じ風のにおいくらいは嗅げたらいいな、と思う。真似してみたいなとも思うけれど、たぶん私の書くものは別のものになるだろうな。だから、

 

二人の手紙の、観測はじめます。

自分の定期の範囲から少し出られたらいいな。



追伸

タカシナの第三便を読んでいろいろ気になることがあったけれど、まぁおいおい書いていこうと思う。まずはジュン・チャンの返事が気になります。


追伸2

今日は割と私健康だから、不健康な日にまた書くね。


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第三便

タカシナです。第三便ですね。
耳鼻科でたいそう痛い処置を受けた悲しみをいまここにぶつけています。と言うのは半分嘘で、帰り道を歩いているうちにだんだん書くことを思いついたので書いています。

 

体調不良の話なのだけど、私は特に思春期というか、中学高校に通っていた頃が一番、体調が安定せず常にしんどかったような記憶があるなあ。今も根本として体調の揺らぎやすさは変わってはいないけど、つきあい方が分かってきたので幾分マシになったかな、と。

中高生の頃は、どうしてこんなになにもかもしんどいのか自分でも分からず、複合的な要素をひとつひとつ解いて言葉にする自分の身体への解像度も持てず、周囲からも怠惰とみなされがちだったし、原因も対処法もわからなかった。そんななか、毎朝同じ時間に起きて学校へ行き、授業を受け、体育では走り……と、軽微な体調不良では逃れることのできない隙のないタイムスケジュールで毎日過ごさなければならないつらさというのはなかなかだった。適宜サボりつつ卒業したけれど。

その頃の、中高生の頃の生きづらさというのは強烈な印象として私の中に残っており、このツイートでも触れた通り

 

コーヒーをこぼしたままのリノリウム 泣いてばかりの十代だった

佐藤りえ 『フラジャイル』

この歌のような感覚だった。しなければならないことは目の前にあってやらなきゃと思っているのに泣き疲れた身体には力が入らない。床にへたりこんで、もう戻らないコーヒーを、眺めていても片付かない床をただ見ている。そんな気分。
当時の私がなにに泣いていたのか、なんでコーヒーをこぼしただけで世界が終わるくらい辛かったのか、今となっては遠い過去だから思い出せないことも多い。
ただ、最近になってふと、当時の私がもっと自分の身体のことを知ることができていればな、と思うこともある。どれだけ周りの言うことを聞いて昼間運動したり夜にお風呂に入ってみたりしても、頑固な不眠はそれだけじゃ治らない。起きてすぐの動けなさもそう。そもそも朝起きられないときは、すでに精神を反映して身体が限界になっているからもう諦める。生理や気圧やストレスは要注意の要素。あと、ご飯食べた後眠くなって5時間目に大好きな授業なのに寝てしまうのは、必ずしも怠惰だけが原因ではない。
それら全て、私が持って生まれた体質で、もしかしたら夢のように治る方法もこの世にあるかもしれないけどまあ2021年2月時点の26歳の私はそれを知らない。今のところ、だましだまし付き合う以外の方法を知らない。
なんて不便な身体なんでしょう。
もっと強く生まれていたら、怖いと思うものも今よりずっと減っただろう。もっといろんな方法で人を助けたりもできたのかな。これは笑って聞いて欲しいのですが、私は本当の本当はタフに人助けできる感じの人になりたかったのかもしれない。心も身体もタフに、目の前の人を助けられるような人に。アンパンマンを心から尊敬している。彼は「タフ」とは少し違うかもしれないけど。でも、アンパンマンのように他者へ優しくあるためには、ある種のタフさは必要な気がする。


遠方に暮らす祖父の部屋の壁には、祖父の琴線に触れた記事の切り抜きなんかが色々貼ってあるのだけど、そのなかに「自分を救え」というものがあった。花に埋もれたなかに寝そべる女優さんが強い眼差しでこちらを見据える、それは美白化粧品の新聞広告だったのだけど、祖父は宣伝された商品とは関係なくキャッチコピーに惹かれたらしい。「自分を救え」という言葉のその下に、力強く赤ペンで線が引いてあった。
その頃祖父は腰を悪くして入院し、退院しても体力が落ちて以前のようには本を読めず、酷く落ち込んでいた。一番の趣味を満足に楽しめないなか、どんな気持ちでその記事を切り抜いて、赤線を引いたのだろう。自分を救え。


私は自分ひとりを救うのにもまだまだ難航していて、他のことまで手が回らないままここまできてしまったけど、それでも、自分の身体の好調/不調、快/不快の理屈は中高生の頃よりはわかるようになった。
その意味ではここまで生きてきてみてよかったかなと思わなくもない(BGM:私は今日まで生きてみました*1)。少なくとも、中高生の頃の、この先もどうせこのまましんどいままなんだと思っていた頃の自分には、10年くらいするともうすこし楽になってる部分もあるかもよ、とは言ってあげられるかもしれない。まあ別のしんどさは随時発生するので人生もぐら叩きですが。


そうそう、ジュン・チャンとは互いの卒論を読みあった仲だった。卒論ってそこそこ長いし読むのに骨が折れると思うので、きちんと読んでアドバイスをくれる友人がいるという事実そのものが、当時の私には救いでした。その節はどうもありがとう。
改まってそういう話をしたことはないけど、世界史をさっぱりやってこなかった私にも、ジュン・チャンの言うことのうち少しはわかるような気がする。私が自分の日本近現代史専攻としての卒論のテーマに優生思想を関係させたのも、


このエピソードがひとつのきっかけだった。この、きっぱりとした言い切りの強さからは、歴史学の学問としての矜持や使命感までもが感じられた。見るのが嫌になるようなものだとしても、ちゃんと見なきゃいけないと思った。

そんなわけで、卒論のテーマが優生思想に関するものだったのでその辺の論文のコピーが家にまだあって、先日ふとそのなかのいくつかを読み直していたら、こんな一節があった。

「われわれは、個人が自分に都合よく生きようとする場面で動員されている優生思想、つまり『内なる優生思想』が確かに存在しており、それは『国家の意向の内面化』という説明で決着がつくような代物ではないことに気づいている」

 

松原洋子「<文化国家>の優生法ー優生保護法と国民優生法の断層ー」

現代思想』第25巻第4号,青土社,1997年,p.8-21 


ちょっとした思い出話。私は自分の卒論を、出生前診断について述べることから始めた。自分が優生思想に関心を持つきっかけは複数あったけれど、出生前診断もそのひとつで、だから言葉選びにはかなり神経を使ったけれどその話題を書くこと自体には疑問はなかった。
口頭試問(めちゃ緊張した)が一通り済んだあと、それまでの試問よりは少し軽い感じで教授に聞かれた。
「これは卒論の中身からは少し外れた、個人的な関心からの質問なんだけど。○○さん個人は、ここに書いてる出生前診断にはどういう意見なの?」
予想していなかった質問で、頭が止まってしまった。あれだけ「はじめに」で書いておきながら自分の意見がまとまりきっていなかったことを痛感して顔が真っ赤になったのを今でも覚えている。
「どういう選択をするにせよ、それは実際育てる夫婦の意志であればこそ許容されるもので、周囲や社会が口を出すべきではないと思う」みたいなことを、百倍しどろもどろに答えて、帰った。帰り道、たぶん試問は大丈夫だったということより、最後の質問のことばかり頭を巡った。


今考えても、出生前診断について、自分の意見自体はあのとき答えたものとあまり変わりない。しどろもどろだったけど答えの中身自体は自分のなかから出たものだったらしい。だけどその分、先に引用したような「内なる優生思想」との対峙の仕方を考えてしまう。「国家の意向の内面化」で説明できたならいっそ楽だろうけどそうではなく、私自身が、自分のなかにある差別や、偏見と向き合っていかないといけない。
結局、ひとつを許すことはだんだんとその延長にあるものまでも許すことに繋がる、と思うから、つらかろうが、やるしかないのでしょう。


ジュン・チャンが前回の返信で書いていたこと。

大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。僕だってそうだ。

私もそうです。
例えば今までしてきた話だってそう。正直、自分がもし仮に子を産み育てる立場となってみたら、私はその子になにも求めずにいられるだろうか。幸せであって欲しいという思いに隠して、たとえば健康や、力や、美や、知を求めたりはしないだろうか。求めたら、それが叶わなかったときに失望せずにいられるのか。センシティブな話なのであえて抽象的な話にして逃げを打っています、ごめん。


話題を変えます。なんとこの話題も重たいです、びっくりだね。

自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。

という、これも前回の返信から、読書日記の抜粋について。

以前、発達障害当事者の方がTwitterで「もし自分の発達障害を消せるとしたら、消す?消さない?」というアンケートをされているのを見たことがある。結果ははっきりとは覚えてないけど割と拮抗していたように思う。リプライも盛り上がっていた。
そのときの私は、それを見ながら結構悩んだのを覚えている。当事者ではないにせよ自分の生きづらさ、の原因が例えばやたら繊細で過敏な傷付きやすい精神性だとか、そういうもののせいだとして、じゃあそれを取ったら私は私なのだろうか?と。


以前、飲みの席で管を巻いている時に、ふと口からついて出た言葉、確かこんな調子だったような。
「もうなんかこれくらいの年齢になるとさ、自分がこじらせてるとかめんどくさいとかそういうのはもう自分で分かりきってることだし自覚もあるけど、じゃあそれを治したら治したでその自分を私が愛せるかって言うと、多分違うと思うんだよねぇ。多分さあ、散々自虐で自分のことこじらせとかめんどくさいとか言ってても、そういう自分をほんとのとこでは嫌いじゃないってのが最大の問題なんだよ。変わる気ないもん。そこ込みで自分だと思ってるもん。なんなら自分のセールスポイントもそこに置いちゃってるもん」


なんと清しい開き直り!しかし、これを超える本音が今のところ見つからないのも確かだ。
私は、私でいることでずいぶん苦労もしているように思うが、だからといって結局そういう自分を嫌いにもなれない。


「生きること」そのもの、これを「生活」と言い換えてもほぼ同じ感覚なのだけど、それらには結構明確に、得意/不得意、向き/不向きがある、と思う。

「……できる人が できない人に できるハズって言うのは マズイんじゃないですか」

ひぐちアサ『ヤサシイワタシ』#1 p.31*2

私はこの台詞がとても好きなんですが、ほんとこのマインドでね、生きるのに向いてない人でもなんとか生きられるような世であってくれ~、と思う今日この頃です。弱い私も、弱さも私だし、変えられるとこは変えつつも、根本私として生きていたいし。


なんとか冒頭の話と繋がったあたりでこの便を終えたいと思います。ちょっと話が長いよね。いつも電話も長くなるもんね、仕方ないね。


ところで、ひとつ提案なのですが、ずっと書き出しが私だとなんとなく形式が固定されちゃう感じがあるので、第四便はジュン・チャンから書き出すのはどうでしょう。これは提案として投げておくので返信ください。


追伸:最近の酒事情

祖母がマンションの自治会のクリスマス祝いで貰ったワインをうちじゃ飲まないから、とこちらへ送ってくれたので、最近はそれを鍋で温めて飲んだりしています。この間はオラオラ言いながらみかんいれて煮て潰して飲んだらおいしかったし身体に良い気がしました。幻想。

*1:私にとって「真理」を歌っている曲ベスト10入り確定、吉田拓郎『今日までそして明日から』

*2:この作品、未読ならぜひ読んでほしいです。でも嵌ると引きずられるから明るい気分の時に読んでね

 2/4追伸:自分で読み直してみて人によってはかなりエグい思いをしかねない漫画だと再認識したので、安易にお勧めすべきじゃないと反省、私はとても好き、というところに留めておくね。

第二便 返信

ジュン・チャンです。

タカシナの[まあこれを書いた次の日には気圧やPMSで寝込んでいるかもしれないんだけどね。]を読んだ時、思わず笑ってしまった。僕も全く同じ状況だから。気圧と寒暖の差で、ただでさえダメージを受けているのに、キツイよね。仕事サボりたい。

身体のバイオリズムを考えて生活するならば、月の2週間は勤務時間制限して働けたらなあって、切実に思う。もっと欲を言うならば、日照時間も加味したい。制度に人体を合わせる限界。お布団だけが味方。

 

1月27日、今日はアウシュヴィッツ強制収容所が解放された日で、ホロコーストの日なんて呼ばれている。ポーランドアウシュヴィッツメモリアルでは、例年式典が行われている日であります。動画を見るたびに、鈍臭い自分がよくもまあ一人でポーランドに行って、無事に帰ってきたなあと、しみじみ思う。

曲がりなりにも学生時代、この辺りのことを齧った身としては、色々考えてしまう。世界で一番民主的であったはずの憲法を持った国民が選んだのが、特定の民族や、性的指向性自認が枠組から外れている人、精神疾患を抱えた人を、人として扱わず、虫ケラのように殺していった事実。日本にしても、アジア諸国への侵略・加害、江戸時代からの差別を根底にした沖縄の扱いなど。

「どうして人はこんな残酷なことができてしまうのか」と、子供心に思った日から、知れば知るほどこの想いは拭えない。大人になり、人を見下さないと自分を保てない弱さ、受け入れ難いものへの恐怖が、人を差別や迫害に駆り立てるのだとわかった。身近な生活の中でも、人から人への賤視はある。

僕だってそうだ。

[たぶんその頃もリアルで会ってると思うから、]で、自分の中にあった弱さが引き起こした後悔を思い出した。

タカシナがちょうどしんどかった時期、朗読会の試みをした時だったか、僕はタカシナに対してとても傷つける発言をした。何も考えず発言していて、言った後にハッとしたけど遅かった。自分の中にあった賤視を自覚した瞬間でもあった。あの時も謝ったけど、今でも本当に後悔している。改めて、ごめんなさい。

 

タカシナは『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』を自分の体験とリンクさせて読んだんだね。実はこの本を読んだ時、映像か演劇にできないだろうか、と本気で考えた。逆に言うと、それくらい生々しく生がそこにあると思った。医療人類学の研究論文だから、そりゃそうなんだけれども。

ちなみに、僕は仕事と引きつけて読んでいた。以下は読んだ当初の感想より。

[自分の仕事はあくまで、 ハンディのある人を社会の一般的とされる枠組みに近づけていくよ うな面もある。そのことが、 私にはなんだかしんどく感じることがある。]

この想いは今でも感じているし、早く僕の仕事が必要なくなる社会になったらいいなあって思っている。幸か不幸か、今はまだ必要な部分があるのも確かだ。皮肉なことに、このコロナ禍になって、「当面は自分にできることをやりきるしかない」と覚悟が決まったところがある。

 

タカシナが自分のマイナスの思考から逃れるために食べていた、というのを読んだ時、最近読んだ上橋菜穂子先生の『明日は、いずこの空の下』というエッセイの一節を思い出した。

[自分の痛みを、他者に伝えるのはほんとうに難しい。そして、他者の痛みを察することもまた、とても難しい。それは心の痛みも同じことで、分かりたいと願っても、探り出そうと問いかける言葉は、いつも、どこか微妙に的からずれていて、応える言葉もまた、どこか微妙に伝えられぬものを残したままで終わる……。(P38)]

上橋先生が高校生の時、悩んでる友人に上手いことが言えなかった、って言うエピソードからきている。当時を振り返ると、僕もタカシナにどんな言葉をかけていいのかわからなかった。何を言っても傷つけるんじゃないかと思っていた。

他者の痛みを、完璧に理解することはできない。でも、だからこそ、想像することから、向き合うことから、逃げたくない。

 

自分がいろんなものから逃れる方法ってなんだろう、と考えると、まず一人旅が思いつく。特に、ポーランドに行った時に強く感じた。もちろん心細さはあったけど、日本語の聞こえない、まったく知らないポーランド語しか聞こえないのが、逆に居心地が良かった。

大分に来てからは、海辺に行くこと、喫茶店で本を読むこと、になっているかもしれない。耐えきれない時は、夜の海に行って波の音を聴きながら泣く。今のところ、平均して年2回の心のデトックスです。あまりに溢れると、言葉になんかならないし、人に縋れないんだよな。

 

序盤から堅苦しい話題が続いたので、我々らしい酒の話をすると、磯丸水産、いいね。行きたいね!どっかおしゃれな街に行ったのに、なぜか磯丸水産で、昼から呑んだよね。イカとかホタテとか焼いて美味しかった〜。一昨年の赤羽といい、我々の昼飲み率って割と高いのかな。というか、常に酒飲んでるのか。

 

酒の話とコロナ禍、地方の一人暮らしということで、つい先週末にやらかした話をするね。

久々に一人で呑み歩いたのと、いろんな事情で暫く呑み納めだったのと、大好きな友人何人かに偶然会えたので、ご機嫌に呑みまくった。

短時間でチャンポン(焼酎、ハイボール、ビール、ウィスキー、日本酒)×10杯呑んだ結果、帰途・帰宅後の記憶はあるのに、帰宅前の1時間の記憶が抜け落ちていた。

なぜ記憶がないことに気づいたかというと、朝起きてふとLINE見て「え?なんで僕、23時にこの人に電話してるん?そういえば昨日、隣に座っていた?え?座っていた?」となったから。酔っ払って近所の友人を呼びつけていたようだが、そこだけ綺麗に抜け落ちていた。ここまで人に迷惑をかけたのは初めてで自分でもびっくりしたのと、「呼ばれたお前もなんでいんねん!」のダブルパンチのびっくりだった。謝罪した。一人で飲み歩くとずっと呑み続けてしまうのと、3軒目なんて行くタイミングには、そもそも脳味噌寝てるんだよな、と本気でヤバいと自戒した。

歩いて帰ったし、家計簿書いて財布の中身も整理して、寝巻きに着替え歯磨いて寝てるのに。オートメーション化こわい。記憶がない、ここ数年増えてはきていたが、今回はかなりの恐怖だったぜ。電話して人を呼びつけた記憶がないってさ、ハハ…。

 

ここまで書いといてなんだけど、呑みに行けないタカシナにこんなこと話すか悩んだんだ、これでも。酒の肴にしてくれ。

こっちに来てからは焼酎ばっかり呑んでいる。冬は黒霧島、夏は木挽ブルー。最近は西の星がさっぱり感じて美味しかった。

よかったら、記憶がなくならない程度に呑むアイディアをくださいませ。

お互いPMSを乗り切ろう。