次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十二便

寒さに体が全く付いていかない。早く春になれと怨嗟の声を上げる毎日。そんなわけで返信が滞って申し訳ない。

ジュン・チャンの前回の返信で私が印象に残ったのはこの部分でした。思えば私達は何度もこういう話をしている気がします。

ちなみに僕は最近、このマジョリティとかマイノリティとかいうのにもしっくりこない感覚を抱いている。いわゆるマイノリティに分類される中でも、さらにその中で対立や力関係が働き、マイノリティの中にもさらに細分化されてマイノリティがいるような感じがするからだ。 また、僕自身が社会的にはマジョリティでありながら、性自認性的指向についてはマイノリティに位置する、複数の立場(この言葉が適切か悩ましいが)を持つからだろうけど。 かと言って、自分がどの立場の代表とも思わない。僕はただ、僕なんである。同じように、タカシナもタカシナである。個人のぼやっとした生きづらさの話を、もっとしやすい社会だといいのになあ。

第十一便 返信 - 次に呑む日まで

この話を聞いて私が想起したのが、最近某所で習った「インターセクショナリティ」という考え方で、この概念に対し私の理解がまだ十全ではないだろうことも合わせて以下の記事から特に話題と合致するように思える部分を引用します。

インターセクショナリティ=交差性という言葉から、それぞれ個別の2種類の差別がたまたま交わっている、というようなイメージを持たれるかもしれません。人種差別という道路と女性差別という道路があって、交差点には両方の差別に関係する黒人女性がいる、というように。でもこれは少し誤解を招きます。バラバラの二種類の差別を両方経験する人がいる、という話でありません。性差別、人種差別だけでなく、階級、貧富、障がいセクシュアリティといったマイノリティ属性のチェックボックスに、たくさんチェックがついている人はより差別されていますね、ということを言うために「インターセクショナリティ」を考えるのではないのです。

前述のクレンショーも「インターセクショナリティは足し算の問題と考えられがちだが、2つの差別の合計ではない」とはっきり指摘しています。たとえば、黒人女性は、黒人として差別され、それに加えて女性としても差別されるのではなく、黒人女性としての差別を経験するのです。これがインターセクショナルな経験です。

つまりインターセクショナリティは、差別を均一化し、簡略化することの危険性を指摘する言葉でもあります。同じ女性同士、あるいは同じ黒人同士ではあっても、差別の経験がまったくちがうことがあるのだ、という認識を前提に、私たちの社会が構造として何を中心に置き、何を軽視したり後回しにしたりしているかを考えることが、インターセクショナルな視点を持つ出発点となるのです。

 

フェミニズムに(も)「インターセクショナル」な視点が必要な理由。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.5】 | Vogue Japan

複数のマイノリティ属性が同一人物に重なっていたとしてそれは足し算として数えるのでも、マイノリティ性のチェックボックスをより多く埋める/埋めないの話でもない。

私個人はこの話から、個別に相対している現実は個別に違うのだ、ということを強く感じた。当たり前のことだけど忘れがちでもあること。だから、例えば私やジュン・チャンを例にとっても、自分がどんな人間か、どんな問題と向き合わされているか、そうした「個人」の「個別」の話は実はとても長くて、豊かで、ややこしい語りになるんじゃないかな。そしてそうならない人は、本当はいないのかもしれない。

その「とても長くて、豊かで、ややこしい語り」は普段簡単に開示されるものではない。その分、時と人を選んでそれが語られるとき、特に私の場合は否応なしに普段より隅々まで行き届いた理解を求めてしまうのかもしれない。言葉の隙間や沈黙の奥にあるものを理解してほしいし、誤魔化すような曖昧な笑いが必ずしも心から笑いたくて出ているものではないと分かってほしい。それはある種の我儘と分かってはいる。

ジュン・チャンが前便で指摘した通り、「完全な理解」を求める自分に対しては、私自身、そんなものは存在しないのだから望むのはやめなさい、と自分で自分を律するトーンでいる。今までも、完全な理解は無くてもありがたい寄り添いはたくさんもらって、そうして生きてきた。それなのになぜ、「完全な理解」なんてものを求めてしまうのだろう。

少し前に、自分で書いているほうのブログに『私の話』という記事を書いた。一言で言えば身体障害者の両親を持つ自分がどういう経験をしてきたか、という話なのだが、なんでわざわざそんな話をインターネットの海にいまさら流す気持ちになったかと言えば、

固有の経験として、自分のアイデンティティに無視できないレベルであるものを、私は今のところ妹としか共有できない。

私の話 - 祈りにも似て

これに尽きる。「CODA」「きょうだい児」「ヤングケアラー」といった名称を見る度、それぞれに違った苦しみがあるだろうという気持ちになる。同時に、「私達」もきっとこの世にはたくさんいるはずだけれども、名前が無いから語り合えない、とも。もちろん、似た立場だから分かり合えるなどというのは上にも書いた通りの傲慢なのだが、一方で、私はもしもそういう人がいたならば話してみたいと思う気持ちも捨てられない。そこに「完全な理解」があるとは思わない。ただ、きっと言葉が通じるまでに必要な抵抗値のようなものが、低いのではないかと期待してしまう。なめらかに、わかりあえるのではないかと夢想してしまうのだ。

と、いうような、両親の例を取って書いてはみたが、結局のところ「完璧な理解」などないと頭では理解していてもどこかでそれを諦めきれていない自分のどうしようもなさというところに話は帰結する。私は、私が固有に相対してきた現実とそこにあったものを誰かに分かってほしいと思ったままここまで来てしまっているのだと思う。その気持ちがどこからきているのかは、自分でもよく分からない。

ジュン・チャンが前回最後に書いていた、時を置いてみての同じテーマでの返信、というものにこれはなっているだろうか。何分寒いので自分の書くものに自身が無い。勢いが大事だしそこからどう対話するかがこの書簡のキモですので、送りつけるね。

大分と東京の寒さはどう違うんでしょう。早く春にならないかな。ご自愛くださいな。