次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十便

こんばんは。タカシナです。随分間があいてしまいごめんなさい。
東京の感染者数と私のメンタル健康度合いは反比例の関係にあるので、最近はずっと鉛の塊が胃のなかにあるような気分で過ごしています。元来怖がりの心配性で最悪の事態を想定するタイプなので、自分や家族がもし体調を崩したりしても適切な医療にアクセスできないであろうという現在の状況はかなりこう、くるものがあります。昨年末も同じような感じだったのですが、今回は緊急事態宣言が出ても感染状況が良くなる兆しが一向にない(そもそもこれまで効き目があったこと自体不思議な感もありますが)ので、なんともはやです。
そちらはいかがお過ごしでしょうか。

第九便の返信で、生理が重いのでピルを飲み始め、その後なんやかやあってピルは体質的に飲めないということになり、今は医師の提案で別のホルモン薬を飲んでいる、という経過を報告したように思う。PMSには効かないし不正出血が多くピルほど使い勝手は良くない薬だが、飲み始めて二か月、身体が慣れてきたのか生理がほぼ無くなってきて身体はかなり楽になった。

鬱時期の過食がたたって過体重だった時期が長かったせいでずっとピルが飲めなかった(肥満はピルの禁忌にあたる)ため、私の中ではピルさえ飲めれば生理から解放されるという思いがずっとあった。しかし今回試してみて、誰でも飲める魔法の薬というわけではないことを知った。そもそも周りのピルユーザーに聞いてみても、きちんと服用していても調子が悪い時には重めの生理が来る人もいるらしく、生理からの完全な開放は遠いのか……となにか暗澹たる気持ちにもなる。結構前、堀江貴文の本の帯に「低用量ピルで女性の働き方改革」という提言があって(リプロダクティブヘルス……)とモヤっとしたのだが、改めて、ピルを飲めば解決!とは言い切れなかったり、そもそも重い軽いから始まってあまりに各個人で経験しているものの違いが大きすぎて、生理についての話し合いは難しいよなあ、と思う。

私の生理が重いのは、毎年検診を受けてそのたび特に悪いところがあるわけでは無いので「体質」という結論になっていて、こんなんマジで生まれつきの運でしかないじゃん……と思う。しかし、生まれつきの運で決まる要素なんていくらでもあるのでそこを嘆いても仕方ない。仕方ないが、重たかったころの生理を思うとよくあんなものを毎月耐えていたものだと思う。家族の女性陣は皆生理が重い人たちだったので、自分の生理が病院で相談するに足るほど重いものかもしれないと思い始めたのは、大学生になって周りの女子と生理の話を大っぴらにできるようになってからだった。そのうち何人かが私の話を聞いて心配して病院を勧めてくれなければ自分では婦人科の受診は考え付かなかったと思う。生理とは「そういうもの」だと思っていたからだ。高校のころ貧血で倒れる子や毎月休む子を見ていたので、そこまでではないし、と判断していたところもある。我慢する必要などなかったのだけど。

これまで世間話として複数人の話を聞いてみても、それぞれの語る「生理」像は各々全く違うので、正直「生理がある女性」というくくりは大雑把すぎて機能しないと思う(そもそも生理の来ない女性だっているのだし)。ごく個人的な意見だが、たとえば最近見られる「生理は恥ずべきものではない」という主張に関しては、文脈は分かるけれども私にとっての生理は排泄と性の入り混じった非常に私的なものであるのでやはり恥ずかしいものだという漠然とした拒否感がある。これは、私が生理のたびに改めて自分が女性であると認識せざるを得なくなり、結果自分の女性としての身体を呪ってしまう点とも関わっているので、本当に極個人的な話なのだが。

変えられないものに対して変えたいと思いを募らせても不毛だな、とはずっと思っている。それに、男性になりたい、とは思っていないから、気持ちの行く先もない。ただ自分が女性としての身体を持っていること、その帯びる意味、のようなものが時々非常に疎ましい。そんなだから、ただでさえ生理で具合が悪い時に「生理はやがて妊娠・出産につながる大切なもの」みたいに言われたらきっとマジで殺意を覚えるだろう。生理ってなんかそういう、女体の神秘的な方面からのポジティブな捉えなおしが多く見られてげんなりする。そういう考え方に救われるひともいるのだろうからあまり悪しざまにも言えないけれど。

ところで、ルッキズムについての連続講座を受けてからもう三ヶ月くらい経つ。今の私は極度に社会との接点が少ない生活を送っているので、家族以外の誰かから見た目について言及される機会は無い。自分の見た目については、もっぱら内なる自分との対話が続く日々だ。
「社会はゆっくり変わる、それまでは生き残るための方策を取る」
講座で言われたこの考え方を時々思い出す。

顔が濃いほうなので、以前メイク講座に行った際には「強い顔が似合うからどんどんやるといいよ」と言われた。事実塗れば塗るほど色々と強くなる顔ではあるのだが、しかしこの「強い」という言葉はなんとなく使い心地が悪い。見た目の話に絞っても、「強い女」というものが私の中で、「自信や自尊心に溢れる美」のようなイメージを持っているからだと思う。そしてそこからは、「美こそが強さ(あなたもそうしましょう)」というような、美を全肯定する圧倒的光のメッセージを感じ取ってしまい、なんとなく怖気づくのだ。強い女は好きだけど私がなりたいのはそれなのか分からない。といって対義語的に「弱い女」になりたいわけでもない。美しくなろうと思うのは自分のためだけど、気がつくとそうではないものに巻き取られていそうで、おしゃれをすることはまだなんとなく怖い。

ルッキズム講座の三回目で提示された「メイクやダイエットや整形(美しくなろうとすること)はルッキズムの強化であり加担ではないか」という問い、それに対する応答としての「長期的にみて社会を変えようと考えることと、短期的に自分が処世することを考えたときに処世のほうを否定しないこと、まずはこの社会を生き延びなければならないのだから」という考え方。まさにそうで、とりあえずはこの私で生きていかなければならなくて、そしてこの日々の生活の中に外見を装うことは思い切り突き刺さって抜けないものなのだから、本来は、たとえそれが構造を強化することだとしても、自分の気に入る自分に近づくことになにもそこまでの罪悪感を持たなくてもよいのだろう。

化粧をすると確かに高揚感や楽しさはある。しかし同時に何かを裏切っているような気分にもなる。何かとは何か、女性らしい恰好を頑なに拒否していたころの自分か。薄々気が付いていたことだけどスカートは楽だ。履くだけである程度の恰好をしている体が取れる。髪も、わざわざ限界まで短くしなくても、同じショートヘアなら耳下まであるほうが概ね無難に普通っぽい。そもそもが個性の発露でなく人々に埋没したいという基準でファッションを選んでいるはずなのに、生まれた身体の性を目立たせないための恰好がしたい気持ちがぶつかってきてどうにもちぐはぐな見た目になる。それを何年か繰り返し、それでも髪は短いほうが落ち着くしワンピースを着ているときには女性のコスプレをしているような感覚がある。私はどうしたって女性であるし、自分のことを女性だと思ってもいるのに。

ちなみにものすごく太っている時、鏡を見るとものすごく太っているので自己嫌悪がすごかったが同時に「ここまで太るともう若い女性というカテゴリーから逸脱した違う何かだな」とも思った。早くおばさんになりたいと思っていた時期があり(おばさん、はそれはそれで乱暴なカテゴライズだと今では思っているが)、結局「女性性」みたいなものの外に行きたいだけなのかもしれない。しかし、外に行った先に特に行くあてはないのだ。

世の中のことを書くのを避けた結果自分の話ばかりになってしまった。世の中のことを書くには今の私は怒りすぎていると判断しました。返信しづらい文章で申し訳ない。内容に対する応答でも、そうでなくても、お返事のんびり待っています。
とにかく暑いのでご自愛ください。そうめんばっかり食べている夏です。

第九便 返信

返信がだいぶ遅れてしまってごめんね。
先日電話した折にも話したかもしれないけど、祖母の在宅介護が徐々にハードさを増しております。今は基本的に月の半分、つまり二週間はショートステイで預かってもらうことになっているので、正味大変なのは残りの二週間だけなんだけど、その二週間にイベントが盛りだくさんという感じで、はあこりゃこりゃです。
さらに、ようやく無事に祖母をショートステイに送り出せたと思ったらおそらくそこまでの無理がたたって超ド級の鬱にはまり、ようやく這い出て今です。この状態に鬱と名前がついてそれと付き合い始めてからもう五年くらいになるのかな、だいぶ付き合い方は分かってきたのだけどそれでも今回みたいに大きい波が来るともう台風みたいなもので過ぎるのをじっと待つしかない。
という、返信が遅れたことの言い訳及び近況報告などをして、久々に文章を書く指を温めております。

前回貰ったジュン・チャンからの書簡には『第九便では、上記備忘録を受けて、タカシナが考えたこと、感じたことを聞いてみたい』とあり、返信を書くならここに触れないわけにはいかないだろうと思った。しかし、備忘録の内容に立ち入って具体的なコメントをするというのはどうにも気が進まないな、という気持ちがあり、その件についてジュン・チャンに電話してみたところ、むしろ備忘録についてより『どうやったら自分事として考える人が増えるのか』の部分についての意見が聞きたいとのことだったので、そういうこととして以下を書く。
ちなみになぜ備忘録の中身そのものについて触れるコメントをしたくなかったかというと、イベントのその場で発された言葉にその場にいなかった私が後から何か言う、という構図が嫌だったから。なんというか、その場の雰囲気に担保された安心感から出た発言も多いだろうし。

「その場の雰囲気に担保された安心感」というのは、もっと開いて言えば、「この場所ではなにをいっても頭ごなしに否定されない、正誤で即座に意見を切られない、いったんきちんと聞いてもらえる」というような前提が参加者のなかにあるということだと思う。電話で話したこととも重なるけれど、「自分事として考える人が増える」ために、はじめの一歩としてそういう場が必要だと思い、創り出したジュン・チャンはすごい。
実際、何を言ってもまずは聞いてもらえて、そのあとで客観的なデータや資料を基に現時点で正しいと考えられている事項を示してもらう、そういう場所が必要なのだと思う。そしてそれはその場のオーナーに非常に胆力が要るのだろうな、とも。間違っている、と思ったときどうしても「それは違う」とたくさん言ってしまう私はそう思う。勝負みたいになってしまったら議論は進まないので、そうではなく、過不足の無い指摘、みたいなのが求められるのかなあ。私の苦手とするところです。

間違っているからって相手に悪気があるとは限らない(結果的にアウトプットが差別的表現になっていたりしたらそれは悪気の有無などではなく結果を指摘しなければならないのだけど)し、自分の言うことだって正しいとは言い切れない(どんなに正しくあろうとしても)、と分かっている。それでも誰かと意見を交換するときに、相手から出た意見をいったん受け止めるというのが難しいときもあって、その傾向はテーマが自分と関わりが深いものであればあるほど強い。有り体に言えば、「あなたになにが分かる」「あなたにはなにも分からない」と相手に言いたくなってしまっている状態だと思う。知識として知っているだけのテーマならまだしも、自分にその問題の欠片が刺さっているようなものだと当事者だということを振りかざして閉じこもりたくなるのかもしれない。否定されることはその刺さっている傷口にまた新たな力を加えられるようなことだから。その痛みも実際に感じたことがない人になぜ傷口を触られなければならない?

ずっと、たまたまそう生まれただけで割合からマイノリティと呼ばれ、権利を得るためには声を上げ立ち上がり社会を動かさなければならない、というのはしんどいし不平等だと思ってきた。自分のことというよりはもっと広い意味で(そもそも私はどうあれ「当事者」でなくマジョリティでは?とも思う、のでこの語り方が正しいのかもあまり自信がない)。本当はそんなことしなくていいはずだしそんなことしなくていい社会にさっさとなればいいのになかなかそうはならない。人一倍頑張らなければ文字通り生きてゆけなくて、その様を見てそうでない人たちは石を投げるか、さもなくば感動の涙を流したりする。それって同じ高さの地平に立った同じ尊厳のある存在への扱いなんだろうか。
それでも、世の中がそういう不平等で溢れているときにただ黙っているだけだと現状を追認していることになる。「あなたには分からない」と言いながらも本当は分かってほしい、それはそう。でも本当に全部分かるのは無理だろうとも思うし全部分かったと言われたらそれはそれでこちらのプライドが多分許さない。同じ経験なんてお互い絶対無理なのに、100%分かるのは無理でしょ、と思う。
だから、相手と7割くらい分かり合えたらそれでいい、というところで止める力、さっき言った胆力みたいなもの、それが必要なのかなあとも思う。これはジュン・チャンの投げてくれた「どうやったら自分事として考える人が増えるのか」の答えにはあまりなってないね。申し訳ない。

「自分事」というのはなかなか難しい言葉だな、と思う。ジュン・チャンが電話で言っていた「自分事」というのは、例えば関連するニュースを見かけた時に無関心で聞き流さず、そこから更に自分で調べたり考えたりする、自分の中でそういう存在に特定のトピックを置くことを指すのかな。それはとても大事な姿勢だと思うし、前回の「セクシャリティ、家族」も今回の「沖縄」も、そうした意味で「自分事」と捉える人が増えればもう少し状況が変わりそうだ、そもそも本来はどちらも「他人事」で済ませて住んでいられる国ではないと思う。自分含め。
その一方で、個別具体の経験や思いに、共感による理解をどこまで寄せてよいものか、とも思う。限界はあるだろう。分かりあえて七割かなあ、と。そもそも「揺らぐ」で行われているのが共感による理解だけとも思っていないし、「揺らぐ」を始まりの場としてそれぞれの方が生活の中へ持ち帰ってゆくものこそが目的なのだろうと企画意図を推察してはいますが。
つまり、「揺らぐ」では既に行われていることだろうけれど、完全な理解だとか合意の形成では無くて、今まで疑いもしなかったなにかが少しでも揺らいで、そこから自分事として考える機会が増えるといいのだよね。時間はかかるけど、きっとそのゆらゆらはずっと続くと思うので。初めから思い切りぶん殴られたら反発するけど、揺らされたら、揺れ続けるしかないので。

全然答えにならないうえにまとまらない返信でごめんね。家を出ない生活は心地の良い揺らぎも不快な揺らがせも少ない代わりにゆっくり何かが手の中から零れていくような感じがします。早く大分に行きたいなあと思って、この書簡の終わりが「会って呑む」とこに設定されていたことに気付く。言い出したころにはそんな日が来るのかしら、と思っていたけれど、いつかこの書簡も終わり顔を突き合わせて延長戦をする日が来るんだろうかね。肝臓鍛えておくね。

追伸
ピルは体質的にNGが出て、代わりに生理をほぼ止めるとやらの薬を飲み始めました。一か月経過し、確かに生理がめちゃめちゃ軽い。これは、すごい。すごいし、どうりで同じ性別間でも生理軽い重いで全然違う景色になるし話がなかなか通じ合わないわけです。一日目に何も気にせず夜眠れるなんて!
生理への憎しみって話はそのうちこの書簡でしたいです。今回書こうとしたら入りきらんかった。

第九便

梅雨冷えが続くと思いきや、日中の暑さが強まってきた九州より、ジュン・チャンです。今年も梅干し必須。

 

6月19日に対話企画『揺らぐin別府』2回目を実施したよ。テーマは「沖縄」だったけど、前回の「セクシャリテイ、家族」と比較すると大きな枠組みだったからか、話題はテーマを越えて広がったように思う。

今回は個人的な部分に関わる内容は少なかったから、ザクッとまとめてみた。以下のような感じ。

 

___________________________

『揺らぐ in 別府』6月 備忘録

(テーマ) 沖縄

 

沖縄戦の遺骨が混じった土砂で、基地建設の埋め立てをしようとしている国の動き。

・中央からの犠牲。別の国感。北海道も似た感覚ある?

・基地建設が環境問題にも影響。(ex.ヘリポート建設時の赤土流入により珊瑚礁破壊)

・家庭や学校教育の中で知り得た情報よりも、成人してからイベントや勉強会で聞いた情報の方が多い。(ex.教科書やテレビで「ひめゆり」「集団自決」というワードは聞いたことがある/大袈裟太郎)

・九州にきて、終戦記念日に黙祷のサイレンが鳴るのを聞いた。東北ではなかった。

・長崎や広島は原爆投下日の登校日や平和学習により、当事者性を形成しやすい。教育機会によるところも大きいのではないか。

・ある社会的トピックについて、周囲に関心のある人がいると知る機会が増える。

・社会課題について、個人でメッセージを発信する人はいる。大きな動きには発展しづらいのはなぜか。

・ゴールは同じでも、スタンスが違うこともある。普段はないが、選挙の際に衝突が起こることもあった。

・記事を読んでも、難しい言葉の羅列で理解が追いつかない。

・米軍の黒人兵士による性暴力事件→日米地位協定により、日本国内で米軍兵士を裁くことはできない→国としての主権は?

・「黒人」という焦点化も人種差別を匂わせる。アメリカでは、「黒人」というだけで通報されたり、警察に逮捕されたりするリスクが高い。

SNSが絡むことにより、背景を知らないまま乗っかったり、表面上の情報で理解したつもりになったり、批判したりする。(ex.Black Lives Matterは、もともとは植民地時代にまで遡る人種差別の問題から潮流を引いているが、知らずにハッシュタグをつける等)

・自分がそのトピックや出来事を知らなかったことにショックを受ける。

・証言は記録なのか?実際、加齢とともに記憶が混在していくことは誰でもありうる。SNSが加わることで、水掛け論になっていないか。

・「慰安婦」を巡る政治的動向、歴史認識について。→情報を集めて知るほどに、状況が掴めなくなる。時代とともに変遷する認識。

・当事者ではない私達が、どうしていけるのだろう。

・政治家でも、女性は寄り添い感があり頼りにしたくなるが、男性は0か100かの傾向が感じられる。慰安婦問題や性暴力の問題は、特に前者の視点が必要ではないか。

___________________________

 

振り返ると、前回のようなまとめや投げかけがきっちりある終わり方にはならず、ふわっと収束したような印象だった。それは決して収穫がなかった訳ではなく、「沖縄」を切り口にしながらも、社会的トピックについて的確に話が広がっていったように思う。今回は10代から40代まで、幅広い層で話せたのも面白かった。

 

実施にあたって、大学時代の演習のレジュメなどを見返したんだが、今読むと「自分きっちり勉強していたのだなあ」と感心してしまった。結構ガッツリ発表していた。こんな風に学び、自分の頭で考える時間があったことは、本当に贅沢で幸せなことだと思った。

どうやったら自分事として考える人が増えるのか。

 

第九便では、上記備忘録を受けて、タカシナが考えたこと、感じたことを聞いてみたい。

実施場所であるSemperviumにて、はちみつレモンソーダをいただきながら、書簡を結ぶこととする。

f:id:takta89my:20210620162156j:image

レモンも丸ごと食べられるんだって。酸っぱくなかったよ!

 

第八便 返信

あっという間に6月。驚きを隠せない。蒸し蒸ししてきた九州より、ジュン・チャンです。扇風機を出したよ。

 

対話企画『揺らぐ in 別府』への所感をまとめてくれてありがとう。的を射た考察に、この企画に込めた決意を改めて認識させられた。まあ、実を言うと、タカシナからの第八便を読んだのは、第一回目の『揺らぐ in 別府』が終わった後だったんだけどね。

タカシナの所感を読んで、最初にうまく説明できなかった、企画のきっかけに想い馳せた。数日経って改めて言葉にするならば、「誰かが何かに踏み躙れていることも、自分が誰かを踏み躙っていることも、放置したくない」という想いがきっかけではないかと思う。

学舎を出てから積み重なってきたモヤモヤに、後押しをしてくれたのは、疎遠になった友人だった。思えば皮肉なことに、この往復書簡の始まりもそうだった。どれだけ傷ついても、絶望しても、そのことを糧にして、貪欲に生きていけるものだなあ、としみじみしている。タカシナ、いつも付き合ってくれてありがとう。漂白の旅。

 

さて。初回の『揺らぐ in 別府』で交わされた内容を、参加者全員による内容確認、及び了解を得た上で以下に掲載する。

 

___________________________

『揺らぐ in 別府』5月 備忘録

(テーマ)セクシャリティ、家族


①フリートーク

・どっちつかず、自分もわからない(更衣室での気まずさ、別に男にはなりたくない)

固定観念への反抗

ジェンダー以前に人として否定している(ドレスコードや制服の自由)

・精神的に苦手な服の押し付け

・髪型や服装を、その日の気分で楽しむ(柔らかさ、パワフルetcテーマ)

・LGBTQという言葉

・スポーツ業界におけるトランス男性・女性の扱い

・家族の空間・価値観に馴染めない

・家族でもみんな違うけど、なんか似てるとこもある

若い女性が言うと反発されるが、男性が言うとすぐに聞き入れられる

・気持ちが軽視される

・躾と暴力

・家族も赤の他人

・養子縁組は夫婦じゃないとできない

・価値観→法律が規定する家族

・家族は血縁?

よしながふみ『きのう、何食べた?』のしろさんの母みたいに、固有名詞だけ知ってる

・価値観を押し付けようとする親

・親みたいになりたくない

・映画『チョコレートドーナツ』


②最後に企画者から投げかけ

・今回の話を小括すると、性別とか性自認とか以前に、一人の人として自分を見てほしい、ということになりそう。個人的なことであると悩んでいたことが、実は社会的に思い込まされてきたことである。

・家族とは、法律では誰がいるかだが、文化人類学ではどう機能しているか、で定義し分析する。必ずしも血縁ではない。

___________________________

 

結果として、今回はある程度お互いを知っているメンバーで実施することができたので、僕も過度に緊張することなく臨むことができた。あっという間に1時間半が経っていた。

 

次回は6月に、沖縄をテーマに実施する。歴史的背景や差別の構造等、今回のテーマと比較すると、当事者意識の持ち方が難しい人もいるかもしれない。僕も勉強しなおそうと思う。

まだまだ走り出したばかりの『揺らぐ』だが、今後長いスパンで継続していこうと考えている。自分の知識や考え方も揺さぶられながら、揺らぎを面白く感じていきたい。

 

対話企画『揺らぐ in 別府』6月

https://fb.me/e/1uOBAx1Pg

第八便

タカシナです。
前回は犬への気持ちを語りっぱなし投げっぱなしの暴投したにもかかわらず、ジュン・チャンがきちんと「姪」というゴールデンボールで返してくれたので素直に嬉しかったです。ありがとう。

姪っ子さん、時々写真を通じて健やかな成長具合を見せてもらっておりますが、マジで健やかな成長を見ているだけで泣ける、周りの大人たちの適切な関わりやお友達との出会いなどの環境に思いを馳せて泣く。子育てといわれるものが、人にもよるだろうけどちゃんとしんどいものだと知りつつある今、意志を持って健やかに育てられた子を見るだけでもうね。それは決して当たり前のことではなく、本人と育てる人の努力によってなされたものだから。おつかれさまです。どんな大人になるんだろうね~~~。

『急に具合が悪くなる』は二度ほど読んでいるはずなんだけど内容がきちんと頭に残っていなくて、ただただ読後の感情だけが強く残っていて、それは私がそこで語られている内容の凄まじさと言ってしまえば死の不条理さ(そもそも不条理なものであるということを忘れることで恐がりな私は何とか日々をやり過ごしているのです)、そうしたものに引っ張られてしまっているからだと思う。だから、受取勘定の話もこのように文脈の中で引用されて改めて、手触りのある理解となった。

かつて、「今現在なんの役にも立っていない自分がどうして生きていていいのか」と真剣に考え続けた日々があった。今から思えば鬱による自責の煮凝りであるが。その時、毎日毎日天井を見ながら考えて考えた末にふと思ったのは、「かつて私が誰かのなにかの助けになったことがあったかもしれない。私が将来誰かの何かの助けになるかもしれない。今は何もできなくても、過去や未来にはなにかあり得るかもしれない。その可能性によってどうにか、今生きていることも許されないだろうか」というものだった。

話があちこちに飛んで申し訳ないが(ある意味我々の普段の会話に近いね)、中島みゆきの『糸』で一番好きな歌詞は、「織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」という部分だ。「あなた」と「私」が「出逢う」ことで「織りなす布」、言い換えればふたりの関係性とその生み出すものは、しかし、「いつか」「暖めうるかもしれない」というように、慎重に、可能性として歌われる。
自分と相手の関係性が誰かの救いとなる、そういうことはたくさんある。けれどそうならないこともまた、たくさんある。それに、どれだけ当人たちが幸せでいても、誰かを暖める機会に恵まれないこともあるだろう。ではそれらに意味がなかったのかと言えばそうではなく、ただ成り行きがそうであったというだけ。『糸』がテーマに歌っているのはきっと運命の出会いのことなのだけど、だからといって「誰かを絶対に暖める」というようには言い切らず、あくまで判断を未来に投げ、暖めるのか暖めないのか言い切らないところが、他を、つまり運命の出会いではなかったものたちをも排除しない表現となっている。そもそも関係性の渦中にあってそれが運命かどうかなんて分からないわけで、そういう意味でも思慮深い歌詞だな、と。
という、すべて個人の見解ですが。

おそらく自己肯定感だとか自尊感情だとか、そのように呼ばれる部分に何らかのバグがある我々(と非常に乱暴にまとめてしまってごめんね)は、もしかしたら他人の未来というようなもののことならそれなりに願えるのかもしれないね。自分の未来にさしたる望みが無くとも。「受取勘定」の話からそんなことを思った。未来の不確かさ、予想のできなさを、可変性としての希望と捉えて受容する、そのために他者と関わるというのなら、それは綺麗事でなく実感として今の私には響く。

>ところで、次の話。今月、対話企画『揺らぐin別府』というのを始動する。初回のテ ーマは同性婚訴訟、レインボーパレードから、セクシャリティ、家族を取り上げる。もしよかったら、このテーマについて、タカシナの考察や所感など聞いてみたい。気が向いたらよろしく頼む。

今回の書簡は、前回の返信で投げかけられた、これに対する応答をテーマにするつもりでした。相変わらず前置きが長いね。
どんな企画なんだろうと思って、『揺らぐ in 別府』5月のイベントページを見ました。Facebookのリンクうまく張れないので、以下引用させてもらいます。

○企画意図 
社会に出て6年が経ち、安心、安全に話せる場を設けたい、と思うようになりました。安心、安全と言いながら、自分が誰かを傷つけるリスクも、その逆も正直こわい。それでも、生きるためにやらなきゃいけない。
日頃のもやもやをどう捉え直し、考えるか。その上で、どう行動していくかを考える試みです。

なんだか大層な決意表明になっちまいましたが、茶しばいてお話しするだけです。

○概要
毎回テーマを決めて、来られた方々でお話しします。
定員5名、1名より実施。事前予約をお願いします。
結論を出すことをゴールにはしません。
強いて言うならば、身近なこととして考え続けることが目的です。

○5月のテーマ
同性婚訴訟、レインボーパレードにちなみ、セクシャリティ、家族を取り上げます。「基本的な知識が知りたい」「興味はあるけど周りとの会話で話題にしづらい」「なんとなくもやもやしていて」という方、ぜひこの機会を活用ください。

 

私の考察や所感、ということなのですが、率直な感想は、「難しいことしようとしてるな」と「ジュン・チャンらしいな」と「行動に移していてすごい」、のあたりでした。言葉にすると。

難しいことしようとしてるな、というのは、ジュン・チャン自身が分かった上で企画していると思うので改めて言うことでもないけど、その場にいる人を過度に傷つけないかたちでなにかしらの話し合いをすると言うのは、ホスト役の手腕に依る部分が大きいだろうな、と思うからです。というともしかしたらジュン・チャンは、自分はホスト役だったり司会といった、積極的に議論を回す役割をするつもりはないかもしれないのかな、とも思ったりするのですが(これまでのジュン・チャンや白米の感じを見てそう類推しています)、今回の場合はそうもいかなそうかな、と。来る人の背景がバラバラななかで、もし意見の対立が生じた際にどう場を作るのか、というのが難しそうだし、でも同時にそういうのがジュン・チャンの目指すところなのかな。

私は意見の対立を見ているのが割としんどいタイプで、これはもう体質みたいなものかな、例えばイベントや演劇なんかのディスカッションとか質疑応答とかアフタートークも苦手で帰っちゃう方なので、その意味でジュン・チャンの企画にバイアス無しでの感想を言うことができないです。ごめん。対立というか、対話から生まれるものが多くあることは知っているんだけど。時に対立を恐れずに主張すべきことがあるのも分かっているんだけど。あの、言葉と言葉が噛み合わない瞬間の居心地の悪さに耐えられなくて。分かってもらいたい、分かられない、分かりあえないということにナイーブすぎるのかもしれない。

その意味で、これは皮肉でもなんでもなく言うのですが、ジュン・チャンの、ちゃんと発信してちゃんと(もし噛み合わなくても)対話から逃げない姿勢は、私にはぜんぜん無いもので、「ジュン・チャンらしいな」「行動に移していてすごい」も本音です。私にはできないことをできてすごい、って褒め方は、字義通りに読むとそれこそなんだか皮肉めいてしまうんだけど、そうではなくて。ジュン・チャンだからできることだな、と思っています。
実り多き集まりになりますように!

追伸:先日往復書簡LINEで話したピルですが、医者からOKをもらったのでどうも飲めそうです。やったー。生理の重さを呪うとき女に生まれた自分も呪ってしまい非常にドロドロとした怨念に飲み込まれるので、まあ怨念は消えないにせよ少しでも月経に関する諸問題から解放されたいと願うばかりです。

第七便の観測

f:id:takta89my:20210524110349j:plain
ひらちゃんです。
2カ月の御暇をしていました。


というのは半分嘘で、もう半分は転職先での仕事が始まったこと、及び希望的な意味でも絶望としても出ると思っていなかったこの緊急事態宣言に心底振り回されていたというのが正しい。だってさ、宣言出る直前に引っ越しの契約しかかってたんだよ、もうあと不動産屋に書類送るだけだったんだよ(解約させてもらった、不動産屋さんごめん)。あまり政府がどうにかしてくれるとは思えなくなってきつつあるところ、宣言が出されるとオットの仕事量(つまり、我が家の収入)にダイレクトに響くので、本当に今私はお国がこわい。

写真は葛西臨海公園の親子鴨で、子鴨の移動スピードのヤバさに引いた、あいつらめっちゃ速い。そんなふうにとにかく休日は都内をほっつき歩き回っていた。

ここのことをほんとうにただ観察するだけになっていて、犬氏及び姪っ子氏をいつくしむ気持ちがまぶしい。
犬飼いたい。
ペット可物件に引っ越したい、できれば2DK以上駅徒歩15分以内で。
思い返すときのことを思える生活だなんて!
責任を持ちたい。いや、そんなことをしなくたって責任をもって仕事とかやるべきなんだけど。

一年以上前の緊急事態宣言を契機にこの会えない生活が始まったのだというのに、なんだかあんまり前に進んでいる気がしないでいる。作り出すことが前に進むことだと仮定したらジュン・チャンの政治活動の試みはすごく賢明で懸命、なんせ乱世で自分が否定されることが多いと他人のことも否定していいような気持ちになってしまう人がたくさんいると思うので。自分自身が種の保存に資しているなんて気持ち悪いことを思わせられてたまるか。先週28歳になって、20歳の時の自分の予定ではもう子供を産んでいるつもりでいて、まだ私は毎月ヤーズフレックスのお世話になりながら卵子を卵巣に押しとどめている状態なので腰の怠くなるようながっかり感、といってジャンヌダルクでもなし、静かにベッドに腰かけています、とはいえそう、個人的なことを公に絡めとられるのはタカシナが言う通り真っ平御免、トランスかどうかで分断されるのも御免、この意味では私に当事者性はないけれど次が私の番じゃないとどうして言えるんだ。



ギャラリーだったり文学フリマだったり、外に出られない日々といえど表現を伝えるという意味での「外」に半身を出していくのが、絡めとられない方法のように見えます。
そしてそれは全然軽やかじゃないのだね。
その軽やかじゃなさを祝いたい。

ジュン・チャンから課題図書と言われていた『夏物語』をようやっと読む。
そういえば『乳と卵』は持っていた。

文章を書くことも夢を見ることも彼らはするけれど、巻子の豊胸手術も、夏子の子が欲しいのことも、クリニックなり体験者なりに「話しに行くこと」でしか話が転がらない。調べて、チャレンジして、行動して、やっと地団駄踏む資格が与えられるんだなと諒解する。ついでにチェイサーとして遂に完結したよしながふみ『大奥』を読んでみたらチェイサーにならなくてダブルパンチで転げた。
地団駄を踏みに行こう。


第七便 返信

ジュン・チャンです。こちらは雨が続いています。止んだかと思うとスコールみたいに降る瞬間もある。湿った土の匂いが立ち込める。今年も梅雨が巡ってきた。蒸し暑い日もあり、おでこに前髪がかかる時の不快度数が高まってきた。髪切りたい、刈り上げたい、デコ出したい。

本当にきた犬スペシャル。大切なもの、愛おしいものを語る時の人間は、本当に生き生きしている。最後の部分はゲラゲラ笑いながら読んだ。破壊神やん。犬、めちゃくちゃ元気なのが伝わってきたよ。文章なのに笑いが止まらなかった。数年前、京都へ遊びに来たタカシナに「純恋歌の歌詞がヤバい」と熱弁された時も、僕は混み合うバスの中で耐え切れず爆笑したのを思い出した。腹筋が割れるかと思った。

 

大切なもの、愛おしいもの、繋がりで、僕は姪っ子の話をしようと思う。

タカシナも知っての通り、僕らが大学生の時に姪っ子は生まれた。身内がいない東京で、姉は一人出産した。立ち会うことはできなかったけれど、生まれてすぐ病院に駆け付けた。今思えば、自分は身内代表だった。少しドキドキしながら部屋に行くと、ふにゃふにゃちっちゃい生き物が眠っていた。姉から抱き取った時、柔らかいなんてもんでない、ふにゃふにゃして軽い、形もはっきりしないような、とても頼りない感覚がした。ここまで当時を思い出しながら打っているが、泣けてきた。寄る歳の波を感じるね。東京にいる間は定期的に姉宅へ行き、成長過程を見守っていた。今思えば、就活や卒論、バイトがある中で、よく行っていたなあと思う。それも姪っ子が大切な存在だったからだと思う。

でも、なんで姪っ子をこんなに大切に思うのか、正直わからない。僕は自分の家族を大して大事には思っていない。むしろ、物理的に距離を取ることで、関係を保っている。ましてや姉のことは、好きでも嫌いでもない。一時期は、自分が子どもを産む気がない分、姉が孫を産んでくれたから、との理由も考えた。時間が経ち、今ではそんな打算的なものとも違うような気がしている。幸いにも、姪っ子について疎ましいと感じる程近くにいないから、ただ大切に思えるのかなあとも考え得る。まあともかく、家族、血縁に執着のない自分が、理由もわからず姪っ子を大事に思うのが、不思議で仕方がない。

姪っ子が生まれてから、彼女が生きる10年先、20年先、自分がこの世を去った後の世の中が、今よりマシになっているように、と思うようになった。姪っ子が生まれたから働こうと思ったし、今の仕事を選ぶに至った。依存的な考えだけど、彼女と出会わなければ、今の僕はなかっただろう。

姪っ子の未来を考えるようになり、昔に比べると生きることに前向きさが湧いてきたわけだが、磯野先生と宮野先生の往復書簡をもとにした著書『急に具合が悪くなる』にも触れよう。本書の「9便 世界を抜けてラインを描け!」で、宮野先生は三木清という哲学者の論を引用し、次のように述べている。

[「受取感情をどれほど遠い未来に延ばし得るか」と三木は言います。死に運命付けられ、消滅するだけの点であっても、世界に産み落とされた以上、その受取勘定を、自分を超えた先の未来に託すことができる。一人の打算ではなく、多くの点たちが降り立つ世界を想像し、遠い未来を思いやること、そのとき、私たちは初めてこの世界に参加し、ラインを引き、生きていくことができるのではないでしょうか。(P200)]

自分が死んだその先に、自分の言葉や行動を届けられるか。この論を読んだ時、そして磯野先生の講義で触れられた時、自分のなかで何かが定まった気がした。

実は僕が連休前に送った山脇益美詩集『朝見に行くよ』でも、未来に向けた決意、覚悟が書かれている。あとがきにあたる「泡の生まれた」の一節。

[この詩集は個人的なひとつの時代をパッケージしたのと同時に、100年先に届きたい気持ちを込めてつくりました。海みたいに、風みたいに、雨みたいに。夕暮れみたいに、朝焼けみたいに、音楽みたいに、コップ一杯の水みたいに、わたしの詩があなたの人生の透き間に沁みていくことを想像します。(P72)]

100年先へ届ける覚悟に打たれると同時に、[人生の透き間に沁みていく]と言い表わすしなやかさに、心震えた。だいたい読み物はまえがき、あとがきから読んでしまうタイプなんだけど、例に漏れず『朝見に行くよ』もあとがきから読んだ。あとがきだけでガツンッと流れに引き摺り込まれた。あの感覚はなかなか味わえない。綺麗な言葉を並べただけじゃ生まれない。未来へ届ける覚悟をして、研ぎ澄まさないと編み出せないものだ。

 

そうそう、電話で話したかもしれないけれど、昨年から今現在まで色々あったので、なんとなく名前の鑑定を受けてきた。「若いうちは苦労する、波がある」と言われ、「納得しかないけどまだ苦労すんのかよ」と内心思った。でも、「姪っ子との繋がりが深い。晩年も彼女が面倒を見る」と言われた。前半の散々な予測に比べて、たったそれだけのことなのに、心がじんわりした。最期姪っ子に看取ってもらえるなんて、僕にとっては贅沢な話。結果オーライ、終わりよければ全て良し。姪っ子の生きる社会が今よりマシであるように、地道にできることをしていきたい。仕事も、白米炊けた。も、今を生きる僕が未来に向けてできることであり、やるべきことだ。

 

ところで、次の話。今月、対話企画『揺らぐin別府』というのを始動する。初回のテーマは同性婚訴訟、レインボーパレードから、セクシャリティ、家族を取り上げる。もしよかったら、このテーマについて、タカシナの考察や所感など聞いてみたい。気が向いたらよろしく頼む。

 

【蛇足】どの作品か忘れたけど、ヤマシタトモコの短編で、ゲイの叔父が姉の産んだ主人公を可愛がっていた、という話を読んだことがある。高校生か大学生か、そんくらいの時期だけど、理由も分からず泣いたのを覚えている。

 

【参考】磯野真穂、宮野真生子『急に具合が悪くなる』

https://www.shobunsha.co.jp/?p=5493

山脇益美詩集『朝見に行くよ』

https://booth.pm/ja/items/2145838