次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十二便

寒さに体が全く付いていかない。早く春になれと怨嗟の声を上げる毎日。そんなわけで返信が滞って申し訳ない。

ジュン・チャンの前回の返信で私が印象に残ったのはこの部分でした。思えば私達は何度もこういう話をしている気がします。

ちなみに僕は最近、このマジョリティとかマイノリティとかいうのにもしっくりこない感覚を抱いている。いわゆるマイノリティに分類される中でも、さらにその中で対立や力関係が働き、マイノリティの中にもさらに細分化されてマイノリティがいるような感じがするからだ。 また、僕自身が社会的にはマジョリティでありながら、性自認性的指向についてはマイノリティに位置する、複数の立場(この言葉が適切か悩ましいが)を持つからだろうけど。 かと言って、自分がどの立場の代表とも思わない。僕はただ、僕なんである。同じように、タカシナもタカシナである。個人のぼやっとした生きづらさの話を、もっとしやすい社会だといいのになあ。

第十一便 返信 - 次に呑む日まで

この話を聞いて私が想起したのが、最近某所で習った「インターセクショナリティ」という考え方で、この概念に対し私の理解がまだ十全ではないだろうことも合わせて以下の記事から特に話題と合致するように思える部分を引用します。

インターセクショナリティ=交差性という言葉から、それぞれ個別の2種類の差別がたまたま交わっている、というようなイメージを持たれるかもしれません。人種差別という道路と女性差別という道路があって、交差点には両方の差別に関係する黒人女性がいる、というように。でもこれは少し誤解を招きます。バラバラの二種類の差別を両方経験する人がいる、という話でありません。性差別、人種差別だけでなく、階級、貧富、障がいセクシュアリティといったマイノリティ属性のチェックボックスに、たくさんチェックがついている人はより差別されていますね、ということを言うために「インターセクショナリティ」を考えるのではないのです。

前述のクレンショーも「インターセクショナリティは足し算の問題と考えられがちだが、2つの差別の合計ではない」とはっきり指摘しています。たとえば、黒人女性は、黒人として差別され、それに加えて女性としても差別されるのではなく、黒人女性としての差別を経験するのです。これがインターセクショナルな経験です。

つまりインターセクショナリティは、差別を均一化し、簡略化することの危険性を指摘する言葉でもあります。同じ女性同士、あるいは同じ黒人同士ではあっても、差別の経験がまったくちがうことがあるのだ、という認識を前提に、私たちの社会が構造として何を中心に置き、何を軽視したり後回しにしたりしているかを考えることが、インターセクショナルな視点を持つ出発点となるのです。

 

フェミニズムに(も)「インターセクショナル」な視点が必要な理由。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.5】 | Vogue Japan

複数のマイノリティ属性が同一人物に重なっていたとしてそれは足し算として数えるのでも、マイノリティ性のチェックボックスをより多く埋める/埋めないの話でもない。

私個人はこの話から、個別に相対している現実は個別に違うのだ、ということを強く感じた。当たり前のことだけど忘れがちでもあること。だから、例えば私やジュン・チャンを例にとっても、自分がどんな人間か、どんな問題と向き合わされているか、そうした「個人」の「個別」の話は実はとても長くて、豊かで、ややこしい語りになるんじゃないかな。そしてそうならない人は、本当はいないのかもしれない。

その「とても長くて、豊かで、ややこしい語り」は普段簡単に開示されるものではない。その分、時と人を選んでそれが語られるとき、特に私の場合は否応なしに普段より隅々まで行き届いた理解を求めてしまうのかもしれない。言葉の隙間や沈黙の奥にあるものを理解してほしいし、誤魔化すような曖昧な笑いが必ずしも心から笑いたくて出ているものではないと分かってほしい。それはある種の我儘と分かってはいる。

ジュン・チャンが前便で指摘した通り、「完全な理解」を求める自分に対しては、私自身、そんなものは存在しないのだから望むのはやめなさい、と自分で自分を律するトーンでいる。今までも、完全な理解は無くてもありがたい寄り添いはたくさんもらって、そうして生きてきた。それなのになぜ、「完全な理解」なんてものを求めてしまうのだろう。

少し前に、自分で書いているほうのブログに『私の話』という記事を書いた。一言で言えば身体障害者の両親を持つ自分がどういう経験をしてきたか、という話なのだが、なんでわざわざそんな話をインターネットの海にいまさら流す気持ちになったかと言えば、

固有の経験として、自分のアイデンティティに無視できないレベルであるものを、私は今のところ妹としか共有できない。

私の話 - 祈りにも似て

これに尽きる。「CODA」「きょうだい児」「ヤングケアラー」といった名称を見る度、それぞれに違った苦しみがあるだろうという気持ちになる。同時に、「私達」もきっとこの世にはたくさんいるはずだけれども、名前が無いから語り合えない、とも。もちろん、似た立場だから分かり合えるなどというのは上にも書いた通りの傲慢なのだが、一方で、私はもしもそういう人がいたならば話してみたいと思う気持ちも捨てられない。そこに「完全な理解」があるとは思わない。ただ、きっと言葉が通じるまでに必要な抵抗値のようなものが、低いのではないかと期待してしまう。なめらかに、わかりあえるのではないかと夢想してしまうのだ。

と、いうような、両親の例を取って書いてはみたが、結局のところ「完璧な理解」などないと頭では理解していてもどこかでそれを諦めきれていない自分のどうしようもなさというところに話は帰結する。私は、私が固有に相対してきた現実とそこにあったものを誰かに分かってほしいと思ったままここまで来てしまっているのだと思う。その気持ちがどこからきているのかは、自分でもよく分からない。

ジュン・チャンが前回最後に書いていた、時を置いてみての同じテーマでの返信、というものにこれはなっているだろうか。何分寒いので自分の書くものに自身が無い。勢いが大事だしそこからどう対話するかがこの書簡のキモですので、送りつけるね。

大分と東京の寒さはどう違うんでしょう。早く春にならないかな。ご自愛くださいな。


第十一便 返信

 

第十便を記念したラジオからあっという間に1ヶ月が経ち、季節も流石に移ろったところ。

すっかり秋にやられて、毎日眠いジュン・チャンです。あと、肌がカサカサしてきた。ベビーワセリン塗りたくってる。タカシナは乾燥大丈夫?

あ、まだ十便記念ラジオはアーカイブ視聴できます。BGM代わりにどうぞ。

 

先日海辺からタカシナに電話した通り、公の仕事の方でちょっとあり、気持ちを落ち着けるのに1週間、冷静に情報収集して選択肢を考えるのに、さらに1週間を要した。今は少し余裕が出てきた。そんなこんなで返信が遅くなってしまったし、あまり深い文章は今まとめられないしで申し訳ない。

ちなみに、この10月の出来事を、兄貴分でもある(石榴の花が咲いてる。)主宰の中野さんに話したら、「なに今年も厄年なの?」と言われた。毎年10月11月ってダメなんだよねえ。秋は好きなんだけど。自分で思う以上に減速しないとダメな時期なのだろうね。コロナが落ち着いてイベントや人の出も増えているから、余計に疲れる。

さて、タカシナは第十一便で「分かり合う/分かり合えない」をラジオの話題から取り上げてくれた訳だが、そのなかで僕が強く惹かれたのは以下の部分だった。

「分かり合う/分かり合えない」の話が私にとって根深いのは、私自身が「完璧な理解など存在しない」「共感や自分の立場への引き寄せによる理解にも限界がある」とよくよく分かっていて、それでも、自分にとって大切な話であればあるほどそれを相手にできるだけ完璧に分かってほしい、と思ってしまう、そのどうしようもなさだと思う

タカシナのトーンは自分を責めるような、律するような感じなのかなあと思った。実はこの文章も、視座の入れ替えが前半と後半で生じている。ただ、「〜と思ってしまうどうしようもなさ」この表現が全てを表しているようにも思う。何を以て「分かった」「理解した」なんて基準も正解もない。分かったフリをして共感ぶったりしないようにしかできないのかもしれない。

何かの言葉や分類で、個人の属性や状態を括った時に、その個別性が無視されやすくなる、という指摘があったと思う。例えば精神疾患発達障害、性的マイノリティ等のラベリングが挙げられるだろう。タカシナは第十一便で、自身がマジョリティの立場に位置することにも言及していたね。

ちなみに僕は最近、このマジョリティとかマイノリティとかいうのにもしっくりこない感覚を抱いている。いわゆるマイノリティに分類される中でも、さらにその中で対立や力関係が働き、マイノリティの中にもさらに細分化されてマイノリティがいるような感じがするからだ。

また、僕自身が社会的にはマジョリティでありながら、性自認性的指向についてはマイノリティに位置する、複数の立場(この言葉が適切か悩ましいが)を持つからだろうけど。

かと言って、自分がどの立場の代表とも思わない。僕はただ、僕なんである。同じように、タカシナもタカシナである。個人のぼやっとした生きづらさの話を、もっとしやすい社会だといいのになあ。

僕らは基本、自分の経験や価値観で物事を見聞きし、判断する。だからこそ、学問や他者との対話により、補正をしていくんじゃないかと、僕は考えた。

 

タカシナは1ヶ月経って、どう考えたのかなあ。もしよかったら同じテーマで返信ちょうだいな。

頭ポヤポヤな文章でごめんね。なんか軽いけど、今はちょっとこんくらいの出力が限界みたい。

 

晴れた空に、橙の柿が綺麗だよ。八百屋で柿とあんぽ柿の両方を買っちゃった。最近は蜜柑も出回ってきた。ゆっくりのんびり、秋を過ごしたい。

第十一便

タカシナです。
今日のお昼ごろから、この往復書簡が十回目を迎えたことを記念して、ふたりで喋る配信をしました。

配信は上のURLからアーカイブとしてお聞きいただけます。ジュン・チャン、提案から何からありがとう。楽しい経験でした。
途中私の声が途切れたりしてお聞き苦しいところもありますが、よろしければ。

余談ですが、最近ようやくラジオを流し聞きしながら何かをする、ということができるようになってきました。考え事や読書のときに頭の中に言葉が声になって響くタイプの人間なので勉強や読書にはBGMを付けられないんですが、逆に言うと考え事をしない作業のお供なら音声情報が入ってきても平気なんですね。自分はラジオというものが苦手な人間だと残念に思ってきたので、付き合い方が分かってきて嬉しいです。生きていると変化ってあるものですね。余談終わり。

その配信中、「分かり合う/分かり合えない」というテーマから、ジュン・チャンの第九便での「どうやったら自分事として考える人が増えるのか」という問いかけに対して、私は根本的に共感からくる分かり合いを信用していないのかもしれない、というような話をした。
配信終わりにジュン・チャンと観測のひらちゃんからも指摘されたのだが、このことに関して私自身配信のなかではうまく話しきれずに終わっていたと思う。もう少し掘り下げて考えてみたい。

共感からくる分かり合いを私が信頼していないのは、配信でも話したように、共感には限界があると思うからだ。
限界とは例えば、共感できる出来事にだけ心を寄せるのでは、問題解決の手からこぼれ落ちる存在が出てくるだろうということ。共感しづらい物事のなかにも、解決されるべきものは多くあると思う。それから、共感するときに起きてしまう変容。自分の経験や状況からは遠く、簡単には共感が難しい事象に対して、自分のことに引き寄せて理解しようとする手法、それ自体はある程度有効だと思う。実際私もそのようにして物事を理解しようとすることが多くあると自覚している。しかし、そのようにして得られた理解は、理解のための引き寄せの時点で元々の経験それ自体からは変容した別物となっているだろう。ジュン・チャンが指摘したように、完全な客観的理解など存在せず聞き手の主観は必ず入る、であるからその程度の変容は許容すべきだろうか。

第九便の返信の、以下の部分で私は今書いたような話をしようとしている。ただ、ジュン・チャンの企画に対してのコメントという形で書いたこともあって、自分の立ち位置やどの程度まで踏み込んで話していいか、迷いながら描いた覚えがある。そのせいか、後から読み返してみると話し手である自分の視点がぐらついていて主語の分かりづらい、意味の取りづらい文章になってしまっている。そうした反省を踏まえてもう一度このことについて考えてみたい。

ずっと、たまたまそう生まれただけで割合からマイノリティと呼ばれ、権利を得るためには声を上げ立ち上がり社会を動かさなければならない、というのはしんどいし不平等だと思ってきた。自分のことというよりはもっと広い意味で(そもそも私はどうあれ「当事者」でなくマジョリティでは?とも思う、のでこの語り方が正しいのかもあまり自信がない)。本当はそんなことしなくていいはずだしそんなことしなくていい社会にさっさとなればいいのになかなかそうはならない。人一倍頑張らなければ文字通り生きてゆけなくて、その様を見てそうでない人たちは石を投げるか、さもなくば感動の涙を流したりする。それって同じ高さの地平に立った同じ尊厳のある存在への扱いなんだろうか。

それでも、世の中がそういう不平等で溢れているときにただ黙っているだけだと現状を追認していることになる。「あなたには分からない」と言いながらも本当は分かってほしい、それはそう。でも本当に全部分かるのは無理だろうとも思うし全部分かったと言われたらそれはそれでこちらのプライドが多分許さない。同じ経験なんてお互い絶対無理なのに、100%分かるのは無理でしょ、と思う。 だから、相手と7割くらい分かり合えたらそれでいい、というところで止める力、さっき言った胆力みたいなもの、それが必要なのかなあとも思う。これはジュン・チャンの投げてくれた「どうやったら自分事として考える人が増えるのか」の答えにはあまりなってないね。申し訳ない。

第九便 返信 - 次に呑む日まで

これを書いた時の思考の流れについて思い出してみると、色々と見えてくるものがある。
まず初めに「自分のことというよりはもっと広い意味で(そもそも私はどうあれ「当事者」でなくマジョリティでは?とも思う(後略)」と書いているが、これは言葉通りの意味の他にある種の予防線としての意味も持たせている。書き手である自身の立ち位置を当事者でなく客観的第三者だとはっきり言っておきたかったのだ。
その姿勢は、前段終わりの「……それって同じ高さの地平に立った同じ尊厳のある存在への扱いなんだろうか」まではかろうじてではあるが保たれているように思う。
しかし後段の、「『あなたには分からない』と言いながらも本当は分かってほしい、それはそう。でも本当に全部分かるのは無理だろうとも思うし全部分かったと言われたらそれはそれでこちらのプライドが多分許さない。同じ経験なんてお互い絶対無理なのに、100%分かるのは無理でしょ、と思う。(後略)」という部分では、完全に客観的第三者の意見ではなく、自分の気持ちの吐露となっている。前段と後段で、書き手の立ち位置そのものが客観から主観へと変わってしまっているのだ。
なぜこのようなねじれが起こったのか。

私は、自分の意見をマイノリティ当事者のものとして表出するのは違うと思っている。例えばセクシャリティで言えば私はシスヘテロでありその意味でど真ん中マジョリティだ。自身の女性性への折り合いが付いていないとしても、それでもマイノリティとして目に見えて苦しい思いをしたわけではない自分がそれを大きな声で当事者性として言うのは、本来の当事者への簒奪のように思える。それが前段の、客観的な立場からの怒りの表明を行おうという姿勢に繋がっている。
けれど、確かに生きづらさがある。分かってもらえないというような気持ちがある。その気持ちが素直に出てしまったのが後段だ。
「『あなたには分からない』と言いながらも本当は分かってほしい、それはそう。でも本当に全部分かるのは無理だろうとも思うし全部分かったと言われたらそれはそれでこちらのプライドが多分許さない。同じ経験なんてお互い絶対無理なのに、100%分かるのは無理でしょ、と思う。」
これが私の本音であると思う。

「分かり合う/分かり合えない」の話が私にとって根深いのは、私自身が「完璧な理解など存在しない」「共感や自分の立場への引き寄せによる理解にも限界がある」とよくよく分かっていて、それでも、自分にとって大切な話であればあるほどそれを相手にできるだけ完璧に分かってほしい、と思ってしまう、そのどうしようもなさだと思う。
完璧な理解など不可能だと分かっているから、他人と相対するときには相手の全てを分かったりできないということを強く意識する。そのようにしてしか守られない尊厳があると思っている。その延長線上に、「私が当事者を名乗って意見を表すことをしたくない」の気持ちもある。私には理解できない苦しみを、私の例に引き寄せて語り矮小化するようで嫌なのだ。
その一方で、理解されたいという気持ちもある。私は傷ついたり怒ったりしているのかもしれない。何に対してかは分からない。ただ、そうした気持ちをもし誰かに話すなら、気持ちをそのまま分かってほしいと思ってしまう。
これは大いなる我儘で、思い上がりで、依存で、つまりよろしくない欲求だ。以前カウンセリングというものに通ったときも、理解されたと思う瞬間は決して多くは無かった。求めすぎ、期待し過ぎなのだと思う。健全な程度の欲求に留めたいし、自分の中にこんな欲求があること自体直視したくはなかった。けれど今日の配信の中でもそういう話はしたし、結局「分かり合う/分かり合えない」」の話の行きつく先はここなのだと思う。

とはいえまあ、そういう自分とも折り合いをつけてやってはいる。こうして何かを書くことも、人と話すことも、それを通じて他人のもたらしてくれる気付きで私自身が私のことをより理解していく。自分の内側のことなんて覗き込みすぎると気が滅入る、というような意見もあるが、私は自分を苦しめたり怖がらせたりしているものの正体が知りたい。結局のところ私の悩みは私だけのもので、それはもうどうしようもなく、しかし理解されないとしても私の悩みが私のものであることは、救いである。

配信の余韻が残っているうちに書いてしまおうと思ったら、あまり制御の効いていない文章になってしまいました。内省録じゃんみたいな。ごめんよ。
お返事、好きなように書いてください。気長に。
季節の変わり目なのでサバイブ第一に、ご自愛ください。

第十便 返信

 

ご無沙汰、ジュン・チャンです。

8月は蒸し暑い日が続くと思ったら、秋雨前線で急に涼しくなり、また暑さが戻って、と極端な天気が続いた。涼しい時には冷房もいらなかった。地元青森の夏のようだったよ。西に来てこんな8月ははじめてだった。

8月は磯野真穂先生の『聞く力を伸ばす』(https://filtr.stores.jp/items/60476b45c19c45157e9f75a4)を受講し、課題もあってそっちに注力していて、返信が遅くなってしまった。

そういえばコロナ関連だと、大分も8月は200人超の陽性者が出て、時短営業やらなんやらなっていた。今は落ち着いてきたけれど、身近に迫っている感覚があって、いつ自分がなってもおかしくないし、仕事関連で出ないかと、ザワザワしながら過ごしている。

 

ついにこれまでもちょこちょこ出てきていた、生理やらピルやらの話題になったね。我々は生理最中・前後の影響が大きい方だから、最もっちゃ最もなんだけど。ただ、それだけではない影響も色濃く受けざるを得なかった面もあるわけで、タカシナがそこを吐露してくれた訳だ。

正直、返信にすごく悩んだ。何度も何度もタカシナの書いた第十便を読んだ。後半でルッキズムの連続講座の話題になったのは、生理というものが「女性」という身体を強く意識させるものだからだろうな、と僕は受け取った。

というか、僕はそうだった。自分は女でも男でもないと認識しているのに、毎月生理がくることで、女であることを突きつけられているような気がして、益々自分が嫌になってしまっていた。学生時代、思い詰め過ぎて3ヶ月生理が来なかった時がある。婦人科に行ったけど、異常なしだった。その時に受診した婦人科で、医師から「ちゃんと妊娠できるから大丈夫よ」と言われたことがすごくショックだったのを覚えている。何も言い返せず終わったけれど。患者の性自認やどう生きたいかはそれぞれである、という意識のない医師が多いことを、社会人になって受診した婦人科でも感じた。医療とある価値観(産めよ育てよ、家父長制)が結びついているのを感じて嫌になるし、何より自分みたいな存在が想定されていないことに、疎外感を覚える。今お世話になっている主治医は、そんなことは言わないので安心して行っている。

 

働いていてつくづく思うが、資本主義と生理がくる体は相性が悪いのではないかと思う。タカシナが指摘していたように、ピルを飲んだからって、全ての生理前・最中の症状がなくなるわけではない。改善はされるが、生理前の情緒不安定さや、最中の痛み、怠さは飲んでいてもある。それでも消えたくなったり、急に涙が出たりすることはなくなったし、痛みで話せないこともなくなった。でも、フルタイムで働き、時にはやらざるを得ない残業をしながらこの身体と付き合うのは、今でもしんどい時がある。かと言って転職するというのも違う話な気がする。いつまで今の働き方ができるのか、不安になる。低容量ピルを飲み始めた最初の数年は、自分の体質に合う種類に当たるまで3〜4種類は試したし、薬価を考えると早く飲むのをやめたいとも思った。そのことで、さらに自分の身体が嫌になったもんだった。今では生理用品や低容量ピルへのアクセス・負担金額も、自分が生理のくる身体で産まれたから強いられるのが悪いのではなく、仕組みの問題であると理解している。薬価も割り切った。

この間、ひとまわり年下の友人が「早く(生理)あがってほしい」と言っていて吹き出してしまったが、しかし激しく同意したのであった。

生理にまつわること、もっと学校教育の中で知識付与してほしいが、単純に生理だけではなく、性自認や働き方といった、広いテーマと結び付けて考える機会を作ってほしい。性教育だけで終わる話じゃないと思うんだ。この辺り、YouTubeで取り組まれる専門家が現れたのは、希望だな。

 

服装とか化粧とか、僕らはあまりにも見た目で人を判断するのが好きだなあと思う。どれだけ注意していても、相手の見た目で何かを判断しようとしてしまう。ちなみに僕は化粧をやめた。もともと就活までしないで過ごしていたけど。好きだからリップやフットネイルはする。眉はたまに鋏で整える。ワンピースにレギンスや、ワイドパンツを好む。冬から春はmen's FUDGEがお手本、大好き。髪型はタカシナもご存知の通り、年々短さが増し増しになっている。自分のお気に入りの格好ができる今が、めちゃくちゃ楽しい。そこに女らしさや男らしさはなく、ただただ自分が好きか、気に入っているかがある。この手のこと、はじめて言葉にしたかもしれない。我ながら清々しいや。

 

タカシナは[世の中のことを書くのを避けた結果自分の話ばかりになってしまった。]と第十便の最後に述べていたけれど、個人的なことこそ、世の中に繋がっていると僕は思う。前述した医療従事者が想定する患者像や、生理用品・低容量ピルの個人負担は、個人的なことに見えて、実は大きな枠組みの問題だ。もっと言えば、フェミニズムの思想然り。歴史学で個人の証言が扱われるようになったこと然り。

コロナがさらなる炙り出しを見せた政治の脆弱性に対して、正直徒労感しか感じないのだが、未来に向けてできることは地味でもやっていきたい。ここにこうして書いておくことも、確かな行動の一歩だと願いたい。

 

久々に長めの文章を書いた気がする。LINEでも話していたけど、我々が対面で会って呑み食いできるのはいつになるんだろう。最近はあんまり飲酒もしなくなったから、ランチでタイ料理食べながらビール呑むくらいからやっていきたいな。打ってたら涎出てきた。タカシナとご飯が食べたいなあ。

 

第十便

こんばんは。タカシナです。随分間があいてしまいごめんなさい。
東京の感染者数と私のメンタル健康度合いは反比例の関係にあるので、最近はずっと鉛の塊が胃のなかにあるような気分で過ごしています。元来怖がりの心配性で最悪の事態を想定するタイプなので、自分や家族がもし体調を崩したりしても適切な医療にアクセスできないであろうという現在の状況はかなりこう、くるものがあります。昨年末も同じような感じだったのですが、今回は緊急事態宣言が出ても感染状況が良くなる兆しが一向にない(そもそもこれまで効き目があったこと自体不思議な感もありますが)ので、なんともはやです。
そちらはいかがお過ごしでしょうか。

第九便の返信で、生理が重いのでピルを飲み始め、その後なんやかやあってピルは体質的に飲めないということになり、今は医師の提案で別のホルモン薬を飲んでいる、という経過を報告したように思う。PMSには効かないし不正出血が多くピルほど使い勝手は良くない薬だが、飲み始めて二か月、身体が慣れてきたのか生理がほぼ無くなってきて身体はかなり楽になった。

鬱時期の過食がたたって過体重だった時期が長かったせいでずっとピルが飲めなかった(肥満はピルの禁忌にあたる)ため、私の中ではピルさえ飲めれば生理から解放されるという思いがずっとあった。しかし今回試してみて、誰でも飲める魔法の薬というわけではないことを知った。そもそも周りのピルユーザーに聞いてみても、きちんと服用していても調子が悪い時には重めの生理が来る人もいるらしく、生理からの完全な開放は遠いのか……となにか暗澹たる気持ちにもなる。結構前、堀江貴文の本の帯に「低用量ピルで女性の働き方改革」という提言があって(リプロダクティブヘルス……)とモヤっとしたのだが、改めて、ピルを飲めば解決!とは言い切れなかったり、そもそも重い軽いから始まってあまりに各個人で経験しているものの違いが大きすぎて、生理についての話し合いは難しいよなあ、と思う。

私の生理が重いのは、毎年検診を受けてそのたび特に悪いところがあるわけでは無いので「体質」という結論になっていて、こんなんマジで生まれつきの運でしかないじゃん……と思う。しかし、生まれつきの運で決まる要素なんていくらでもあるのでそこを嘆いても仕方ない。仕方ないが、重たかったころの生理を思うとよくあんなものを毎月耐えていたものだと思う。家族の女性陣は皆生理が重い人たちだったので、自分の生理が病院で相談するに足るほど重いものかもしれないと思い始めたのは、大学生になって周りの女子と生理の話を大っぴらにできるようになってからだった。そのうち何人かが私の話を聞いて心配して病院を勧めてくれなければ自分では婦人科の受診は考え付かなかったと思う。生理とは「そういうもの」だと思っていたからだ。高校のころ貧血で倒れる子や毎月休む子を見ていたので、そこまでではないし、と判断していたところもある。我慢する必要などなかったのだけど。

これまで世間話として複数人の話を聞いてみても、それぞれの語る「生理」像は各々全く違うので、正直「生理がある女性」というくくりは大雑把すぎて機能しないと思う(そもそも生理の来ない女性だっているのだし)。ごく個人的な意見だが、たとえば最近見られる「生理は恥ずべきものではない」という主張に関しては、文脈は分かるけれども私にとっての生理は排泄と性の入り混じった非常に私的なものであるのでやはり恥ずかしいものだという漠然とした拒否感がある。これは、私が生理のたびに改めて自分が女性であると認識せざるを得なくなり、結果自分の女性としての身体を呪ってしまう点とも関わっているので、本当に極個人的な話なのだが。

変えられないものに対して変えたいと思いを募らせても不毛だな、とはずっと思っている。それに、男性になりたい、とは思っていないから、気持ちの行く先もない。ただ自分が女性としての身体を持っていること、その帯びる意味、のようなものが時々非常に疎ましい。そんなだから、ただでさえ生理で具合が悪い時に「生理はやがて妊娠・出産につながる大切なもの」みたいに言われたらきっとマジで殺意を覚えるだろう。生理ってなんかそういう、女体の神秘的な方面からのポジティブな捉えなおしが多く見られてげんなりする。そういう考え方に救われるひともいるのだろうからあまり悪しざまにも言えないけれど。

ところで、ルッキズムについての連続講座を受けてからもう三ヶ月くらい経つ。今の私は極度に社会との接点が少ない生活を送っているので、家族以外の誰かから見た目について言及される機会は無い。自分の見た目については、もっぱら内なる自分との対話が続く日々だ。
「社会はゆっくり変わる、それまでは生き残るための方策を取る」
講座で言われたこの考え方を時々思い出す。

顔が濃いほうなので、以前メイク講座に行った際には「強い顔が似合うからどんどんやるといいよ」と言われた。事実塗れば塗るほど色々と強くなる顔ではあるのだが、しかしこの「強い」という言葉はなんとなく使い心地が悪い。見た目の話に絞っても、「強い女」というものが私の中で、「自信や自尊心に溢れる美」のようなイメージを持っているからだと思う。そしてそこからは、「美こそが強さ(あなたもそうしましょう)」というような、美を全肯定する圧倒的光のメッセージを感じ取ってしまい、なんとなく怖気づくのだ。強い女は好きだけど私がなりたいのはそれなのか分からない。といって対義語的に「弱い女」になりたいわけでもない。美しくなろうと思うのは自分のためだけど、気がつくとそうではないものに巻き取られていそうで、おしゃれをすることはまだなんとなく怖い。

ルッキズム講座の三回目で提示された「メイクやダイエットや整形(美しくなろうとすること)はルッキズムの強化であり加担ではないか」という問い、それに対する応答としての「長期的にみて社会を変えようと考えることと、短期的に自分が処世することを考えたときに処世のほうを否定しないこと、まずはこの社会を生き延びなければならないのだから」という考え方。まさにそうで、とりあえずはこの私で生きていかなければならなくて、そしてこの日々の生活の中に外見を装うことは思い切り突き刺さって抜けないものなのだから、本来は、たとえそれが構造を強化することだとしても、自分の気に入る自分に近づくことになにもそこまでの罪悪感を持たなくてもよいのだろう。

化粧をすると確かに高揚感や楽しさはある。しかし同時に何かを裏切っているような気分にもなる。何かとは何か、女性らしい恰好を頑なに拒否していたころの自分か。薄々気が付いていたことだけどスカートは楽だ。履くだけである程度の恰好をしている体が取れる。髪も、わざわざ限界まで短くしなくても、同じショートヘアなら耳下まであるほうが概ね無難に普通っぽい。そもそもが個性の発露でなく人々に埋没したいという基準でファッションを選んでいるはずなのに、生まれた身体の性を目立たせないための恰好がしたい気持ちがぶつかってきてどうにもちぐはぐな見た目になる。それを何年か繰り返し、それでも髪は短いほうが落ち着くしワンピースを着ているときには女性のコスプレをしているような感覚がある。私はどうしたって女性であるし、自分のことを女性だと思ってもいるのに。

ちなみにものすごく太っている時、鏡を見るとものすごく太っているので自己嫌悪がすごかったが同時に「ここまで太るともう若い女性というカテゴリーから逸脱した違う何かだな」とも思った。早くおばさんになりたいと思っていた時期があり(おばさん、はそれはそれで乱暴なカテゴライズだと今では思っているが)、結局「女性性」みたいなものの外に行きたいだけなのかもしれない。しかし、外に行った先に特に行くあてはないのだ。

世の中のことを書くのを避けた結果自分の話ばかりになってしまった。世の中のことを書くには今の私は怒りすぎていると判断しました。返信しづらい文章で申し訳ない。内容に対する応答でも、そうでなくても、お返事のんびり待っています。
とにかく暑いのでご自愛ください。そうめんばっかり食べている夏です。

第九便 返信

返信がだいぶ遅れてしまってごめんね。
先日電話した折にも話したかもしれないけど、祖母の在宅介護が徐々にハードさを増しております。今は基本的に月の半分、つまり二週間はショートステイで預かってもらうことになっているので、正味大変なのは残りの二週間だけなんだけど、その二週間にイベントが盛りだくさんという感じで、はあこりゃこりゃです。
さらに、ようやく無事に祖母をショートステイに送り出せたと思ったらおそらくそこまでの無理がたたって超ド級の鬱にはまり、ようやく這い出て今です。この状態に鬱と名前がついてそれと付き合い始めてからもう五年くらいになるのかな、だいぶ付き合い方は分かってきたのだけどそれでも今回みたいに大きい波が来るともう台風みたいなもので過ぎるのをじっと待つしかない。
という、返信が遅れたことの言い訳及び近況報告などをして、久々に文章を書く指を温めております。

前回貰ったジュン・チャンからの書簡には『第九便では、上記備忘録を受けて、タカシナが考えたこと、感じたことを聞いてみたい』とあり、返信を書くならここに触れないわけにはいかないだろうと思った。しかし、備忘録の内容に立ち入って具体的なコメントをするというのはどうにも気が進まないな、という気持ちがあり、その件についてジュン・チャンに電話してみたところ、むしろ備忘録についてより『どうやったら自分事として考える人が増えるのか』の部分についての意見が聞きたいとのことだったので、そういうこととして以下を書く。
ちなみになぜ備忘録の中身そのものについて触れるコメントをしたくなかったかというと、イベントのその場で発された言葉にその場にいなかった私が後から何か言う、という構図が嫌だったから。なんというか、その場の雰囲気に担保された安心感から出た発言も多いだろうし。

「その場の雰囲気に担保された安心感」というのは、もっと開いて言えば、「この場所ではなにをいっても頭ごなしに否定されない、正誤で即座に意見を切られない、いったんきちんと聞いてもらえる」というような前提が参加者のなかにあるということだと思う。電話で話したこととも重なるけれど、「自分事として考える人が増える」ために、はじめの一歩としてそういう場が必要だと思い、創り出したジュン・チャンはすごい。
実際、何を言ってもまずは聞いてもらえて、そのあとで客観的なデータや資料を基に現時点で正しいと考えられている事項を示してもらう、そういう場所が必要なのだと思う。そしてそれはその場のオーナーに非常に胆力が要るのだろうな、とも。間違っている、と思ったときどうしても「それは違う」とたくさん言ってしまう私はそう思う。勝負みたいになってしまったら議論は進まないので、そうではなく、過不足の無い指摘、みたいなのが求められるのかなあ。私の苦手とするところです。

間違っているからって相手に悪気があるとは限らない(結果的にアウトプットが差別的表現になっていたりしたらそれは悪気の有無などではなく結果を指摘しなければならないのだけど)し、自分の言うことだって正しいとは言い切れない(どんなに正しくあろうとしても)、と分かっている。それでも誰かと意見を交換するときに、相手から出た意見をいったん受け止めるというのが難しいときもあって、その傾向はテーマが自分と関わりが深いものであればあるほど強い。有り体に言えば、「あなたになにが分かる」「あなたにはなにも分からない」と相手に言いたくなってしまっている状態だと思う。知識として知っているだけのテーマならまだしも、自分にその問題の欠片が刺さっているようなものだと当事者だということを振りかざして閉じこもりたくなるのかもしれない。否定されることはその刺さっている傷口にまた新たな力を加えられるようなことだから。その痛みも実際に感じたことがない人になぜ傷口を触られなければならない?

ずっと、たまたまそう生まれただけで割合からマイノリティと呼ばれ、権利を得るためには声を上げ立ち上がり社会を動かさなければならない、というのはしんどいし不平等だと思ってきた。自分のことというよりはもっと広い意味で(そもそも私はどうあれ「当事者」でなくマジョリティでは?とも思う、のでこの語り方が正しいのかもあまり自信がない)。本当はそんなことしなくていいはずだしそんなことしなくていい社会にさっさとなればいいのになかなかそうはならない。人一倍頑張らなければ文字通り生きてゆけなくて、その様を見てそうでない人たちは石を投げるか、さもなくば感動の涙を流したりする。それって同じ高さの地平に立った同じ尊厳のある存在への扱いなんだろうか。
それでも、世の中がそういう不平等で溢れているときにただ黙っているだけだと現状を追認していることになる。「あなたには分からない」と言いながらも本当は分かってほしい、それはそう。でも本当に全部分かるのは無理だろうとも思うし全部分かったと言われたらそれはそれでこちらのプライドが多分許さない。同じ経験なんてお互い絶対無理なのに、100%分かるのは無理でしょ、と思う。
だから、相手と7割くらい分かり合えたらそれでいい、というところで止める力、さっき言った胆力みたいなもの、それが必要なのかなあとも思う。これはジュン・チャンの投げてくれた「どうやったら自分事として考える人が増えるのか」の答えにはあまりなってないね。申し訳ない。

「自分事」というのはなかなか難しい言葉だな、と思う。ジュン・チャンが電話で言っていた「自分事」というのは、例えば関連するニュースを見かけた時に無関心で聞き流さず、そこから更に自分で調べたり考えたりする、自分の中でそういう存在に特定のトピックを置くことを指すのかな。それはとても大事な姿勢だと思うし、前回の「セクシャリティ、家族」も今回の「沖縄」も、そうした意味で「自分事」と捉える人が増えればもう少し状況が変わりそうだ、そもそも本来はどちらも「他人事」で済ませて住んでいられる国ではないと思う。自分含め。
その一方で、個別具体の経験や思いに、共感による理解をどこまで寄せてよいものか、とも思う。限界はあるだろう。分かりあえて七割かなあ、と。そもそも「揺らぐ」で行われているのが共感による理解だけとも思っていないし、「揺らぐ」を始まりの場としてそれぞれの方が生活の中へ持ち帰ってゆくものこそが目的なのだろうと企画意図を推察してはいますが。
つまり、「揺らぐ」では既に行われていることだろうけれど、完全な理解だとか合意の形成では無くて、今まで疑いもしなかったなにかが少しでも揺らいで、そこから自分事として考える機会が増えるといいのだよね。時間はかかるけど、きっとそのゆらゆらはずっと続くと思うので。初めから思い切りぶん殴られたら反発するけど、揺らされたら、揺れ続けるしかないので。

全然答えにならないうえにまとまらない返信でごめんね。家を出ない生活は心地の良い揺らぎも不快な揺らがせも少ない代わりにゆっくり何かが手の中から零れていくような感じがします。早く大分に行きたいなあと思って、この書簡の終わりが「会って呑む」とこに設定されていたことに気付く。言い出したころにはそんな日が来るのかしら、と思っていたけれど、いつかこの書簡も終わり顔を突き合わせて延長戦をする日が来るんだろうかね。肝臓鍛えておくね。

追伸
ピルは体質的にNGが出て、代わりに生理をほぼ止めるとやらの薬を飲み始めました。一か月経過し、確かに生理がめちゃめちゃ軽い。これは、すごい。すごいし、どうりで同じ性別間でも生理軽い重いで全然違う景色になるし話がなかなか通じ合わないわけです。一日目に何も気にせず夜眠れるなんて!
生理への憎しみって話はそのうちこの書簡でしたいです。今回書こうとしたら入りきらんかった。

第九便

梅雨冷えが続くと思いきや、日中の暑さが強まってきた九州より、ジュン・チャンです。今年も梅干し必須。

 

6月19日に対話企画『揺らぐin別府』2回目を実施したよ。テーマは「沖縄」だったけど、前回の「セクシャリテイ、家族」と比較すると大きな枠組みだったからか、話題はテーマを越えて広がったように思う。

今回は個人的な部分に関わる内容は少なかったから、ザクッとまとめてみた。以下のような感じ。

 

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『揺らぐ in 別府』6月 備忘録

(テーマ) 沖縄

 

沖縄戦の遺骨が混じった土砂で、基地建設の埋め立てをしようとしている国の動き。

・中央からの犠牲。別の国感。北海道も似た感覚ある?

・基地建設が環境問題にも影響。(ex.ヘリポート建設時の赤土流入により珊瑚礁破壊)

・家庭や学校教育の中で知り得た情報よりも、成人してからイベントや勉強会で聞いた情報の方が多い。(ex.教科書やテレビで「ひめゆり」「集団自決」というワードは聞いたことがある/大袈裟太郎)

・九州にきて、終戦記念日に黙祷のサイレンが鳴るのを聞いた。東北ではなかった。

・長崎や広島は原爆投下日の登校日や平和学習により、当事者性を形成しやすい。教育機会によるところも大きいのではないか。

・ある社会的トピックについて、周囲に関心のある人がいると知る機会が増える。

・社会課題について、個人でメッセージを発信する人はいる。大きな動きには発展しづらいのはなぜか。

・ゴールは同じでも、スタンスが違うこともある。普段はないが、選挙の際に衝突が起こることもあった。

・記事を読んでも、難しい言葉の羅列で理解が追いつかない。

・米軍の黒人兵士による性暴力事件→日米地位協定により、日本国内で米軍兵士を裁くことはできない→国としての主権は?

・「黒人」という焦点化も人種差別を匂わせる。アメリカでは、「黒人」というだけで通報されたり、警察に逮捕されたりするリスクが高い。

SNSが絡むことにより、背景を知らないまま乗っかったり、表面上の情報で理解したつもりになったり、批判したりする。(ex.Black Lives Matterは、もともとは植民地時代にまで遡る人種差別の問題から潮流を引いているが、知らずにハッシュタグをつける等)

・自分がそのトピックや出来事を知らなかったことにショックを受ける。

・証言は記録なのか?実際、加齢とともに記憶が混在していくことは誰でもありうる。SNSが加わることで、水掛け論になっていないか。

・「慰安婦」を巡る政治的動向、歴史認識について。→情報を集めて知るほどに、状況が掴めなくなる。時代とともに変遷する認識。

・当事者ではない私達が、どうしていけるのだろう。

・政治家でも、女性は寄り添い感があり頼りにしたくなるが、男性は0か100かの傾向が感じられる。慰安婦問題や性暴力の問題は、特に前者の視点が必要ではないか。

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振り返ると、前回のようなまとめや投げかけがきっちりある終わり方にはならず、ふわっと収束したような印象だった。それは決して収穫がなかった訳ではなく、「沖縄」を切り口にしながらも、社会的トピックについて的確に話が広がっていったように思う。今回は10代から40代まで、幅広い層で話せたのも面白かった。

 

実施にあたって、大学時代の演習のレジュメなどを見返したんだが、今読むと「自分きっちり勉強していたのだなあ」と感心してしまった。結構ガッツリ発表していた。こんな風に学び、自分の頭で考える時間があったことは、本当に贅沢で幸せなことだと思った。

どうやったら自分事として考える人が増えるのか。

 

第九便では、上記備忘録を受けて、タカシナが考えたこと、感じたことを聞いてみたい。

実施場所であるSemperviumにて、はちみつレモンソーダをいただきながら、書簡を結ぶこととする。

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レモンも丸ごと食べられるんだって。酸っぱくなかったよ!