次に呑む日まで

呑める日が来るまでの往復書簡

第十便 返信

 

ご無沙汰、ジュン・チャンです。

8月は蒸し暑い日が続くと思ったら、秋雨前線で急に涼しくなり、また暑さが戻って、と極端な天気が続いた。涼しい時には冷房もいらなかった。地元青森の夏のようだったよ。西に来てこんな8月ははじめてだった。

8月は磯野真穂先生の『聞く力を伸ばす』(https://filtr.stores.jp/items/60476b45c19c45157e9f75a4)を受講し、課題もあってそっちに注力していて、返信が遅くなってしまった。

そういえばコロナ関連だと、大分も8月は200人超の陽性者が出て、時短営業やらなんやらなっていた。今は落ち着いてきたけれど、身近に迫っている感覚があって、いつ自分がなってもおかしくないし、仕事関連で出ないかと、ザワザワしながら過ごしている。

 

ついにこれまでもちょこちょこ出てきていた、生理やらピルやらの話題になったね。我々は生理最中・前後の影響が大きい方だから、最もっちゃ最もなんだけど。ただ、それだけではない影響も色濃く受けざるを得なかった面もあるわけで、タカシナがそこを吐露してくれた訳だ。

正直、返信にすごく悩んだ。何度も何度もタカシナの書いた第十便を読んだ。後半でルッキズムの連続講座の話題になったのは、生理というものが「女性」という身体を強く意識させるものだからだろうな、と僕は受け取った。

というか、僕はそうだった。自分は女でも男でもないと認識しているのに、毎月生理がくることで、女であることを突きつけられているような気がして、益々自分が嫌になってしまっていた。学生時代、思い詰め過ぎて3ヶ月生理が来なかった時がある。婦人科に行ったけど、異常なしだった。その時に受診した婦人科で、医師から「ちゃんと妊娠できるから大丈夫よ」と言われたことがすごくショックだったのを覚えている。何も言い返せず終わったけれど。患者の性自認やどう生きたいかはそれぞれである、という意識のない医師が多いことを、社会人になって受診した婦人科でも感じた。医療とある価値観(産めよ育てよ、家父長制)が結びついているのを感じて嫌になるし、何より自分みたいな存在が想定されていないことに、疎外感を覚える。今お世話になっている主治医は、そんなことは言わないので安心して行っている。

 

働いていてつくづく思うが、資本主義と生理がくる体は相性が悪いのではないかと思う。タカシナが指摘していたように、ピルを飲んだからって、全ての生理前・最中の症状がなくなるわけではない。改善はされるが、生理前の情緒不安定さや、最中の痛み、怠さは飲んでいてもある。それでも消えたくなったり、急に涙が出たりすることはなくなったし、痛みで話せないこともなくなった。でも、フルタイムで働き、時にはやらざるを得ない残業をしながらこの身体と付き合うのは、今でもしんどい時がある。かと言って転職するというのも違う話な気がする。いつまで今の働き方ができるのか、不安になる。低容量ピルを飲み始めた最初の数年は、自分の体質に合う種類に当たるまで3〜4種類は試したし、薬価を考えると早く飲むのをやめたいとも思った。そのことで、さらに自分の身体が嫌になったもんだった。今では生理用品や低容量ピルへのアクセス・負担金額も、自分が生理のくる身体で産まれたから強いられるのが悪いのではなく、仕組みの問題であると理解している。薬価も割り切った。

この間、ひとまわり年下の友人が「早く(生理)あがってほしい」と言っていて吹き出してしまったが、しかし激しく同意したのであった。

生理にまつわること、もっと学校教育の中で知識付与してほしいが、単純に生理だけではなく、性自認や働き方といった、広いテーマと結び付けて考える機会を作ってほしい。性教育だけで終わる話じゃないと思うんだ。この辺り、YouTubeで取り組まれる専門家が現れたのは、希望だな。

 

服装とか化粧とか、僕らはあまりにも見た目で人を判断するのが好きだなあと思う。どれだけ注意していても、相手の見た目で何かを判断しようとしてしまう。ちなみに僕は化粧をやめた。もともと就活までしないで過ごしていたけど。好きだからリップやフットネイルはする。眉はたまに鋏で整える。ワンピースにレギンスや、ワイドパンツを好む。冬から春はmen's FUDGEがお手本、大好き。髪型はタカシナもご存知の通り、年々短さが増し増しになっている。自分のお気に入りの格好ができる今が、めちゃくちゃ楽しい。そこに女らしさや男らしさはなく、ただただ自分が好きか、気に入っているかがある。この手のこと、はじめて言葉にしたかもしれない。我ながら清々しいや。

 

タカシナは[世の中のことを書くのを避けた結果自分の話ばかりになってしまった。]と第十便の最後に述べていたけれど、個人的なことこそ、世の中に繋がっていると僕は思う。前述した医療従事者が想定する患者像や、生理用品・低容量ピルの個人負担は、個人的なことに見えて、実は大きな枠組みの問題だ。もっと言えば、フェミニズムの思想然り。歴史学で個人の証言が扱われるようになったこと然り。

コロナがさらなる炙り出しを見せた政治の脆弱性に対して、正直徒労感しか感じないのだが、未来に向けてできることは地味でもやっていきたい。ここにこうして書いておくことも、確かな行動の一歩だと願いたい。

 

久々に長めの文章を書いた気がする。LINEでも話していたけど、我々が対面で会って呑み食いできるのはいつになるんだろう。最近はあんまり飲酒もしなくなったから、ランチでタイ料理食べながらビール呑むくらいからやっていきたいな。打ってたら涎出てきた。タカシナとご飯が食べたいなあ。